第8話 婚姻の儀


 その日の夜。大王おおきみに拝謁した高殿たかどので、ヒナと矢速ヤハヤの婚姻の宴が開かれた。

 宴が始まる前に、白装束の巫女による祈祷が行われたが、その巫女が宵芽よいめだったのだと、後から山吹やまぶきが教えてくれた。


 ヒナと矢速は、大王の座る高座の左側に並んで座っていた。

 大王依利比古イリヒコの両脇に二人の妃が並び、その横にそれぞれの王子とその妃が並ぶ形だ。

 矢速の母――八須ヤス姫はうつむいて小さくなっている。婚姻の祈祷の前に挨拶に行った時にはヒナに微笑んでくれたが、今は顔を見ることが出来ない。


大王おおきみ様の向こうに座っているのが、真津マツ姫様なのね……)


 大王のもう一人の妃は、煌びやかな衣を纏った勝気そうな女性だ。その隣にいるのが矢速の異母兄、豊河彦トヨカワヒコだろう。彼もまた母親に似て傲慢そうな目でこちらを見ている。


「ねぇ、大王様のお妃様は二人なの?」

「いや三人だ。会ったことはないが、父上は筑紫ちくし島にいた頃に最初の妻を娶っている。みんな同盟国の姫だよ。たぶん父上は、国々を掌握する手段として婚姻していたんじゃないかな?」


 だからみんな不幸になるんだ――そうつぶやいた矢速の言葉を、ヒナは聞き逃さなかった。


(ヤハヤの悪夢の原因は、やっぱりこの辺りの人間関係にあるのかしら?)


 夜が深まるにつれて回される酒壺の数が増えゆき、大王の宴もだんだんと岩の里の祭と変わらぬ様相を呈してきた。

 その頃になると酒壺を持って席を立つ者も増えたが、矢速と祝いの酒を酌み交わしたい者はあまりいないようだった。


 酒の匂いに嫌気が差してきた頃、ヒナは山吹に促されて席を立った。花嫁は先に宮へ戻るものらしい。

 山吹に先導され、渡り廊下を歩き始めたところで、不意に後ろから呼び止められた。


「陽菜」

「え……大王おおきみ様?」


 高殿の外廊下に依利比古の姿を認め、ヒナは驚いて声を上げた。


「まだ父上とは呼んでくれぬのだな?」


 酔っているのか素面しらふなのか。依利比古の問いかけにヒナは焦って山吹に視線を向ける。彼女がうなずいたのでヒナは依利比古の前に進み出た。


「陽菜……私はね、矢速に計り知れぬほどの苦労をかけた過去がある。だからこそ、幸せになって欲しいと願っている。矢速自身、誰にも言えぬ悩みを抱えているだろう。朱瑠アカルの娘である陽菜ならば、きっと矢速の苦しみを和らげてくれる。そう信じて使者を送り続けた。どうか、矢速のことを頼む」

「……はい」


 依利比古はヒナに微笑みかけると宴に戻っていった。

 冷酷だと噂の大王は、ヒナが思っていたよりも矢速のことを気にかけていた。うつむいたまま矢速に話しかけもしなかった八須やす姫よりもずっと――。


(ううん。矢速の母さまは、きっと心を病んでしまったのね。一体、どんな嫌がらせを受けたのかしら?)


 志貴の宮に入ったばかりのヒナには、わからないことが多すぎた。


 ○○


 宮に戻り、山吹やまぶきに言われるまま夜着に着替えたヒナは、奥の間に入って息を呑んだ。

 四方を御簾みすで囲まれた場所に、寝台(床子しょうじ)が二つ並んでいる。


「こっ……ここで寝るの?」

「さようでございます。何か問題でも?」

「い、いえ。山吹はどこで休むの?」

「私は控えの間で休ませていただきます」

「え……そ、そうなんだ。じゃあ、おやすみなさい!」


 ヒナは寝所から山吹を追い出すと、少し考えてから、二つ並んだ寝台を御簾で囲われた空間の端と端へ移動させた。次いで、衣を掛けた衣桁いこうを寝台と寝台の間に引きずってくる。

 できる限りの配置替えを終えたところへ、同じく夜着に着替えた矢速が御簾を上げて入って来た。


「ヒナ、何してるの?」

「ヤハヤ! ああよかった。ねぇこれどう思う? とりあえず仕切りを入れてみたんだけど、あんたここで寝られる?」


 御簾で囲まれた寝所に衣桁いこうを持ち込んだヒナを見て、矢速はプッと吹き出した。


「うん。俺は大丈夫だよ。ヒナさえ良ければだけど」

「あたしは何処でも寝られるけどさ……ヤハヤは、旅の間もあんまり眠れなかったじゃない。それって、うなされてるの見られたくないからでしょ? あたしが傍にいたら眠れないんじゃない?」

「ヒナなら平気だよ。悪夢の話も知ってるし」

「そぉ?」

「今日はヒナも疲れただろ? 早く寝よう」

「う、うん」


 ヒナの動揺をよそに、矢速は片方の寝台にゴロンと横になる。

 矢速が眠れるなら良いかとヒナも寝台に横になったが、なかなか眠れそうにない。

 衣桁いこうに吊るされた衣に遮られて矢速の姿は見えないが、ヒナは何故だか気持ちが落ちつかなかった。


 矢速のことは、時たま会う弟のように思っていた。

 いつまでも小さくて頼りなかった彼が、別人かと思うほど成長した姿で現れた。それだけでも驚きだったのに、名目だけとはいえ、ヒナは今、彼の妻だ。


(なんか……あたしばっかり意識してるみたいで変な感じ!)


 ヒナはゴロンと寝返りを打ち、矢速に背を向けた。

 夜のしじまに、どこからともなくホーホーという梟の声が聞こえてくる。

 何となく寂しくなったヒナは、小声で「真白?」と呟いた。すると、何処からともなく白い獣が現れて、ヒナの腕の中に滑り込んだ。


「わぁ、来てくれたのね。ありがとう」


 白い毛皮に癒やされて、ようやくヒナが微睡みはじめた頃。闇の向こうから、矢速の苦しげな声が聞こえはじめた。


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