国語の時間が嫌いだ

この時間が嫌いだ。


「この時の作者の心情、答えられる人」


作品が変わり、作者が変わっても必ず行われる質問。忌々しいことに、テストの問題にまで出てくる。


作者の心情を答えよ、登場人物の心情を答えよ。

果たして、何の意味があるのだろうか。人の感情を想像する力?心情を読み解く力?否、私は知っている。こんなことになど何の意味もないということを。


ある日の授業で出た作品。私はこの作者のことをよく知っている。幼い頃から、何度もこの作者の作品を読み、作品評論家なる人の文章も読み解いていた。その頃から不思議に思っていたのが、評論家によって作品の見方が180度異なることがあるということ。


不思議でありながら、同時に魅力を感じていた。小説というものは、答えが一つではない。小説というものには、決まった答えなどないのだと。


それを知ってからの私は、無我夢中でその人の作品を読んでいた。私なりの解釈をしてはノートに書き記し、評論家の文章を読み漁っては自分との違いを楽しんでいた。


だからこそ、私は知っている。登場人物の心情には、無数の考え方があることを。そして、どれだけの評論家が読み解いたところで、作者の本当の心情など作者本人にしかわからないということを。


今日も忌々しい時間が始まった。私の大嫌いな無意味な時間。こんな型にハマったやり方ではなく、みんなで心情を語り合ってディベートでもすればいいものを。


今日も教科書に書かれた答えが黒板に書かれる。作者の心情も、作品の魅力も無視して、今日も取り決められた答えだけが並べられている。

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