国語の時間が嫌いだ
この時間が嫌いだ。
「この時の作者の心情、答えられる人」
作品が変わり、作者が変わっても必ず行われる質問。忌々しいことに、テストの問題にまで出てくる。
作者の心情を答えよ、登場人物の心情を答えよ。
果たして、何の意味があるのだろうか。人の感情を想像する力?心情を読み解く力?否、私は知っている。こんなことになど何の意味もないということを。
ある日の授業で出た作品。私はこの作者のことをよく知っている。幼い頃から、何度もこの作者の作品を読み、作品評論家なる人の文章も読み解いていた。その頃から不思議に思っていたのが、評論家によって作品の見方が180度異なることがあるということ。
不思議でありながら、同時に魅力を感じていた。小説というものは、答えが一つではない。小説というものには、決まった答えなどないのだと。
それを知ってからの私は、無我夢中でその人の作品を読んでいた。私なりの解釈をしてはノートに書き記し、評論家の文章を読み漁っては自分との違いを楽しんでいた。
だからこそ、私は知っている。登場人物の心情には、無数の考え方があることを。そして、どれだけの評論家が読み解いたところで、作者の本当の心情など作者本人にしかわからないということを。
今日も忌々しい時間が始まった。私の大嫌いな無意味な時間。こんな型にハマったやり方ではなく、みんなで心情を語り合ってディベートでもすればいいものを。
今日も教科書に書かれた答えが黒板に書かれる。作者の心情も、作品の魅力も無視して、今日も取り決められた答えだけが並べられている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます