モノノフだった男

 陽介は、電話を切ると、信じられないものを見るように琴音を見つめた。

「琴音さん……すごいよ。FUMを……直せるかもしれない」

 陽介の顔に、久々に希望の表情が戻っていた。彼の言葉に、琴音もまた、小さく頷いた。失われたかに見えた希望の光が、再び二人の心に灯り始めたのだった。

「陽介くん、行く前にシャワー借りていい?」

 琴音にも気持ちの余裕が出てきたらしい。

「え?」

 突然の言葉に、ドキドキする。以前データ越しに映像化して見てしまった琴音の身体を思い出す。平静を装っているが、とんでもないエロ顔になってそうでやばい。

「私、ドロドロの汗だくだから」

 目が泳ぐ。『一緒に浴びよう』という一足飛びの言葉を、辛うじて飲み込んだ。

「……Tシャツ、男物のMでよかったら、新しいの出しとくよ」


 数時間後。陽介と琴音は、新横浜駅の駅長室にいた。駅長の中西は、彼らを奥の応接室へと通した。室内は整然としており、壁には新幹線の模型や古い鉄道関連の資料が飾られている。

「よく来てくれた。まずは、忘れ物だ」

 中西駅長は、琴音のリュックと手荷物、そしてジャケットを差し出した。琴音はそれらを受け取ると、安堵の表情を浮かべた。

「さて、本題に入ろうか、九条くん」

 中西駅長は、陽介の手に握られたFUMの残骸に目を向けた。

「君のその装置……私は『FUM』という名称は知らんが、その機能、そしてそれが想子力場に与える影響については、ある程度推測できる」

 陽介は、駅長の言葉に身構えた。

「新幹線というのはな、九条くん。ただの乗り物ではない。それは、電子デバイスの塊だ。膨大な電力、精密な制御システム、そして広大なネットワーク。その全てが、この日本の大動脈を支えている」

 中西駅長は、立ち上がると、壁にかけられた日本地図の鉄道網を指差した。

「君のその装置が、もし想子力場を制御するものであるならば、この鉄道ネットワークは、君にとって最高の『素材』となるだろう。駅構内には、様々な電子部品が保管されている。古い信号システムから、最新の通信機器の予備パーツまで、多種多様なものがある。君の装置の再構築に役立つものも、きっと見つかるはずだ」

 陽介の目が、興奮で輝き始めた。彼の頭の中で、FUMの設計図が、新たな可能性と共に再構築され始めていた。

「さらに言えば、この駅には、君たちが自由に使える場所も提供できる。駅の地下には、かつて鉄道システムの開発に使われていた、今は使われていない古い開発室がある。電力供給も安定しているし、外部からの干渉も少ない。君の装置を再構築し、研究を進めるには最適な場所だろう」

 陽介は、驚きと興奮で言葉を失っていた。FUMの再構築に必要なものが全て、この駅で手に入るというのだ。

「無論、今回のような怪異が起きた時に、その装置を使わせていただきたいという下心もあるがね。」

 駅長がニヤリと笑う。

「そして、もう一つ。君たちに紹介したい人物がいる」

 中西駅長は、そう言うと、奥の扉に視線を向けた。

「彼の名は……『朽木くちき』。元は、横浜の港を管轄していたモノノフだ。彼はかつて、君のように『理』の歪みを解明し、怪異を鎮めるために戦っていた。だが……彼は戦いで大きな傷を負い、今はもう第一線からは退いている」

 駅長の声に、僅かながら悲しみが混じった。

「彼は、その戦いの経験から、多くの知識と技術を得た。特に、想子力場の構造の理解や、その人為制御については、私が見てきた中でも随一だった。君のその装置が、もし本当に想子力場を制御する機械だというなら、彼の知識が役に立つかもしれない」


 中西駅長が扉を開くと、そこにいたのは、車椅子に座った、痩身の男だった。彼の顔には深い皺が刻まれ、右手は義手、左足は義足になっているようだった。しかし、その瞳の奥には、かつてモノノフとして戦っていたであろう、鋭い光が宿っていた。

「……朽木だ。駅長から話は聞いている。君たちの『装置』とやらに、少し興味がある」

 朽木は、静かにそう言った。陽介と琴音は、新たな出会いに、期待と緊張の入り混じった面持ちで、彼を見つめていた。

 中西駅長は、朽木を陽介たちに紹介すると、すぐに開発室の案内を始めた。駅の地下深くに位置するその部屋は、かつて新幹線関連の電子機器開発に使われていたというだけあって、広い空間に整然と作業台が並び、各種計測器や工具類が所狭しと置かれていた。壁には配線図や回路図がびっしりと貼り付けられ、陽介の部屋とは比べ物にならないほど、本格的な研究環境が整っていた。

「ここを使いたまえ。必要なものがあれば、駅の備品で対応できる範囲なら提供しよう。もちろん、朽木さんもここにいる」

 卓上の金属トレイの上に、見覚えのある回路が、分析されるように丁寧に配置されているのに気づく。騒動の後片付けでホームから回収したFUMの残骸だろう。

「ああ、装置の構成物は、出来うる限り、拾っておいた。役に立つといいが。」

 中西駅長はそう言って、陽介に部屋の鍵を渡し、そっと部屋を後にした。残されたのは、陽介、琴音、そして朽木の三人だった。

 陽介は、FUMの砕けたメインユニットと観測珠を朽木の前に差し出した。

「これが……僕が作っている、想子力場制御装置、通称FUMです」

 陽介は、FUMの概念、観測珠の役割、そして想子力場と卦術の関係について、訥々とつとつと説明を始めた。彼は、自分の世界を理解してくれる相手を見つけたかのように、堰を切ったように話し続けた。

「想子力場を操作する術を、モノノフは『卦術』と呼びます。そして、その卦術を定着させる媒体が『符』だ。普通は、熟練のモノノフが自らの想子力場を込めて、儀式的な作法で符を作る。その符を使えるのは、作製した本人か、波長が合ったごく一部のモノノフだけ……ですよね?」

 陽介は、比丘尼師匠や琴音から得た知識を確かめるように、朽木に問いかけた。朽木は無言で頷いた。

「『符』は私の場合、調子が良いときで、日に3枚の作成が限界。」

 琴音が補足する。

「FUMの場合、観測珠で卦術発動時の想子力場のデータを観測数値化し、それを元に特定の卦術の情報をデジタルデータとして再構築できる。そして、そのデータを測定済みの対象の想子力場に『同期』させることで、誰でも、どんな想子力場を持つ相手でも、卦術を行使できるようになります。」

 陽介の言葉に、朽木の表情が、それまでの冷静さを失い、大きく見開かれた。

「無論、行使すれば、使用者の想子力場エネルギーレベルも減少しますので回数無限ではありませんが」

 彼の義足の足が、車椅子のフットレストの上で、かすかに震えている。

「……バカな……そんなことが、本当に……!?」

 朽木の目が、陽介の手にある観測珠に釘付けになった。彼の知るモノノフの歴史、そして彼自身の経験と常識では、ありえない「理」だった。想子力場とは、個人の肉体や精神に深く根ざしたものであり、それをデジタル化し、普遍的に適用するなど、夢のまた夢、いや、冒涜に等しい概念だったからだ。

「これまで、どれほど多くのモノノフが、自らの体質や、符の生成にまつわる制約に苦しんできたか……。お前は……それを、機械で……!?」

 朽木の声は、驚愕と、わずかながら畏怖の念を帯びていた。彼の目には、陽介が単なる「機械いじりの学生」ではなく、長きにわたるモノノフの歴史に、革命を起こす可能性を秘めた存在として映っていた。


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