第22話 スポットライトの口づけ

 文化祭前日までの稽古の日々は、あっという間に過ぎていった。


 台詞も所作も自然と口をつき、立ち位置も体に馴染んでいく。

 それでも、静流と視線を交わすたび――あの真剣な瞳に胸が高鳴るのは変わらなかった。


 そして、ついに当日がやってきた。


 聖ミスティリア女学院・文化祭。

 校舎はリボンや花々で飾られ、通りにはカメラを構える保護者や観客があふれている。

 講堂のステージには、ひときわ大きな横断幕が揺れていた。


幻想劇純白の恋姫――主演・天城 悠花』


 実際に主役と書かれているのを見ると、ずしんと実感がわいてくる。


(本当に男の俺で良かったんだろうか……)


 舞台裏の鏡の前、白ドレス姿で固まる悠。

 ふわりと巻かれた髪、淡いローズピンクのリップ、儚げなチーク――


(なんか……女子より女子してない……)


 その肩に、そっと温かな手が置かれた。


「緊張していますの?」

「し、静流さん……!」


 その声は、ドレスの布地よりもやわらかく――可愛らしく感じられて。

 その瞳は、照明の光よりもまっすぐで――かっこよく感じられて。

 悠の胸の鼓動は、もう演技のためのものではなかった。


 ◆


 ――――幻想劇純白の恋姫、開幕。


 幕が上がる。

 観客のざわめきが、潮騒のように遠のき、光の中で台詞が響く。

 きらめくドレスの裾が、絹のさざ波を立てるように揺れた。


 物語は、“政略結婚を強いられる王女”と、“彼女を陰から護り続ける騎士”の恋。

 身分の壁が二人を引き裂き、国の未来と引き換えに愛を捨てるかどうかを迫られる ――儚くも激しい恋の物語だった。


 観客の視線が、一斉に舞台中央へと吸い寄せられる。

 そこには、王国の庭園を模した美しいセットの中、姫と騎士が向かい合っていた。

 絹のカーテン越しに差し込む光が、二人の間に細やかな影を落とす。

 騎士は姫を守るため、婚約の破棄を申し出る。

 姫は涙を隠すように、扇を口元に寄せた。


「……あなたの忠誠を、誰よりも誇りに思っております」

「ですが――その決断は、姫を傷つけることになりましょう」


 観客席から、小さな溜息がもれる。

 悠は台詞を口にしながら、静流の真剣な眼差しから逃げられない。


 ほんの一歩、近づく距離。

 白ドレスの裾がふわりと揺れ、銀糸の刺繍が照明を受けて星のようにきらめいた。


 騎士は姫の指先に触れる。

 指先は小刻みに震え、けれど決して離れない。


 そのわずかな沈黙さえ、観客の心を掴んで離さなかった。


「……姫、どうか……お達者で」


 別れの予感が、舞台全体を覆い尽くす。

 観客の視線が、二人だけの世界に吸い込まれていく――


 ◆


 そしてクライマックス。

 別れを告げる運命の前で、姫が言う。


「あなたを愛したことだけは、何よりも誇り……でした……」


 その瞬間――脚本にはない台詞が舞台上に響いた。


「……ならば、わたくしは世界を敵に回してでも――あなたを奪いますわ」

「えっ……!? えええっ!?」


 観客がどよめく中、静流が――本当に、キスをしてきた。

 淡いローズの香りが、悠の唇をそっと撫でる。

 スポットライトの真下で。全校生徒の目前で。


(い、いま……キスされた……!?)


 客席が大きく波立つ。


「いまの台詞、脚本になかったよね!?」「アドリブ!? 本当に?」

「姫、完全に落ちた顔してた……」


 悠は舞台上でただ呆然と立ち尽くす。

 静流は騎士役のまま、悠の手を取ってそっと囁いた。


「……ごめんなさい。我慢が、できませんでしたの」


 ◆


 終演後――控室にて。


「し、静流さん、なんで……」

「あなたが、あまりにも……美しかったから」


 その一言に、悠の胸は強く打たれた。


(……もう……この人、反則すぎる……)


 ◆


 そして、その夜。

 学園のSNSのトレンドはこうなった。


 #キス姫爆誕

 #静流様のアドリブ破壊力

 #姫は誰より可憐で、誰より姫だった

 #天城悠花の沼が深い件


(ああああ……! もう、お嫁……いえ、お婿にも行けないっ!!)


 文化祭の舞台は、悲鳴とともに幕を閉じた。


 だが――その熱狂の裏で、ひとつの影が忍び寄っていた。

 レンズ越しに切り取られたその瞬間は、祝福と興奮だけでなく……

 ほんのわずかな違和感までも、鮮やかに焼き付けていた。



 Side Story:鳳院 静流


(……幕が上がる瞬間まで、自分がこんな無茶をするとは思っていませんでしたわ)


 台本通りに演じることなど簡単。

 けれど、それでは足りないと思ってしまったのです。

 舞台袖から見た悠花さんは、あまりにも――完璧で。

 光を纏った白ドレスの裾が揺れるたび、心が締めつけられました。


(あの瞬間、私は騎士役ではなく、ただの“ひとりの女”になっていたのです)


 別れの台詞を言われたとき、胸が痛みました。


 ――奪いたい、と思いました。

 

 だから、あのキスは演技ではありません。


 台本にも稽古にもない、わたくし自身の感情でした。

 唇が触れた瞬間の驚いた瞳。

 それがたまらなく愛おしかった。


(ごめんなさい、悠花さん……でも、後悔はしておりませんわ)


 舞台は終わっても、この想いは――幕を下ろすつもりなどないのです。

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