第2章:侵食

第11話 笹川トメ氏への聞き取り(2)

忘れられた日本の足跡

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わらべうたの深層:笹川トメ氏への再訪問


カテゴリ: フィールドワーク , 現代民俗学 , 赤坂田市

投稿日時: 2025年9月19日



こんばんは、久坂部です。


前回の記事で今後の調査方針をまとめてから数日、私はまず、すべての発端となった笹川トメさんへの再度の聞き取り調査を行うことにしました。目的は、読者の方から情報をいただいた、あの不気味なわらべうた、『うしろのかがみ』について、詳しくお話を伺うためです。


施設の職員の方にあらかじめ連絡を取ったところ、幸いにも笹川さんの体調は落ち着いているとのことで、再び面会の許可をいただくことができました。


しかし、今回の調査で彼女の口から語られたのは、子供の遊びというにはあまりに禍々しい、古い儀式の記憶でした。そして、私はその記憶に触れることの「危険性」を、身をもって知ることになります。


【以下は、笹川トメ氏への二度目のインタビュー記録です。】


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インタビュー記録


・日時: 2025年9月18日 14:30 - 15:15

・場所: 特別養護老人ホーム「あさなぎの丘」笹川トメ氏の居室

・対象者: 笹川トメ氏(88歳・女性)


【記録開始】


[職員の方の案内で、笹川氏の居室へ。前回と同じ、日当たりの良い部屋だ。しかし、今日はなぜか部屋の空気がひどく冷たく感じられた。姿見にかけられた白い布が、やけに目に付く。]


久坂部: 笹川さん、ご無沙汰しております。久坂部です。またお話を伺いにまいりました。


笹川: ああ、大学の先生。よう来なさったね。この前は、途中でぼけてしまってすまなかったねぇ。


久坂部: いえ、とんでもないです。お元気そうで何よりです。実は今日お伺いしたのは、笹川さんがお住まいだった地域に伝わる、子供の遊びについてお聞きしたくて。


笹川: 遊び?


久坂部: はい。『うしろのかがみ』という遊びをご存知ではありませんか?


[その名前を聞いた途端、笹川氏の穏やかだった表情から、すっと色が抜けた。彼女はしばらく黙り込み、それから、絞り出すような声で呟いた。]


笹川: ……なんで、そんなもん知ってるんだい。あれは、ただの遊びじゃないよ。


久坂部: と言いますと…? 歌詞を教えていただいたのですが、「おいでおいで このいどに」と…。


笹川: そうだよ。鬼は輪ん中の真ん中に座る。みんなが歌い終わったら、鬼は自分の真後ろにいる子の名前を当てなきゃならん。


久坂部: はい。


笹川: あんた、「かがみ」は何のことだか分かるかい?


久坂部: 鏡…でしょうか?


笹川: 違うよ。 [彼女はゆっくりと首を横に振った] 井戸の水面(みなも)のことさ。鬼はね、目を閉じて、心の中に井戸を思い浮かべるんだ。そして、その真っ暗な水面に、真後ろの子の顔が映るのを、じっと待つんだよ。


[私は息を呑んだ。遊びと神託の儀式が、あまりにも生々しい形で結びついていた。]


久坂部: では、最後の「つれていかれたら かえれない」というのは…


笹川: 名前を当てるのを間違えたり、欲を出して水面の奥を覗きすぎたりすると…オイカガミ様が、その子を気に入っちまうんだ。気に入られた子は、水の中に自分の顔じゃなく、にっこり笑う神様の顔が映る。そうしたら、もうおしまい。井戸の底に、魂を持っていかれちまうんだよ。ワシの隣の家のタケ坊みたいにね。


[彼女はそこまで一気に語ると、急にがくりと首をうなだれた。呼吸が少し荒くなっているように見える。]


久坂部: 笹川さん、大丈夫ですか?


笹川: ああ…。なんだか、昔のことを話してたら、頭がぐらぐらしてきた…。古い記憶を掘り返すのは、年寄りには良くないねぇ…。水が、黒い水が…。


久坂部: 無理なさらないでください。今日はもう、この辺で…。


[私が立ち上がろうとした、その時だった。うつむいていた笹川氏が、ゆっくりと顔を上げた。そして、まるで初めて会った人間を見るかのような、全く感情の読めない、虚ろな目で、私をじっと見つめた。]


笹川: ……ところで。


久坂部: はい。


笹川: あんた、どなただったかね…?


[その言葉に、私は全身の血が凍るような感覚に襲われた。彼女の瞳には、つい先ほどまで私を認識していた光は、もうどこにもなかった。]


【記録終了】


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面会はそこで打ち切りとなった。職員の方によれば、笹川さんのような症状は時折見られるものだという。


だが、私にはそうは思えなかった。彼女の記憶の混濁は、あの禁断の遊びについて語った直後に、あまりにもタイミングよく訪れた。


まるで、何かを語りすぎた彼女から、その「記憶」そのものが、目に見えない力によって抜き取られてしまったかのように。


そして、その「何か」は、次に私を見ている。そんな確信にも似た恐怖が、今も私の背中に張り付いている。


(久坂部 誠)

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