第12話 鏡の中の違和感
忘れられた日本の足跡
ホーム このブログについて フィールドワーク記録 お問い合わせ
---
鏡の中の違和感
カテゴリ: 雑記 , 民俗学考察
投稿日時: 2025年9月24日
こんばんは。久坂部です。
前回の更新から少し時間が経ってしまいました。笹川トメさんへの二度目の聞き取り調査は、私にとって大きな発見があったと同時に、精神的に少なからぬ衝撃を残しました。彼女の記憶が目の前で混濁していく様は、今も脳裏に焼き付いています。
今回の記事は、調査報告ではありません。この数日間、私の身辺で起きている、いくつかの些細な、しかし奇妙な出来事についての記録です。
このような私的な感覚をブログに記すことには、ためらいがありました。調査対象と観察者であるべき自分自身の感覚が、客観性を失い始めている証拠ではないか、と危惧するからです。しかし、民俗学の調査において、記録者は自身の状態すらも記録の対象としなければならない、という考え方もあります。私は、自分の理性を保つためにも、ここで起きていることを正直に書き留めておこうと思います。
最初の異変は、三日前の深夜のことでした。
書斎で論文を読んでいた時、不意に、部屋の隅から「ぽつり」と、水滴が一滴だけ落ちるような音が聞こえました。エアコンも止めており、部屋に水気はありません。もちろん、上の階からの水漏れの可能性も考え、天井を確認しましたが、シミ一つありませんでした。私は、深夜の静寂が生んだ幻聴だろうと、すぐに結論付けました。
次は、昨日の夕方、大学からの帰り道のこと。
駅のホームで電車を待っていると、ふと、視界の本当に端の方を、黒い影のようなものが、さっと横切った気がしました。慌ててそちらを向きましたが、そこには誰もいません。これも、人の流れが生んだ錯覚か、単なる目の疲れだろう、と。
そして、決定的な違和感を覚えたのは、今朝のことです。
洗面台で顔を洗い、タオルで顔を拭きながら、何気なく鏡に映る自分を見上げました。
その、ほんの一瞬。1秒にも満たない時間だったと思います。
鏡の中の私は、まだうつむいたまま、顔を上げていませんでした。
私が「え?」と思うのと、鏡の中の私が、まるで何事もなかったかのように、寸分違わぬ動きで、すっと顔を上げるのは、ほぼ同時でした。そこには、いつも通りの、少し寝ぼけた私の顔があるだけです。動きの「遅延」。それ以外に表現のしようがありません。
もちろん、これらすべて、調査による疲れが溜まっているだけなのでしょう。この夏は、ほとんど休みなく赤坂田市へ通い、夜は夜で資料の分析に追われていました。睡眠不足と精神的なストレスが、脳に些細なバグを引き起こしている。そう考えるのが、最も合理的で、科学的な結論です。
民俗学者が、自分で怪異を「体験」してどうするんだ、と自分でも笑ってしまいます。土地の記憶を追ううちに、自分がその土地の幻想に取り込まれてしまっては、本末転倒です。
今回の記事は、私自身への戒めです。
少し休めば、こんな幻覚も消えるはずです。調査は、一度冷静になってから、また再開しようと思います。
(久坂部 誠)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます