悪夢は現実となり得るのだろうか
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「っぅー………はぁー…はぁー……ふぅー………」
久しぶりに見た夢に目を覚まし、速まる鼓動と汗ばむ体に反して冷えた体、首の抗いがたい違和感に堪えられず、飛び起きた。
5畳ほどの、私の小さな寝室。オレンジがかった電球色のランプがつけっぱなしのままになっているのが目に入る。
何の意味があるのかと思うベッド横の窓枠の向こうに景色はなく、変わらずレンガの壁があった。その壁を見つめながら、自分の枯れ細った首を触って確認した。
風呂に入る以外で必ず身に付けている物がない。うっかりしていた。
ベッドの周辺、枕の下、起き上がって机やランプの側を探すと、飾ってあったパンダのぬいぐるみの手の上に、愛用のチョーカーを見つける。
鏡台の鏡の前に移動し震えが止まっていない手で、汗ばんだ首にチョーカーを着けた。黒いベルトの革生地に、赤いガラス飾り。揺れると、鈴の音が鳴る首輪。首と体の中心にこれを着けていないと、落ち着かない。
あの骨と皮膚が裂かれる音と感触が、今も痒さと共に現れるから。今みたいな悪夢に、苛まれてしまう事にも。
「…散歩でもすっか」
寝癖のついた髪の毛、ブラジャーも必要ないこの細身。気楽な白のタンクトップと短パンのまま、側にあったサンダルに足を突っ込んで部屋から出て、階段を降りる。
下の部屋は、同居人が道楽でやってるアンティーク雑貨の店。戸締まりしてとっくに暗くなっていたが、店のランプがいくつかついたままになっている。店内の時計を見ると、まだ深夜の3時だった。
あの日と同じ時間だ。そう思いながら店を出て、狭い街道を道なりに歩いた。
ここでは空は見えない。コンクリ、煉瓦、土壁、木材、ありとあらゆる壁に囲まれている。それでも、その隙間から外からの空気は入り込んでくる。どれだけ密閉しても、隙間は必ず出来るから、確実に全てを防ぐことは出来ない。
「嬢ちゃん、こんな夜更けに何処に行くんだい?」
ただでさえ狭い通路を塞ぐ、いかにもチンピラって奴らに声をかけられた。
三人。こんな二人一緒に通れるかも微妙なほど狭いところで何してたんだか。ヤニの臭い、路上喫煙なんぞ珍しい話でもない。ここじゃ誰でも吸う、なんなら子供でも。
値踏みするように近づいてガン飛ばしてきたそいつらに何の問題があるのかと言えば、その糞みたいな面と風貌、纏わりつく雰囲気、ヤニの臭いから推測される銘柄。ここの人間ではないという事だ。
「へっ、マブイじゃねぇの。顔はいいが~胸がないのが、残念だねっー」
「おい、いくら美人だって、そりゃガキじゃねぇか」
「いーよいーよ、俺全然イケるよ。この辺りじゃ、こういう子だって売ってるって聞くぜ??なっ?」
「病気持ちだったらどーすんだよ」
「嬢ちゃん、ね、いくら?3元?あ、嬢ちゃんマブイからよ、5…いや、8元出すぜ?なっ?いい??」
……おい。5歳児でも出せる値段で私買おうと思ってんの?私が美形なの承知で言い値がそれって、バカなの??
「……
余所者の馬鹿三人組に対し、第一地元民の親切心でそう言ったら、はっ?って顔をされ、ヘラヘラと笑い始めた。
「
臭い息吐きながら、私を壁沿いに追い込んできて逃げられないよう両手を私の顔の横についてくる。
あぁ、ほんと、今日の夜はついてない。よりにもよって機嫌が悪い時に、こんなゴミの相手をしなきゃならんとは。
「
「そりゃー知ってんぜ、みーんな知ってるよ!香港マフィアとギャングの巣窟、イギリスと中国政府の支配を唯一受けないスラム要塞、入ったら絶対に出られない魔境、そんなこんなぜっーんぶ知ってるよ?それがどうした?俺達がここにいちゃイケねぇ理由ってのは、ねぇーーはずだぜ??」
「…じゃああんたら、喰われても文句無いね。ここに住まう、"怪物"に」
"怪物"
その言葉を発した時、取り巻きの一人の表情が何か思い出したように曇った。
「怪物ぅ?確かに
「…なあ…確かにいるぜ、九龍の怪物…」
「はぁ?何の話だよ」
「従兄弟の兄貴が、
唯一口利けた奴の話によりゃ、みかじめ断って商売続けてたら、皆脳みそを吸われちまったって…」
「脳みそー?バカ言え!単に見つかって、どっかの組にリンチに遭ったってだけの話だろ!」
「兄貴はまだ幸運だった…帰って来れたんだからよ。殆どはここから生きて出れることがない。勝手な真似して、
「俺ぁ勝手な真似なんかしてねぇよ!!商売女とヤるぐらい、世界中何処だってやってるもんだろ!!あほったらしいわっど阿呆っ!!」
取り巻きの一人はいくらかマシな知識があるようだけど、グループの中でも、声がでかい奴が一番阿呆だと、可哀想にもなってくるな。まぁ、そんなことは、怪物にとって何の関係もない。
__上の蛍光灯の光が点滅し、やがて消える。外からの光が一切入らないこの通路は闇に包まれ、地の底からこの世ならざる
蛍光灯の光が消えたとてよくある話だが、バカでも阿呆でも、この異質な空気と気配には気付くだろう。
今気付いたとして、もう生きて帰る道はないけど。
「なんだよ?おい…」
「なあ!やっぱやべえって!!帰ろう!!」
「なーにビビってんだよ!!九龍で女買おうって言ったのおめぇだろ!?」
「言ってねぇよ!!こんな気味がわりぃとこな、俺は来たくなかったんだ!!」
気付いたときにはもう遅い。そう、遅すぎる。あんたら、皆分かってなさすぎるよ。
「っ…!?お、おい!!なんだこれ!?」
「っ!?お前ら何処行くおいっ!?っ…!!何しやがった!!」
今さら胸ぐらを掴もうが、吠えようが、泣きわめこうが、何もかも、もう遅い。
「話は何も間違っていない。バカの1つ覚えに、全く使えないがらくたを組み立て売り捌いて、金をせしめてた。そんな事は別にどうでもいい。ただその金の内、たった40%を、"町内会"へ払わなかった事が、運の尽きだったってわけさ」
自分には手に負えない場所にまで首を突っ込んで、節操もわきまえず、好き勝手に引っ掻き回そうとして、最後に待つのが何処であるか、何であるか。少し考えれば、分かったはずだ。
目の前にいる人物が、何処の誰かも分からないのに、舐めてかかれば、小銭で股を開く頭の悪い女ぐらいにしか考えていない。
もしかしたらカニバリズムか、いや、ただ単に、人殺しがしたいような化け物かも知れないと言うのに。私はそうじゃないけどね。愚か者を殺すことに関しては、何とも思わないだけで。
突然闇に怯え、叫び、消えた二人の行方など知らず構わず、私の肌着一枚を掴んで詰め寄る男にも、その片鱗は分かりやすいように見えてきた。
体の中から通り抜けてくる。そして目と鼻、口、耳の中から、黒い液を垂らす触手が、見るに堪えない醜い体に這い出す。
「なんっ…だこれ…!!俺の中にっ…何が…」
息は辛うじて出来ている男が私から手を離し、這い出してきた触手を引きちぎろうとするが、そうできないほど太く力強いそれは、やがて向かい側の壁からも染みでて、男の体を絡めとった。
「だ…っ…がっ…おま……」
「生きて田舎へ帰れたのは、恩赦じゃない。この辺で見つかるがらくただけだと、見た目を新品の日本製っぽく誤魔化すのは難しい。ここで集めた部品じゃ事足りなくなり、村の親戚連中が都会に出て使えそうな部品を漁り、時には観光客からオーディオ類の機械を盗んでバラすなんて協力プレイを見せて、
だから村の奴らにも知って貰う必要があっただけの事。また次が来られても困るだけだから。ちなみに、脳みそは吸ってない。
「ここのボスは黒社会の何処の誰でもない。のこのことやってきた、パチもん売りの田舎者でもない」
「っー!!っーーー!!」
「会ったのが、私で良かったね。
「ったっ…たす……!!」
「嫌だね。今夜の優しい怪物はさ、胸糞機嫌が悪いんだ。よく覚えておくがいい」
コンクリの壁の中に飲み込まれていく男の這いつくばった姿を見下ろして、邪魔なものが取り除かれた通路に、また足を踏み出した。
「私はお前らの言う怪物。
_____今宵は、悪夢を見る。今、在りし日の夢は、目を覚ます。
さあ、共に悪夢を見ようじゃないか?
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