夢幻の章 一

 風が鳴いている。耳障りなほどに。

 同時に雨の音。それもバケツをひっくり返したような大げさな音。

 あたしは眠っていたらしい。静寂を破ったそれらの音に目を覚まされるが、なぜか暗闇の中だった。電気をつけるため立ち上がろうとすると、額をなにかにぶつけた。

 なに?

 あたしはこのとき、ようやく自分が自宅のベッドに寝ているのではなく、とても狭いところに入っていることに気づいた。

「ここはどこ?」

 途端に不安になる。おそらく細長い箱のようなものの中に、今自分は横たわっている。もちろん、そんなところで寝た記憶はない。

 手探りでまわりの状況を確認し、それこそまるで棺桶のようなものの中にいることが確認された。

 閉じ込められた? 生きたまま、棺桶の中に?

 まさか、そのまま土中に埋められて……。

 冗談じゃない!

 あたしは両手を跳ね上げた。

 かすかに光が入る。今ので蓋が開いたらしい。

 深呼吸をし、気を落ち着けると、今度は静かに蓋を押し上げた。

 ぎぎぎと、木がかしぐ音がして、蓋は開く。どうやら閉じ込められたわけでもないようだ。

 上半身を起こし、周りを確認する。

 見覚えのない部屋だった。古びた洋館のような感じで、薄ぼんやりとした明かりが室内を照らす。磨かれていない石でできた壁、壁のあちこちにある縦長の細いガラス窓。ガラスは雨にたたかれ、見える景色は、黒ずんだ空と、風に揺れる木々。とりあえず今は夜のようだ。

 二階部分は吹き抜けになっていた。さらに天井はボード張りではなく、古い木製の梁や屋根の裏側が丸見えだったため、かなり広い空間が開けている。照明は壁付けのもので蛍光灯の白い光ではなく、やや黄色がかっていて、それほど明るくもない。それに照らされる床は、白っぽい大理石のようだ。

 床には黒い棺が並んでいた。円を描くように。

 もちろん自分が入っていたのは、そのひとつだった。ただ他の棺はまだ扉開いていない。蓋が閉まったまま、音も立てず、ただただ横たわっている。その数、あたしが入っていたのを合わせて八つ。

「ほんとにどこよ、ここ?」

 まるで見当がつかない。少なくとも今まで一度も来たことのない場所だった。

 自分の服装を確認する。紺のブレザーに短めのスカート。白いソックスに黒の革靴。自分の通う高校の制服だ。

 なにが起きたのか思い出そうとするが、うまくいかない。放課後、学校を出たあと、家に帰った記憶はなかった。かといって、通学路でなにか特別なことが起こったようにも思えない。

 拉致? あたしは拉致されたんだろうか?

 ぴんとこなかった。あたしの学校は平凡にして平和な公立校で、まわりに危ない輩はいないし、誰かに恨まれる覚えもない。親は平凡なサラリーマンで、営利誘拐のはずもない。

 ポケットを探る。あるはずのスマホがなかった。何者かに奪われたらしい。

 助けも呼べないし、位置情報もつかめない。もっとも、これがほんとうに拉致誘拐の類いならば当然のことだった。犯人がそんなものを被害者にいつまでも持たせておくわけがない。

 腕時計は取られていなかった。時間を確認すると、八時過ぎ。外の暗さから、午後八時だろう。

 隣の棺桶が蓋が不意に開いた。つい身構える。

 そこから半身を起こした人物はあたしと同じ制服を着ていて、長身スレンダーで長いポニーテールが似合う正統派美女。よく知った顔だった。

玻璃ハリ?」

 あたしの仲のよいクラスメイト、水沼玻璃だった。見た目の女らしさとは裏腹に、けっこう男っぽい性格で、自分のことをボクと呼ぶ。

「霧華? なに、どういうこと? どうしてボクたちはこんなところにいるんだい?」

 玻璃はあたしに尋ねる。もっともあたしに聞かれてもわかるはずもない。

 そういえば、少し思い出した。あたしは玻璃と一緒に学校を出た。そのあとのことはよく思い出せないけど。

「あたしたち、ひょっとして一緒に誘拐された?」

 そう尋ねつつも、そんな覚えはない。

「まさか、と言いたいところだけどどうだろう? ボクも途中の記憶がない」

 玻璃もあたしと大差ない状態らしい。

「ひょっとして、残りの六人もクラスメイト?」

 とっさに思いついたことを口にする。

「六人?」

 玻璃にはピンとこなかったようだが、あたしにはとうぜん、残り六つの棺にもひとりずつ入っているとしか思えなかった。しかもそれはクラスメイトの可能性が高い。なにしろ、八つの内、ふたつがそうだったのだから。

「開けてみようか?」

 玻璃は残りの棺を指さした。

「冗談でしょ?」

 あたしはぶんぶんと首を振った。

 普通、棺桶なんか頼まれても開けない。なぜなら中に入っているのは、死体と相場は決まっているからだ。

 そんなものは見たくないし、関わりたくない。

 ただ、今回はその可能性は低い。おそらく生きた人間が入っているだろう。しかもひょっとしたら、あたしたちのクラスメイト。

 もし別の誰かが入っていたり、あるいは誰も入っていないのなら、それはそれで確認したい気もする。

 ただ確認するのが怖い。積極的に蓋を開けたいという気にならない。

 でも、もうしばらくしたら起き出してくるだろうから、その前にこっちから蓋を開けた方がいいのだろうか? 状況がわからないまま、長い時間待つのもいやだ。

 開ける方にも多少気持ちが傾いてきたが、あたしは正直まだ迷っていた。

「開けよう」

「ちょ、玻璃?」

 躊躇するあたしを無視し、すぐ隣の棺を開ける。

 案の定、中に人が横たわっていたが、予想に反し、クラスメイトではなかった。

「な、なんですかぁ! あなた、悪者ですかぁ!」

 ゴスロリ風の衣装を着た、ツインテールの女がおびえた顔でいった。目に涙が浮かんでいる。たぶん年齢はあたしたちとそう変わらないだろう。

 どうやら、目が覚めていたが、怖くて蓋を開けることができなかったらしい。

「あたしたちはあなたと一緒、気づいたら棺桶の中にいた」

 あたしがそういうと、その子はすこし安心した表情になった。

「ほんとうにそうなんでしょうね?」

 そういったのは、ゴスロリ少女ではなかった。

 隣の棺の蓋が持ち上がったと思うと、そこから現れた別の女がしゃべったのだった。

 あたしたちとは違う学校の制服。薄茶色のブレザーとチェックのミニスカート。黒髪ロングでちょっと鋭い目をした女だった。性格がきつい優等生といった雰囲気。

 いやな予感がした。ここにいるのは学校は違えど同年代の少女たちらしい。しかも、ルックスが人並み以上なのを集めたようだ。自分で言うのもなんだけど。

 というか、みな顔立ちがどことなく似ていた。性格はかなり違いそうな気もするが、見た目はどこか共通点がある。強いて言うならあたしが一番雰囲気が違う。あたし以外、髪も長いし。

 誘拐犯の好み?

 猟奇的な狙いを感じた。もしこの予感が当たるとしたら、今後ろくなことにならないのは明白だ。

 つまり、あたしたちは変態に捕まった哀れな生け贄。

 考えたくはない。でも、そうとしか思えない。だけどそれを口にはしなかった。パニックを起こされても困る。

「他の人も出てきなさい。今後のことを話し合いましょう」

 性格がきつそうな優等生が、他の棺に向かって話しかけた。

 反応はない。脅えているのか、それともまだ意識を取り戻していないのか?

 じれったくなったのか、彼女は棺を開ける。

 あたしの予想は裏切られた。そこにいたのは男だった。年齢はおそらく二十代前半くらい。体はそれほど大きくもなく、どちらかといえば痩せ気味。ただタンクトップからむき出しの腕はそれなりに鍛えてそう。しかも右腕には黒い鎖のタトゥーが入っている。日本人なのは明白だが、金髪をしていて、鼻にピアスをしていた。目をつぶっていて開ける気配がない。

 寝てる?

 あまり目覚めてほしい相手ではない。どう考えても真面目なシャイボーイではないその男は、あたしたちにどんな態度を取るだろう?

「ちょっと起きなさいよ」

 しかし、黒髪ロングの女は容赦がない。いきなりその男にビンタをかました。

 それを二、三度繰り返すと、ようやく男は目を覚ました。

「あ、なんだおめえ?」

 首をぶんぶん振ったあと、眠そうな目つきで彼女をにらむ。

「誘拐されたのよ、あたしたち。あんたは?」

「あ?」

 男はしばらく考え込んだ。出た結論は?

「どうやら俺もそうらしい」

 犯人の狙いがわからなくなった。最初の考え通りなら、この男は邪魔なはずだ。思わぬ抵抗をするかもしれない。

「これで全員か?」

 男が誰にともなく聞く。

「まだそこに棺が」

 あたしは残りの棺桶を指さした。

「あ?」

 金髪ヤンキーは首をこきこきならす、棺の蓋を開ける。

 空だった。

 ヤンキーはさらに隣の蓋を開ける。

 ふたたび空。

 なぜ?

 あたしは戸惑った。空にするくらいなら、棺自体なくてもいいのでは?

「ああっ、どうせこいつも空だろ?」

 ヤンキーは最後の棺を開ける。

 そのまま固まった。

 あたしたちも息をのむ。最後の棺は空ではなかった。

 人が入っていたのだ。

 ただし死体だったけど。

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