第二十話 動揺
それから少し時が経ち、京一と明子の結婚式が行われる二週間ほど前。
逆縁結びの影響が出てきていたのか、月好家にさらなる不幸が襲い掛かる。
本宅が火事にあったのだ。
近頃、月島家の近所では放火が多いと噂になっていた為、警察は火の出た原因はその放火犯によるものだとして、捜査を続けている。
冬の乾燥した風の強い時期の火事は大きく燃え広がり、あの広大な土地の約半分が被害にあった。
元々呉服屋である月好家で一番豪華な花嫁衣裳を作らせていたそうだが、それらも、結婚式のために用意していた多くのものもすべて燃えてしまった。
藤路が使っていた部屋は、もう跡形もないらしい。
その一報を受けた雪衣と藤路は急遽、小松と一緒に馬車に飛び乗る。
死亡者が一人も出なかったのは幸いだったが、菊は煙を吸ってしまい、病院にしばらく入院することになった為、その見舞いに向かうことになった。
「逆縁結びの影響でしょうかね? 確か、去年もボヤ騒ぎがありましたよね?」
「そうかも知れないわね……」
逆縁結びの結果、今年の九月一日にこの辺りで何かが起きて、そこで京一が命を落とすことになると知っている雪衣と藤路だったが、そのことは小松には秘密にしていた。
その日は雪衣と藤路と一緒に小松も長崎に行くだろうし、藤路によれば、宵桜家にいる人間が死ぬ日は、もっと先だ。
つまり、もし長崎に行かなくても、宵桜の家にいても死ぬことはないと言える。
その日に何かが起こるからと関東に住んでいる人間を全員助けることは不可能だし、小松に話して不安をあおる必要もないからだ。
雪衣は、馬車に乗る前に藤路から聞いていた。
菊の最期の日は、みんなと同じ九月一日で、今はそこまで心配しなくても、すぐに死にはしない。
「退院した後、住むところはあるの?」
「東京に別邸があるので、おそらくそちらに住むことになると思います」
いずれにしろ、またあの屋敷に住めるようになるには、かなり時間がかかるだろうと藤路は言った。
「問題は、式が延期になるかもしれないというところですね。まぁ、そろそろ日付が安定しているはずなので、少しくらい延期になっても問題はないと思います……が……――――え?」
一時停止した馬車の窓からふと外を見た藤路は、何かに何かを見たようで、それから突然無言になった。
一体なんだろうと、気になって雪衣と小松は、藤路の見ているであろう方向を見た。
菊の見舞いに行くということで、すでに狐の面をつけていた藤路の視線が、どこを向いているか正確にはわからなかったが、通りの向こうに通行人が何人かいる。
その中に、明子がいるような気がした雪衣は、よく見ようと窓から身を乗り出そうとした。
しかし、すぐに馬車は再び動き出してしまう。
危ないからと小松に引き戻されてしまった為、それが本当に明子だったかどうかはわからなかった。
――――男の人と一緒にいたような……そんな、まさかね。
いくらなんでも、式まであと二週間。
婚約者の京一以外の男と、明子がこんなに白昼堂々と腕を組んで歩いているはずがないと、首を横に振った。
* * *
病室に入ると、いつもの威勢はどこへ行ったのか、菊は一人、ベッドの上で弱弱しく藤路を睨みつける。
その目には涙が浮かんでいた。
女中たちの多くも入院したり、体調不良で寝込んでいる為、京一が菊の傍に付添っているはずだったのだが、その姿はどこにもなかった。
「お加減はいかがですか、おばあ様」
煙を吸った影響で、声が出しづらいようで、何を聞いても小さく頷くか、否定するようにわずかに手を横に振るくらい。
何か言いたげに口を開いても、すぐに閉じてしまう……ということを繰り返していた。
「――――なんだ、来てたのか」
ややあって、病室に戻って来た京一と鉢合わせる。
その手には水の入った花瓶を持っていた。
雪衣たちの前に来た見舞客が置いて行ったであろう花束がテーブルの上に置かれていた為、それを活けようとしていたのだろうかと最初は思ったが、よく見ると京一の衣服は少し乱れていて、頬や唇に赤い何かがべったりとついていた。
「兄さん、どこに行っていたんですか? それに、その顔――――」
「ちょっと知り合いが来ていてな。なんだ、俺の顔に何かついているのか」
京一は片手の甲で自分の唇のあたりをぬぐった。
そして、手の甲に移った色を見て、にやにやと笑う。
「ああ、これか。気にするな、少し遊んでやっただけだ。まったく、女ってやつは困ったものだな」
それが誰かの口紅の色だと雪衣が気づいた時、藤路は手に持っていた見舞いの品を床に落とした。
「そんな……――――なんで? 兄さん、結婚式は、二週間後なのに、どうして――――」
頭の上の日付は、激しく揺れていた。
安定していない。それも、日付が違う。
藤路の見立てでは、年末に大正十二年九月一日と昭和十九年十一月二十四日で揺れていた日付は、今、大正十二年九月一日で安定しているはずだった。
それが、今、大正十二年九月一日と昭和二十年八月十日で揺れている。
「また他に女を作ったの……?」
明子によって変わった日付が、また誰か別の女のせいで揺らいでいた。
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