第19 話 迷走 ─冷却の逃走線─
倉庫の中にいた4人の目は壁に耳を当てたテスへ向いていた。
テスが空気の流れを読むと、ジークが目を細める。
「トラップの誘導孔か。……床が抜けるぞ」
彼の記憶が呼び起こす、古い構造図。倉庫の設計に隠された、退路封鎖のための構造。
その言葉にトミーが即座に動いた。
周囲を見回し、転がったまま放置された鉄くずの山の中から、片輪の壊れたカートを見つける。
トミーの頭に、訓練中に見た爆破トラップの再現映像がよぎった。
あのとき、床を抜けたのは重量をかけた直後だった。ならば——
「あれを転がそう。もし床が抜けるなら、先に“荷重”をかけて動かせばいい」
皆がトミーを振り返る頃には、トミーは一歩踏み出し、カートを勢いよく蹴り出していた。
ギィ——ガタン……鉄の車輪が不安定に転がる。金属が床を打ち、通路を走り抜ける。そして——
バコンッ!
甲高い崩落音が響いた。車輪が落ちたその場所の床が一気に砕け、真下に口を開けた暗闇へと崩れ落ちていく。コンクリの破片が次々と落ち、数秒後にようやく地面にぶつかる鈍い音が返ってきた。
「……正解だったな」
ノヴァがニヤリと笑う。だが、その目はまだ笑っていなかった。
トミーはノヴァを振り返ったが、もう笑い返すことはなかった。
ノヴァが助走を取り、崩落した部分を飛び越える。トミーもその後に続いた。
状況はわかってる。分からないのは今追いかけているジャスの行動だった。
たとえ味方でも、ミッションが失敗しただけで組織はトカゲの尻尾を切るように、自分たちを切った。
そしていま自分らはその裏切り者として昨日まで仲間だった男を追ってる──敵として。
彼にもわかってたはずだ。なのに裏切ったのはなぜなのか。
彼らが仲間を裏切り者だと割り切れるのは、自分を守るのは、自分しかいないと思っているからなのか──
皆が飛ぶのを待ちながら、トミーの頭の中は考で一杯になった。そんなとき、ぽんと背中を叩かれる。
「ぼうっとしてると背中から撃たれるよ」
それがノヴァの労りなのか忠告なのか、トミーにはもう判別がつかず、心の中の何かが少しずつ麻痺していくのを感じていた。
◇
最後に着地したアドが無言で頷き、視線を倉庫の扉へ。
重く錆びた鉄の扉。中は見えない。
一瞬の沈黙。
そして、ノヴァがパイプを振りかぶると同時に、アドが声をかけた。
「行くぞ」
ドンッ!
鉄扉がきしみを上げて吹き飛び、5人の影が闇の中へと雪崩れ込んだ。
中で何が待っているのか、誰にもわからなかった。
◇
倉庫の内部は、まるで音そのものが封じられているかのように、異様なまでの静けさに包まれていた。
誰も声を発さない。
ただ、冷気が足元にまとわりつき、まるで何かが這うように肌を撫でていく。人の気配が吸い込まれた後の空虚だけが、そこにあった。
——その空虚の中に、ほんの一瞬、違和感が混じった。
霜の上を何かが掠めるような、きわめて微細な擦過音。耳で捉えるよりも先に、体が反応するような音だった。
ノヴァが目を細め確認しようとした。
次の瞬間、どこからともなく冷気が逆流するような、微かな空気の揺らぎが生じた。まるで、目に見えない何かがこの空間をすでに分断しているかのようだった。
背筋を撫でる感覚に、全員の神経がかすかに尖る。
「……」
奥の冷却ユニットには、霜のついた鉄のコンテナが規則正しく並んでいる。どれも無機質で、死んだように沈黙している。照明の下で、メンバーたちの呼吸が白く浮かび、ふわりと揺れた。
ノヴァが先頭に立ち、無言で進む。
アドが数歩後ろにつき、手元のサブスキャナで周囲を確認する。
「トミー、扉の構造は?」
アドが低く問いかける。音が空間に吸われていく。
「外からの開閉は無効。中から開けるように改造されてる。制御ラインは切られてます……でも、冷却管に圧力がかかれば、内部が膨張してヒンジが歪む。少しは開くかも」
トミーはすでに携帯ツールを展開していた。
指先がかすかに震えながらも、確実な動きで冷却系統のバルブを操作する。
シュウゥ……
低い吐息のような音と共に、管内に圧がかかる。金属の骨がわずかにきしみ、コン、と短く澄んだ音が響いた。
数センチ、扉が、じわりと開いた。
その瞬間だった。
カラ……ン……ッ
何かが、床に転がり込んだ。
一拍遅れて、ノヴァの目が鋭くなる。
「——閃光弾! 下がって!」
だが、叫びが終わる前に——
バンッ!!
光と爆音が通路を焼いた。
世界が白く塗りつぶされた刹那、時間が、切り取られた。
鼓膜を突き破るような衝撃音が、思考を一瞬で吹き飛ばした。
重い空気が押し潰され、体の中から何かが引きはがされるような感覚。
閃光の中心から、黒い影が飛び出した。
ジャスだった──!
目元に防護ゴーグル。体は身軽な装備。迷いのない動きでユニットの隙間を滑り抜け、それはまるで光の中から飛び出した刃のようだった。
その姿に、かつての仲間だった面影はなかった。
あるのは、任務でも、復讐でもない——何かを貫く意志だけだった。
その一瞬で、全員の中に緊張が走った。
これは逃走ではない。突き抜ける“襲撃”だ。
「——迎撃だ!」
アドの号令が飛んだ。
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