開けた瞬間、むせるような薔薇の香りが周辺に漂った。

 棺の中には真っ赤な薔薇が敷き詰められていたからだ。おかげで、血の生臭さなどが一切感じられなかったのは幸いだ。

 その中に埋まるように横たわっていたのは、黒いタキシードを着た細身の男。身長は一八〇センチ近くありそうだ。黒髪をオールバックにし、二十代と思われる端正な顔は青白い。両目をつぶり、薄い唇にはかすかに微笑みすら浮かんでいた。ただしその端からは細く赤い筋がたれている。もちろんそれが血であることは明らかだった。

 全身が太い鎖で巻き付けられていて、端部どうしを溶接したのか、つなぎ目がわからない。さらにそれとは別に、首、胴体、膝のあたりに鎖が掛けられ、その両端は棺の側面の板に金具でがっちりと固定されていた。つまりは完全に封印された格好となり、たとえ生きていたとしても棺の外に出ることはもちろん、身動きすらほとんどできないだろう。

 そんな状態にもかかわらず、両手は胸の下あたりで握り合わされ、あたかも穏やかに逝ったように見える。その胸さえ見なければ。

「これは……」

 ヤンキーはそれを見て絶句した。

 周りにいたあたしたちも似たようなものだった。呼吸することさえ忘れ、立ち尽くし、棺の中に眠る者を凝視し続けた。

 その胸には太い杭が打ち付けられていた。もちろんその周りは血で染まり、絶命しているのは明白だった。

「吸血鬼かよっ!」

 ようやく気を取り直したらしいヤンキーが吐き捨てる。たしかにこいつが言うように、棺の中の男は成敗された吸血鬼を連想させる。見た目といい、胸の杭といい。

 鎖で身動きできないようにして、杭で命を絶つ。どうしてもそんなことを考えてしまう。

「これ、本物なの?」

 黒髪ロング優等生が誰にともなく聞いた。

 これは本当に死体なのか? 蝋人形かなにかではないのか? あるいは、胸の杭はフェイクで実は生きているのではないか?

 あたしの頭の中に疑問が駆け巡る。

 少なくとも腐敗臭のようなものは感じられなかった。だが鼻を近づけて嗅ぐと、薔薇の香りに混じって生臭いようないやな匂い、おそらく血の匂いがする。

 同時に冷気を感じる。腐敗を遅らせるため、薔薇の下にでも保冷剤が入っているのだろう。

 玻璃が死体の手に触る。意外に大胆なやつだった。

「弾力がある。少なくとも蝋人形じゃない。……たぶん、本物だよ」

「死んだふりじゃねえのかよ?」

 ヤンキーがつぶやくように言った。

「脈がない」

 玻璃は首筋に指を当て、言った。

「呼吸による胸の動きもない。死んでるよ」

「誰が殺したんだ!」

 ヤンキーが鋭い目つきであたしたちを睨み付ける。

 誰も答えない。

 だがヤンキーが言うように、この男が誰かに殺されたのは明確だ。自殺でも事故でもあり得ない。あんな太い杭を自分の胸に打ち込むのは不可能だ。

「誰がやったかって聞いてんだ!」

「知らないわよ!」

 怒鳴り返したのは、気丈な優等生ぽい女。

「誰かは知らないけど、明白よ。あたしたちを誘拐した犯人に決まってる」

「そいつはどこにいんだよ?」

「あたしが知るわけないでしょ」

「おめえらは知ってんのか?」

 あたしと玻璃に向かって叫ぶ。

「悪いけど、知らない」

 そういうしかない。玻璃も静かに首をふった。

「くそっ、くそっ、いったいどういうことだ?」

 ヤンキーが頭を抱える。

「全員目覚めたか?」

 いきなり後ろから声がした。全員そっちを向く。

 そこにいたのは、背が小さい男で、黒いジーンズ、ダボダボのバーカーはやはり黒いという格好をしていた。年はおそらくあたしたちよりすこし下くらい。はっきりいって女のような美少年だった。体からは水がぽたぽたと床に落ちている。べつに水も滴るいい男と言いたいわけじゃない。豪雨の中、外から来たらしい。

「おめえか、おめえがやったのかっ!」

「俺がやったかだって? ひゃっはははは。うけるぅ」

 そいつは顔に似ず、下品な笑い声を上げると、上体を前後に振りつつ、両手をぱんぱんと叩きまくった。まるでおもちゃのサルのように。

「俺もさっきまでそこにいたんだよ」

 美少年は空の棺を指さす。

「あんたたち同様、棺桶からよみがえったゾンビだよ。ただ目を覚ましたのが、あんたたちよりちょっと早かっただけさ」

「おめえ、ひとりで動き回ってなにをやってた?」

「周りの状況の確認さ。あったりまえだろう? ここがどこかもわからないんだぞ。スマホがあれば簡単にわかるんだけど、残念ながら没収されたようだしな」

 その台詞にあたしと少年を除いた全員がポケットをまさぐる。

 全員、スマホはないようだった。

「それでどうなの? まわりはどんな状況?」

 優等生女が聞く。

「島だよ、ここは。それもすごく小さい」

「小さいってどれくらい?」

「歩いてもすぐに一周できる。建物はこれひとつだけだな」

 いやな予感がした。つまり、この島には、あたしたち以外誰もいないのでは?

「船かなんかねえのかよ! あ?」

「ないね。まわりは断崖絶壁、船を着けられそうなところは一カ所しかなかった。そしてそこには大型の船はもちろん、小型のボートすらなかった」

「それがほんとなら、あたしたちをここに連れてきたやつは、死体を置いて、船で立ち去ったってことじゃない」

 優等生女が言った。

「なんのためにそんなことをするっていうんだ?」

 ヤンキーが吠える。

 もちろん答える者はいなかった。

「おい、建物がここしかないというのは間違いないんだろうな?」

「間違いないね。はっきりいってここは小さな無人島だ。この屋敷以外はな。島のどこからでもこの屋敷は見えるが、それ以外にはない。ちなみにこの建物、玄関前に夢幻館と書いてあった。ひゃひゃひゃ、受けるぜまったく」

「夢幻館? は? 幻だっていうのかよ、ここは」

 ヤンキーがいらついた声で言う。

 確かにここには現実感の欠片もない。

 しばしの静寂のあと、美少年が言う。

「なあ、とりあえず自己紹介でもしようぜ」

「そんな悠長なことをしてる場合かよ? とっとと警察に連絡するべきだ」

「どうやってだよ? 誰もスマホを持ってないし、この屋敷に電話はない。ネットにつながったパソコンも。ついでにこの島にはここしか建物はないんだぞ」

 一瞬の沈黙のあと、優等生女が言った。

「そうね。名前くらい知らないと呼びようもないしね」

「賛成」

 あたしが言うと、玻璃とゴスロリ少女もうなずいた。

「まず俺は幽目宮幻一郎ゆめみやげんいちろう

 美少年が名乗った。

「都内の明誠義塾高校一年、十五歳だ」

 あたしは内心驚いた。

 明誠義塾高校といえば、東京でも有数の進学校。そんな秀才に、というより、そもそも高校生に見えなかった。せいぜい中学生、ひょっとしたら小学生かもしれないと思っていたのに。

「あたしは月夜野霧華」

 次にあたしが自己紹介する。

「都立緑が丘高校の一年生、十五歳よ」

「ボクは霧華のクラスメイトの水沼玻璃、やっぱり十五歳だ」

 玻璃が続く。

 ひょっとして誘拐犯は、都内の十五歳の高校生に狙いを絞ったのだろうか?

 いや、あのヤンキーはどう見ても高一とは思えない。

「あたしは横浜青磁学園一年、国友さゆり」

 優等生女が言う。東京縛りも消えた。

 この学校もたしかそれなりに有名な進学校だったはず。

「剣道部所属で趣味は読書」

 国友は情報を付け足した。

「ウチは黒川絵美です。十五歳。家は千葉。……高校は行ってません」

 ゴスロリはちょっとばつが悪そうな顔で、ぼそぼそという。

 フリーターなのか、あるいは受験で失敗し、来年ふたたび高校受験するのか?

 まあ、ニートだとしても、あたしには関係ないけど。

「榊原玲司。鳶職。二十歳だ」

 最後にヤンキーがつまらなさそうに言う。

「共通項がないな」

 幽目宮がつぶやく。

 たしかにそうだ。年齢縛りも、高校生という縛りも消えた。誰か知らないが、なにを根拠にこのメンバーをそろえたのだろうか?

「で、誰かここに来る前の状況を詳しく覚えているやつは?」

 幽目宮があたりを見回す。みな考え込んだ。

「あたしはここにいる玻璃と一緒に学校から帰った。そこまでは覚えてるけど、その途中から記憶がない」

 あたしが口火を切る。

「帰宅はどうやってだよ。徒歩か? 電車? それとも自転車かよ?」

 聞いたのは幽目宮。

「電車だけど、……そういえば、電車に乗ったかな? 歩いている時点の記憶しかない」

「そういえば、ボクもそうだな」

 玻璃が同意する。

「つまり、電車に乗る前に拉致されたってことか?」

「よくわかんない」

 もし駅に向かう途中で誘拐されたとしても、なぜその状況を思い出せないんだろう?

「なんかの薬でほぼ瞬間的に眠らされたんじゃねえのか? 俺も似たようなもんだ。現場が終わって、車で帰ってる途中で……」

 榊原は言ってる途中、首をかしげた。

「おかしいな。俺は何人かと一緒に車に乗ってた。そいつらはどうなった?」

「ウチは……家にいました。その記憶しかないんですけど」

 黒川が言う。やっぱりニート?

 いや、問題はそこじゃない。家にいたのに、記憶を失って、気づいたらここ?

「あんたの家に押しかけて、さらっていったって言うの?」

 国友が信じられないといった顔をする。

「じゃあ、あなたは?」

「……塾にいた」

「そっちのほうがありえねえだろ! まさか、誰かしらねえが、塾に乗り込んで、おまえをさらえるはずがねえ」

 榊原の言うとおりだ。もしそんなことになったら大問題だ。

「俺は警視庁にいた」

 意外なことを言ったのは幽目宮だった。

「警察? なんかやったのか、おまえ?」

「馬鹿言うなよ、おまえじゃないんだぜ。刑事に意見を聞かれたのさ。事件解決のためのね」

「は? なんだそりゃ? おまえ、名探偵か何かか?」

「そう思ってくれていい」

 ほんとうにそんなミステリー小説みたいなことがあるわけ? いや、問題はそれよりも、幽目宮が警視庁にいたということだ。それがほんとうなら、誘拐犯は警視庁に乗り込んだことになる。

「これって、現実のことなの?」

 あたしは思わずつぶやいた。

 みなさらわれたときのことをはっきりとは覚えていないが、誘拐するには極めて困難な状況だ。そして気づいたら見知らぬ島に連れ込まれ、そこには死体が……。

 夢の出来事としか思えない。それもとびきりの悪夢。

「夢としか思えない状況だが、それでもこれは現実だ。で、どうするよ、これから?」

 榊原が誰にともなく聞いた。

「外の状況を確認するか?」

「いいや、やめた方がいい」

 ただひとり、外部を見て回った幽目宮が言う。

「もう、真っ暗だし、雨と風も強い。周辺は絶壁。はっきりいって危険だ」

「あ? じゃあ、この屋敷の中を見回るか?」

 全員が榊原の意見に同意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る