第12話 過去の災い


 矢速の悪夢は毎晩続いた。

 二日目までは、何となく部屋の端と端に寝台を離していたヒナだったが、三日目からは諦めて矢速の隣で眠ることにした。

 矢速が悪夢を見ると、ヒナはどうしても気になって傍に行ってしまう。それでまた矢速の寝台を占領してしまうのだから、もはや寝台を離す意味はまったく無い。


 並んだ寝台の上で、真っ暗な天井を見上げながら、ヒナは矢速に問いかけた。


「ねぇ、ヤハヤはさ、自分が嫌われてるって言うけど、どうしてそう思うの? 何か理由があるの?」

「……そんなの、見ればわかるだろ?」

「みんなが余所余所よそよそしいのはわかるよ。けど、なんで? あたしから見たら、真津まつ姫様や豊河彦とよかわひこ様の方がずっと感じ悪いけどなぁ」

「それは……ヒナが俺の味方だからだろ? でも、みんなはそうじゃない」

「だからその理由を知りたいのよ。みんながヤハヤのことを嫌うのは、真津姫様が河地かわち国王の娘だから? 彼女がヤハヤを嫌うように圧力をかけてるの? でも、それを言ったら八須やす姫様だって尹古麻いこま国王の娘だよね……」

「ヒナ……ごめん。俺もう寝る」

「あ、うん……おやすみ」


 もぞもぞとヒナに背を向ける矢速の気配を感じながら、ヒナは少し後悔した。

 今の矢速は、目の下に黒い隈を作るほど顔色は悪くないが、悪夢のせいで熟睡できない。ヒナはそんな矢速の眠りを邪魔して、しかも最悪の質問をしてしまった。自分が嫌われている理由などを尋ねられたら、誰だって良い気はしないだろう。


(やっぱり、ヤハヤに訊くのは可哀想よね)


 どんなに睡眠不足であろうと、矢速には決められた仕事がある。ヒナのように朝寝坊が出来る身分ならともかく、矢速は常に朝早く起きて仕事をしているのだ。

 その日も、ヒナが目覚めた時にはもう矢速の姿はなかった。


「ねぇ、ヤハヤはどんな仕事をしているの?」

「矢速様の仕事は主に領地の見回りですね。鳥見とみ池をはじめ河川の水位の変化や、領民たちからの訴えを取りまとめているようです」


 山吹やまぶきは、ヒナに尋ねられるままに矢速の仕事を説明した後で、急に宮の周りの気配を探るように視線を巡らせた。


「どうしたの?」

「いえ……何やら不穏な気配を感じたのですが、気のせいかも知れません」

「不穏な気配って?」

「誰かに見られているような……そんな気配でした。もしかしたら、私が古くからいる使用人に探りを入れたせいかも知れません」

「何それ? どういうこと?」


 ヒナが身を乗り出すと、山吹もヒナの方へ身を寄せた。


「例の、矢速様の件でございますよ。厨房に、志貴しきの宮が建てられた当時から働いている下女がいるというので、話を聞きに行ったのです」

「何か知っていた?」

「ええ。荒唐無稽な話ではありましたが、それらしき話は聞きました。実は……矢速様が幼い頃に宮中で落雷があり、人が亡くなったらしいのです。その下女が直接見たわけではないそうですが、雨雲もない空から突然、矢速様が怒った相手に雷が落ちたと」

「は?」

「それは大騒ぎになったそうです。大王おおきみ様は、落雷は偶然の出来事だと断言して流言を固く禁じたようですが、それ以来、周りの者たちは矢速様を畏れているそうです」

「……何それ?」


 ヒナは首をひねった。

 自然の中で暮らしていれば、落雷などよくあることだ。そこにあるのは神の意志だけで、人が干渉できるものではない。


「その出来事があってから、矢速様の母上である八須やす姫様に、心ない噂が囁かれるようになったそうです。八須姫様が若い頃に魔物の呪いを受けたことを蒸し返し、その呪いのせいで、彼女が生んだ矢速様は魔物になったのではないか、と。もちろん、大王様はその噂も固く禁じました」


 山吹が何とも言えぬ表情を浮かべたので、ヒナは大王にまつわる話を思い出した。

 大王依利比古イリヒコが魔物の力を借りて八洲統一を謀り、瀬戸内と近畿を手中の治めたのは有名な話だ。自分に従わない国には、見せしめのために王の大切な者を魔物に呪わせて、戦わずに多くの国を支配下に置いたという。


「それって、いつ頃の話なの?」

「矢速様が幼い頃としかわかりませんが、おそらく十年以上前のことでしょうね」

「……てことは、八須姫様はその頃から塞ぎ込んでしまったのかしら? まさか、本当にヤハヤが雷を落としたと信じてしまった訳じゃないわよね?」


 ヒナの問いかけに、山吹は眉間に皺を寄せただけで答えなかった。


(いくら辛い過去を蒸し返されたとしても、まさか自分の産んだ子を……幼いヤハヤを遠ざけたりしないわよね?)


 ヒナは幼い頃の矢速を思い出した。

 年に一度、各国の代表を集めて智至ちたる国で開かれる八洲会議。ヒナは両親について智至国へ行く度に、矢速や智至の王子王女とよく遊んだものだった。

 チビで足の遅い矢速はいつもびりっ尻で、ヒナが慰めてもなかなか泣き止まなかった。ヒナの弟よりも一つ年上のはずなのに、矢速の方が何倍も手がかかる面倒な遊び相手だった。

 けれど、一人でいるとき、遠くを見つめる彼の目は大人びていて、どこか哀しげだった。


「やっぱり……八須姫様に会いに行かなきゃ!」


 居てもたってもいられず、ヒナはすっくと立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る