第三京浜編・1・タンデム
古戦場であった小机城址公園の森を、高速道路、第三京浜道路が貫いている。※
その傍に巨大な楠があった。
蜘蛛の半妖である夜織は、その巨木の上に、自らの糸を使い大きな「巣」を張っていた。
布で作った2LDKのマンションのようなもの。
人の世を味わうもいいが、この巣の中ではなにをも隠さず、妖そのままの自分でいられる。
目覚めの曖昧な意識の中、ひとり、この地で起きた昔のことを思い出す。
――それは、およそ三百年前の、まだ夜織が人間の娘だった頃の記憶。
小机城跡近くの村、神社に住まう宮司の娘、素朴な着物に身を包み、その顔立ちには、森の木漏れ日のような純粋な輝きがあった。その日、彼女は怪異を追って森に入ってきた一人の若きモノノフと出会う。
名は、
誠は、怪異のおこると噂の立った城跡の案内を頼んだ、夜織の純粋な心に触れる。夜織もまた、彼の温かさと、力なき者を守ろうとする強さに強く惹かれ、淡い恋心を抱くようになる。
共に森を歩き、他愛ない会話を交わす。誠が怪異を鎮めるために使う、不思議な力に目を輝かせ、彼の隣にいるだけで心が満たされた。
ある日、誠は一人の尼僧と共に城跡に現れる。八百比丘尼だった。自分よりもずっと年下に見えながらも、圧倒的な霊力と、全てを見通すような慈愛に満ちた瞳。夜織は、誠を通じて比丘尼と出会い、その存在に畏敬の念を抱いた。師匠は、夜織の純粋な心と、彼女が持つ微かな霊的な素質を見抜き、静かに告げた。
「あんさんには、いずれおっきな試練訪れるかもしれへんけど、その綺麗な心があったら乗り越えられるのとちがうでっしゃろか」
その言葉の意味を、当時の夜織は知る由もなかった。
しかし、穏やかな日々は長くは続かなかった。誠が調査を進めていた怪異の正体である巨大な蜘蛛が現れ、人々を襲い始めた。夜織もまた、その巨大な糸に絡め取られ、囚われてしまう。
「夜織っ!」
誠は叫ぶ。蜘蛛の糸を掻い潜り、彼女を救おうと必死に挑んだ。だが、夜織を攻撃の卦術に巻き込むことに一瞬の迷いを生じ、蜘蛛の巨大な鎌のような肢が、誠の体を貫いた。
「まことさま!」
夜織の目の前で、愛する誠は蜘蛛の糸に締め上げられ、その生気を吸い尽くされていく。彼の瞳から光が失われていく様を、夜織は見つめながら、血の涙を流した。絶望と、言いようのない喪失感に、彼女の心は引き裂かれる。
「おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、許さぬ。殺せるならば、殺せるならば、全て捧げてもかまわぬ。」
深く、深く心に刻みながら、夜織もまた蜘蛛の巨大な口へと吸い込まれていく。彼女の誠への未練、蜘蛛への呪いが混ざり合い強烈な想子力を発しつつ、蜘蛛の体内で、次第に人間のような女性の造形が形作られていった。
それが、三百年間、荒蜘蛛の支配下に置かれ、自我を失いかけた状態で彷徨い続けることになる、半妖・夜織の始まりだった。
荒蜘蛛への復讐は叶わなかったが、夜織としての意識が蘇ったとき、目の前にいた男が己を蘇らせ、あの蜘蛛を滅したのだと悟る。この者ならば全てを捧げても惜しくはない。
過ぎ去った日々を思い浮かべ、少しセンチメンタルな気持ちで目覚めを揺蕩っている時、激しい破壊音が響く。彼女の「巣」は飛び込んできた巨大な鉄塊で無惨に破壊された。
ニュース速報が、不穏な影を落としていた。
「第三京浜道路で、またしても事故が発生しました。単独事故で、車両が壁を突き破り、小机城址公園の敷地内に転落。第三京浜での事故は今週に入って5件目です。いずれも……」
アナウンサーの声が、TVから流れる。画面には、無残な姿で横転した車と、その奥に広がる小机城址公園の木々が映し出されていた。
窓を叩く音、夜織の姿。
「この事故だよ、この事故。これであたしンとこの……巣が……」
夜織が、静かに、しかし怒りを滲ませた廓言葉で訴えかける。この事故で破壊されたという。ひとまず乗っていた二名は、操糸術で車両が地面に激突する前に救出でき、安全なエリアに寝かせておいたとのこと。
「これは、ただの事故じゃないな」
陽介は事故情報をネットで収集しながら言う。連続で発生した5つの事故は通常の事故ではありえない状況を示していた。スポーツカーでもない車両が出せるはずもない速度で側壁や中央分離帯に衝突している。
「今からすぐ、車で第三京浜のここに一緒に行ってくれねえかねえ、なんだか気になるんでありんすよ」
夜織が言った。陽介は困った顔をする。
「ふつうの高校生は車持ってないんだよ……」
「ふうん、なんかありんせんのかい、タクシーかなんか使うしか?」
「これでもいい?」
陽介がアパートの前に置いていたのは、愛車のヤマハRZ250Rだった。黒いフレームに白いタンク、赤いストライプが映える、250ccのスポーツバイクだ。
「空気を感じられるなら、こっちの方がより良いさね」
夜織はバイクを検分するように眺め、満足げに頷いた。
「よし、じゃあ準備する……っと、ああヘルメットが二個ないや、どうしようか」
陽介が自分のヘルメットを被りバイクにまたがりながら。夜織に語りかける。
「かぶるものかえ? 形だけでいいなら、ちょいと待っておくんなんしえ」
夜織がそう言うと、次の瞬間、陽介の目の前で、彼女の服がまるで生き物のようにスルスルと解け始めた。艶やかな黒髪が夜空に溶け込む中、一瞬、夜織の肢体が完全に露わになる。
(お、おっぱいチラ見)
ポーカーフェイスの陽介に、不謹慎な感情がよぎる。
だが、束の間、蜘蛛の半妖たる夜織の糸が再び高速で編み上げられていく。黒い糸が瞬く間に彼女の身体を覆い、艶やかなライダースーツと、それに合わせたコンパクトなヘルメットを作り上げた。
「すげえ……」
陽介が呆然と呟く間に、夜織はバイクの後部座席にひらりと跨った。
「さあ、いっておくんなんし、陽介さん」
彼女の声にハッと我に返り、陽介はバイクを発進させた。加速する車体と共に、陽介の背中に、ぎゅっとしがみつく夜織の柔らかいふくらみがぴたりと密着する。
冷静な顔を保ちつつも、童貞心がざわめき頬が赤らむ。
(っひゃー!昔からずっと夢見続けてた女子とタンデム!背中のこの感触を体験できるなんてー)
陽介は内心不埒な思いを爆裂させつつ、夜の第三京浜道路へと向かった。
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※小机城址を第三京浜は貫いている。
https://maps.app.goo.gl/uRpDN5xQRfcMdNWk6
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