第13話 真津姫の誘い


 ヒナが八須やす姫の宮を訪れると、中から言い争うような声が聞こえてきた。


「何やら不穏な感じが致しますね」

「そうね……出直した方が良いかしら?」


 声をかけようか、それとも戻ろうかと迷っていると、不意に戸が開いて煌びやかな衣の女達がゾロゾロと出てきた。その先頭にいるのは真津まつ姫だ。彼女はヒナに気づくと足を止めた。


「あら、陽菜ヒナではないの。御母上にご機嫌うかがいかしら? もしそうなら、残念だけど今は会うのは無理そうね。お加減が悪そうだったわ」


 扇で口元を隠して、真津姫が笑う。その薄く細められた目に見つめられて、ヒナは得体の知れない悪寒を感じた。


「お加減が……そうなのですね」

「ええ。もし良かったら私の宮にいらっしゃらない? 私はこれでもそなたには同情しているのよ」


(同情?)


 一体何を見て、彼女は自分に同情したのだろうか。ヒナは不快に思ったが、山吹やまぶきがうなずくのを見て心を決めた。


 真津姫の宮は、先日見学した広い池のある庭園が見える大きな宮だった。部屋数も多く、身の回りの世話をする側仕えもたくさんいた。

 庭園の見える部屋に案内されたヒナは、真津姫と向かい合って座った。


「正直に話して良いのよ。矢速ヤハヤとの婚姻、本当は断りたかったのではない?」

「え?」

「だって、何も知らなかったのでしょう? あの子がどんなに呪われた子か。だから、そこにいる側仕えを使って矢速のことを調べていたのでしょう?」


 真津姫は、ヒナの後ろに控える山吹を扇で指した。

 どうやら真津姫は、山吹が厨房の下女に話を聞いたことを知っているらしい。見張られていたとは思わないが、この志貴の宮の中で起きた出来事のほとんどは、彼女の元へ伝わると思っていた方が良さそうだ。


「ヤハヤが呪われた子というのは、どういう意味ですか?」


「おや、厨房の下女から話を聞いたのではないの? あの子の母親はね、若い頃に魔物に呪われて肌が黒くなってしまったことがあるのよ。呪いは消えても、魔物の穢は身に残ったまま。大王様の情けで妃にしてもらったけれど、生まれた子供ヤハヤには魔物の力が宿っていたのよ。よくお聞きなさい。矢速は人を殺したの。いたずらをした矢速を叱責した側仕えに、鳴神なるかみの力を借りて雷を落としたのよ!」


 真津姫の声は悪意に満ち満ちていた。

 誰も口を開かない、シンと静まり返った部屋。身じろぎするのもはばかられる、そんな息苦しい沈黙に耐えきれず、ヒナはコホンとひとつ咳払いをした。


「あの……その事件以降は、同じような出来事はなかったのですか?」

「え?」

「だって、ヤハヤを叱責した人が殺されたなら、他に犠牲者がいてもおかしくはないですよね? ヤハヤに意地悪したり、怒らせた子供はいなかったんですか? もしもヤハヤが呪われた子なら、何度も同じようなことが起こったんじゃないですか?」


 自慢じゃないが、ヒナは幼い頃から何度も矢速を泣かしている。別にいじめるつもりはなかったが、子供の頃のヒナは喧嘩っ早かったし、足手まといになるチビの矢速と遊ぶのは面倒で、大きい子達と先に行ってしまったこともあった。

 もしも矢速が呪われた鳴神の皇子だったなら、ヒナが真っ先に落雷を食らっていたことだろう。

 衝撃を受けることもなく平然と疑問を口にするヒナに、真津姫はやや怯んだ。


「……さ、幸いなことに、それ以降は何も起きてはおらぬ。おそらくは、大王様が密かに力ある見張りをつけたのだろう」

「なるほど……さすがは大王様ですね。そうか、だから真津姫様もご無事なのですね? 八須姫様と喧嘩などしようものなら、一番はじめに真津姫様がヤハヤに狙われてしまいますものね!」


 真津姫の話はまったく信用できなかったが、真正面から対立するのは悪手だ。ヒナは嬉しそうに笑みを浮かべてポンと手を打ち合わせた。


「そなた……思ったよりも気の強い娘だな。まぁ、これで矢速がそなたに何を隠して妻問いをしたのかわかったであろう? 離縁したければ力になるぞ。すぐに故郷へ帰りたいのなら、それも叶えてやる。

 ……そうじゃ、新しい與呂伎よろぎの領主が挨拶に来ていたな。そなたも知っている者だ。智至ちたる国の王子、那々彦ナナヒコ殿じゃ」


「え……」


 柔らかい笑みを湛えた那々彦の顔が、ヒナの脳裏に浮かんだ。

 微笑んでいるのにその目はいつも笑っていない。最後に見た冷たい目を思い出し、ヒナの頭は真っ白になった。


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