第十九話 指切り

 自分の口から出た言葉に、自分でもなんでくさいセリフを言ってしまったんだろうと、雪衣は少し恥ずかしくなってきた。

 それでも、藤路に生きていて欲しいと思う気持ちに、嘘はない。


「——……それはつまり、雪衣さんは僕と寝たいという事ですか?」

「ねっ!? 寝た……はぁ!?」


 何を言い出すんだと、反射的に雪衣はさっと藤路から離れた。

 後ずさり過ぎて、部屋の壁に背中が当たるくらいに。


「だって、日付を変えるって、そういうことでしょう?」

「ち、ちが……!! そういう意味で言ったんじゃないです!!」

「ふふふ……冗談ですよ、でも」


 笑いながらゆっくり顔を上げた藤路。

 その綺麗な瞳には、涙が浮かんでいた。


「……雪衣さんって、本当に強い人ですね。それに、僕なんかよりずっと、優しくて良い人だ。あと、一つ間違いがあります」

「間違い?」

「僕はあの子を……千代を自分のせいで死なせてしまったことに負い目を感じてはいますが、兄が言ったような恋愛感情があったわけじゃないです」

「え……? 違うんですか?」

「違います。家族に蔑ろにされていた僕にとって、親友とその家族の方が本当の家族のような存在だったんです」


 千代と親友の兄妹だけでなく、その両親もとてもいい人たちだった。

 遊びに行けばいつでも暖かく出迎えてくれて、藤路にとって何より大切な場所だったのだ。

 だから、親友の家族の前で自分が月好家でどんな扱いを受けているかも、兄の京一の人となりすら、話したことはない。

 彼らといるときだけは、そんなものは忘れたかった。


「あの子は何も知らないまま、あの男に騙されてしまった。あんなことがあっては、僕はもう、以前のようにあの家の家族のようにいるなんて、そんなことはできませんでした」

「それじゃぁ、初恋じゃなくて、本当に、妹だと……?」

「はい。少なくとも僕は、そう思っていました。千代が僕をどう思っていたかはわかりませんが……きっと、あの子も僕に対してそんな感情はなかったと思います」


 すでにこの世にいない彼女に、その真意を確かめることはできない。

 けれど、藤路の初恋相手が千代であるというのは、なんでも色事としてとらえる京一の勘違いなのである。


「それじゃぁ、勘違いで……?」

「そういう勘違いをさせてしまったのも、全部、もとを辿れば、僕が……」

「いやいや! おかしいですよ!! 勘違いをさせてしまったのが藤路さんだとしても、悪いのはあの男です」

「でも……」

「うーん、もう、わかりました!」


 これではまた藤路が自分のせいだと言い出すに決まっている。

 このままでは、堂々巡りになってしまうと雪衣は話をまとめた。


「とにかく、なんとしてでもあの二人をくっつけましょう。逆縁結びが成功して、日付が安定したら……後のことは、その時に考えましょう」

「……そうですね」

「それと、絶対に九月一日は、私と一緒に長崎にいてくださいね」


 雪衣はそう言って、小指を藤路に差し出した。


「約束です。絶対ですよ? もし裏切ったら、本当に針千本飲ませますからね」


 小さくて細い雪衣の小指に、藤路はそっと自分の小指を絡める。


「はい、約束します」


 指切りをして、約束を交わした。

 これでは夫婦というより、子供同士みたいだね、と二人は笑いあった。


 ――――まさか、そんな夫婦の会話を第三者が襖の向こう側で立ち聞きしているなんて、思いもせずに。




 * * *


 大晦日の大掃除が終わり、他の女中たちの夕食の準備を手伝っていた小松は、食器を並べるために台所から居間へ移動していた。

 その際、二階の階段をにやにやと笑みを浮かべながら降りてきた静と遭遇する。


「……なぜ、お二階に?」


 静が使っている部屋は、一階にある。

 娘の美衣の部屋はその隣だ。

 二階にあるのは、雪衣夫婦の寝室と、使用人や女中たちが寝泊まりしている部屋、それと誰か客が止まりに来た時のために開いている洋室が二つある。

 静がその階段を使って、二階へ行っていたこと自体、珍しいことだった。


「何よ、あんたには関係ないでしょ」


 小松に話しかけられて、あからさまに眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに言い放つと、静は廊下を渡って、自分の部屋へ戻って行った。

 その背中を小松はしばらく見ていたが、他の女中たちに声をかけられる。


「小松さん、どうかしました?」

「え? いいえ、なんでもないわ。これを運べばいいのよね?」

「そうです! 助かります!」


 あわただしく過ぎてい行く年末行事。

 小松はすっかり、静の様子がおかしかったことなんて忘れて、黙々と仕事をこなしていく。


 雪衣が藤路と結婚してから、雪衣の縁談をぶち壊すというもはや趣味のようになっていた嫌がらせ行為も無意味になってしまい、ここ最近は部屋に引きこもりがちで、大人しくしているようだったが、彼女は翌日、誰にも何も言わずに、珍しく外出した。

 元日の早朝に屋敷を出て、帰って来たのは夕食前。


「――――……お母様? 何かありました? とても機嫌がいいようですけれど」


 美衣が静の様子がいつもと違うことに気がついて訊ねると、彼女はただ、にやにやと嬉しそうな笑みを浮かべているだけだった。


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