第11話:曹操軍の「智」の認識と情報収集の開始

公孫瓚から軍制改革の全権を任されてからの日々は、趙雲にとって息つく暇もないほど充実していた。朝早くから兵舎に足を運び、自ら考案した改良馬具の導入を指揮する。


白馬義従の若い兵たちが、ぎこちなくも新しい鐙を試し、その安定感に歓声を上げ、笑い声と金属音が兵舎に響く。彼らの顔には、戸惑いと同時に、未知の力への期待が満ちている。趙雲は、そんな兵士たち一人ひとりの顔を確かめ、時には自ら馬に跨って手本を見せることもあった。鍛冶師や革職人との打ち合わせも連日続き、鉄鐙の本格的な量産体制を整えるための指示を飛ばす。公孫瓚の誇る白馬義従は、着実に、常識外れの進化を遂げつつあった。その進化の過程で、兵士たちの間には、趙雲への絶対的な信頼が芽生え始めていた。


夜になれば、わずかな睡眠時間を削り、静かに自室で情報網の構築と分析に時間を費やした。壁には、董卓討伐戦で得た情報をもとに、諸侯の勢力図が簡素な地図に描かれている。袁術への布石は順調に進んでいるのが見て取れた。各地から届く密偵の報告書に目を通すたび、袁術が史実通りに傲慢さを増し、自滅の道を突き進んでいるのが見て取れた。彼の肥大化した野心は、もはや誰も止められないだろう。


(この調子なら、袁術は遠からず自滅するだろう。だが、真の問題は……)


趙雲の意識は、既に北方と南方を超え、中原へと向かっていた。そこに割拠する数多の諸侯の中でも、最も警戒すべき存在。それこそが、後の魏の武帝となる曹操だ。彼の持つ兵力や武将の数も脅威だが、趙雲が真に警戒するのは、その背後に控える「智」の存在だった。歴史オタクとしての知識が、警鐘を鳴らす。


荀彧、郭嘉、程昱。


後の世に名を残す、曹操の最高の軍師たちだ。彼らの存在こそが、曹操を他の諸侯とは一線を画す存在にしていることを、趙雲は誰よりもよく知っていた。彼らの知略は、たとえ鉄鐙騎兵を擁する趙雲軍でも、真正面から打ち破ろうとすれば多大な犠牲を伴うだろう。それは、彼が目指す「平穏な世の実現」とは相容れない。


(「智」を制する者は天下を制す……。彼らを無力化できれば、曹操の力は半減するだろう。余計な血を流さず、乱世を終わらせるためには、彼らへの対策が不可欠だ)


趙雲は、天下統一への「必然性」を確実なものとするため、そして民の犠牲を最小限に抑えるためにも、この三人の軍師への対策を最優先事項と定めた。彼の知性は、すでに具体的な「思考」へと移行していた。


夜遅く、趙雲は最も信頼できる部下を密かに呼び出した。彼らは、趙雲の命で組織された、情報収集と間接工作に長けた精鋭だ。


「これより、中原に潜入し、曹操陣営の情報を徹底的に集めよ。特に、荀彧、郭嘉、程昱の三名についてだ。彼らの日常の言動、性格、人間関係、健康状態に至るまで、些細なことでも見落とすな」


部下たちは、趙雲の言葉の重みに、ただ黙って頷いた。彼らは、趙雲が与える指示の背後にある、並々ならぬ「意味」を感じ取っていた。


情報収集の指示を出すだけでなく、趙雲は具体的な「布石」のアイデアも練り始めた。彼の策は、直接的な武力衝突を避ける、陰湿で巧妙なものだ。


荀彧に対しては、彼の漢室への忠誠心と曹操の野心を突き、両者の間に微かな亀裂を生じさせるような情報操作の種をまく計画を立てる。曹操が帝位を窺うかのような匿名文書を、彼らの陣営内部に密かに送り込むなど、間接的な心理戦だ。


郭嘉に対しては、その病弱な体質を逆手に取る策を練る。趙雲軍の存在を彼らに常に意識させ、思考の限りを尽くさせるような状況を作り出す。予測不能な小規模な奇襲や、囮を使った陽動を繰り返させ、郭嘉に「常に気を張らせ、疲弊させる」ことを狙う。それは、彼の寿命を縮める「必然性」となるかもしれない。


程昱に対しては、彼の得意とする奇策を封じるための対策を考案する。あらかじめ彼の思考パターンを読み解き、彼が策を立てる前に、その策を無効化するような地盤を築く。あるいは、彼の策が裏目に出るような状況を作り出すための、二重、三重の罠を仕掛けることを検討する。


(曹操軍の軍師たちよ。君たちの「智」は確かに恐ろしい。だが、俺の「智」は、君たちの時代とは異なる場所から来ている)


静かに机に向かい、竹簡に情報を書き込みながら、趙雲の胸中には、遥か未来を見据えた、確固たる自信が満ちていた。彼の小さな手が紡ぎ出す策は、まだ誰にも知られぬまま、中原の風に乗り、静かに広がり始めていた。


その小さなさざ波は、やがて中原全土を揺るがす奔流となることを、まだ誰も知らない。

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