第39話:呂布との初戦、「最強」の咆哮と衝撃
荊州の平野に、地を這うような轟音が響き渡った。それは、赤兎馬が大地を蹴る、ただ一騎の蹄の音だった。しかし、その音は、まるで嵐の前の静寂を破る雷鳴のように、全軍の神経を逆撫でする。
呂布が姿を現す前、戦場には奇妙な「静けさ」が訪れていた。なぜか風が止み、鳥の声が消えた。虫の鳴き声すら、ぴたりと止まっている。公孫瓚の陣営を覆っていた、勝利への高揚感すらも、その静寂によって凍り付いたかのようだ。
兵士たちは、互いに顔を見合わせ、不安げに囁き合う。
「……何か、おかしい」
「なぜか、馬が怯えている……」
「遠くから、蹄の音が聞こえる……まるで、一人分の、しかし百万の軍勢のような……」
弓兵の一人が、知らぬ間に指を震わせ、矢を落としていた。その一本の矢が土を叩く音が、雷鳴のように耳に響く。彼らの身体が、本能的に、抗いようのない「最強の敵」の存在を察知していたのだ。
そして、その静寂を打ち破るように、赤兎馬に乗った呂布が、小高い丘の上から姿を現した。全身を漆黒の鎧に包み、頭上には威圧的な鳥の羽飾りが揺れる。手には巨大な方天画戟。そして何よりも、その背後から溢れ出す、人間とは思えないほどの圧倒的な殺気。彼の武勇は、もはや伝説と化していたが、その実物を目の当たりにした趙雲は、改めてその「異質さ」を痛感していた。
(あれが……呂布……!これまでの敵とは、レベルが違う……!)
趙雲の胸に、かつてないほどの緊張が走る。彼の隣に立つ関羽と張飛、馬超もまた、その顔を強張らせていた。彼らの武人としての魂が、本能的に「最強の敵」の存在を察知し、血湧き肉躍るような高揚感と、しかし同時に、底知れない畏怖の念を抱いていた。
「なめるな、呂布め!俺が相手だ!」
張飛が、たまらず馬を駆った。その巨体と、手にする蛇矛の威圧感は、並の敵将ならば一瞬で戦意を喪失させるだろう。しかし、呂布は動じない。彼はただ静かに、その方天画戟を構えた。
「無名の小僧が、この呂布に歯向かうか……」
呂布の声が、まるで雷鳴のように戦場に響き渡る。その咆哮が放つ圧倒的な存在感は、ただの音ではなかった。周囲の兵士たちは、その声だけで震え上がり、中には恐怖で失禁し、座り込む者までいた。馬たちは怯えて嘶き、その場に泡を吹いて倒れ込む者までいる。戦場に、血と汗と、そして金属の匂いが、風に乗って混じり合う。公孫瓚軍の兵士たちは、その殺気に一歩も動けず、手は震えて剣を抜くことすらできなかった。遠くから戦況を見守る鳳統は、冷たい汗を流しながら呟く。
「……あれが、“一騎当千”の本質……か」
張飛は、その殺気に一瞬怯んだが、すぐに怒りの咆哮を上げ、呂布へと突撃した。
一閃。
張飛の蛇矛が呂布へと突き出される。しかし、呂布はその一撃を、巨大な方天画戟でいとも簡単に受け流した。そして、その反動を利用し、方天画戟を横一閃に薙ぎ払う。
「ぐわぁっ!」
張飛は、その一撃をまともに受け、愛馬の背から大きく弾き飛ばされた。彼の巨体が、荒野の地面を転がり、ようやく止まった時には、血を吐き、うめき声を上げていた。
(これが…本物の鬼か…!俺が、一撃で…!)
張飛の内面で、最強の武を自負する彼のプライドが、音を立てて崩れ去る。
「張飛!」
関羽が、その光景に怒りを露わにし、馬を駆った。馬超もまた、その隣で静かに、しかし燃え盛るような殺気を放っていた。
二人の猛将が、呂布へと襲い掛かる。しかし、呂布は動じない。彼は、関羽の青龍偃月刀と馬超の槍を、軽々と受け流し、まるで二人を相手にしているのが、戯れであるかのように、その武勇を誇示する。
「ほう……なかなかやるではないか。だが、所詮は虫けらよ!」
呂布の言葉に、関羽と馬超の顔に、悔しさと、そして屈辱の色が浮かぶ。彼らは、互いに顔を見合わせ、連携して呂布を攻め立てる。しかし、呂布は二人の連携を完璧に見抜き、その隙を突き、方天画戟を縦に振り下ろした。
「ぐっ……!」
関羽と馬超は、その一撃をまともに受け、愛馬の背から大きく弾き飛ばされた。彼らの身体が、荒野の地面を転がり、ようやく止まった時には、その口から血が流れ、うめき声を上げていた。
(斬られたのではない。存在ごと、斬られた気がする…!)
関羽は、呂布の放つ一撃が、ただの武力ではない、精神をも断ち切る力を持つことに戦慄する。
(この動き、理論では説明できない…!どうやって、こんな速度と重さを両立させている…?)
馬超は、自身の騎兵術の常識では理解不能な呂布の武に、深い「違和感」と「困惑」を覚えていた。
その光景を見ていた趙雲は、静かに目を閉じた。
(馬超も張飛も、決して弱くはない。だが、呂布の一撃を受けた瞬間、誰もが“死”を意識する。それが武か……)
彼の脳裏には、自分がこれまで戦ってきた名将たちの姿が次々と蘇る。曹操の知略、袁紹の慢心、孫堅の豪胆さ。しかし、呂布の「武」は、それらとは全く異なる次元にあった。それは、乱世という巨大な歪みが、偶然にも生み出してしまった頂点。
(俺が倒すべきは、呂布ではない。呂布を超える、“時代”そのものだ)
趙雲の心の中で、呂布という「武」の存在が、彼の知略と戦術への「価値観」を、さらに強く、深く突き動かしていた。
乱世の最終章。
新旧の「武」が激突する、運命の歯車が、今、動き出した。
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