耀珠の姫と鳴神の皇子 ~八真都国の契約妃~

滝野れお

第一章 旅立ち

第1話 アカルの娘ヒナ


「何度来られても答えは同じだ。私も鷹弥たかやも、娘には好きな人と一緒になってもらいたいんだ。八真都やまと大王おおきみ依利比古イリヒコ様にもはっきりとそう伝えてある!」


 のどかな岩の里に、ひとつだけある立派な高殿たかどの

 そこから漏れてくる母の声を聞いて、ヒナは山菜の籠を抱えたまま高殿の下――

建物の正面に作られた階段の裏側へと身を潜めた。


八真都やまとの国からまた使者が来たのね。はぁ~。遠くからわざわざこんなド田舎の里までご苦労なことね)


 ヒナを嫁に迎えたいという話は今まで何度もあった。その度にヒナの両親はああ言って使者を追い返している。

 好きな人と一緒になって欲しいという両親の気持ちはありがたいが、ヒナは十五歳になる今まで誰かを好きになったことはない。これからだって、誰かを好きになるかわからない。そもそもそんな人と本当に出会えるのか、疑問しかない。


(父さまと母さまは、自分たちが特別だとは思わないのかしら?)


 口下手な両親からは何も聞かされてはいない。けれど、ヒナの両親は大恋愛の末に結ばれたらしいのだ。

 この八洲やしまの国々が乱れ、神や魔物を巻き込んだ争いに発展した時代、ヒナの両親は運命に翻弄されながら、様々な苦難の果てに結ばれたのだと、おしゃべりな小父さん小母さんから耳にたこができるほど聞いている。

『アカルはね、お腹のあんたを守りながら戦ったんだよ』と。


(まぁ……そうでなきゃ、いにしえの民の巫女見習いが、姫比きび国の元王子と結婚しないよね)


 ハァ~、とヒナは何度目かの息をつく。

 正直、やってられない。元をたどれば、ヒナに来る結婚話も両親のせいなのだ。

 古の民の巫女の力で、古の神々と言葉を交わすことが出来た母は、その力で国々の争いの元となった魔物を封印したという。その力を欲したものの、母を手に入れることが出来なかった王たちが、アカルの娘ヒナを嫁に迎えようと使者を寄越しているのだ。


「あたしは巫女の力をひとつも受け継いでないのに……」

「――陽菜ヒナの求婚者はここにも居るのに、朱瑠アカル様の目には、僕の姿は映っていないのかな?」


 後ろから声をかけられて、ヒナは飛び上がった。


那々彦ナナヒコさま、びっくりさせないでよ!」

「ははは。ごめんごめん」


 長い髪を肩口で結んだ青年が穏やかな顔で笑う。

 彼は岩の里の遙か西にある智至ちたる国の王子だけれど、幼い頃からこの岩の里に身を置いている。


(考えてみたら、那々彦さまが一番の被害者よね……)


 彼の父である智至の王も、ヒナの母に執着している一人だ。

 父親のわがままでド田舎で暮らすことになったというのに、那々彦は愚痴一つこぼさず、いつも穏やかな笑みを浮かべている。

 けれど、そんな彼のことがヒナは少し苦手だった。


「那々彦さまは嫌じゃないの? 親の勝手な考えで、こんな田舎の里に送られて、何の力も持たない小娘に求婚しなくちゃいけないなんて……」

「うーん。国に帰ってもね。父は子だくさんだから、王宮は王子と姫でいっぱいなんだ。僕は田舎は嫌いじゃないし、不満があるとすれば、陽菜が僕に恋してくれないことくらいかな?」

「またそうやって、はぐらかすんだから!」


 ヒナはプクッと頬を膨らました。

 那々彦が自分に恋していないことくらい、恋に疎いヒナでもわかる。それほど彼にとって父王の命令は重いのだろう。でも、彼は一度として本心を打ち明けてくれたことがない。


八真都やまとの使者殿はまだ頑張ってるみたいだね。しばらく出てこないかも知れないから、岬へ行かないか?」


 那々彦はヒナの手から山菜の籠を取り上げると、階段下の日陰に置いた。そして、ヒナの手を取って歩き出す。


 岩の里は、岬に囲まれた小さな入り江と、小川に沿って作られた段々畑のある小さな里だ。外海から入り江を守る岬に登れば、海から森へと続く岩の里が一望できる。


「ねぇ、陽菜は僕が夫では不満?」


 海を見たまま那々彦がつぶやく。彼の手は、まだヒナの手を握ったままだ。


「もしかして、ご両親のような大恋愛がしたいの?」

「そうじゃないよ。でも、那々彦さまだって、あたしのこと好きじゃないでしょ?」

「好きだよ」

「好きじゃない。那々彦さまは、水生比古ミオヒコさまの願いを叶えたいだけでしょ?」

「……陽菜こそ、叶えたい望みでもあるの?」

「望み?」


 ヒナは海に目を向けた。

 岩の里は田舎だけれど、いにしえの民たちが昔ながらの伝統を守り暮らしている。そんなこの里をヒナは愛している。でも、この小さな入り江から外海を見ると、浮かんでくる思いがある。


「あたしも、外の世界が見てみたい。母さまが岩の里を出たのは、あたしと同じ十五歳だったのよ。なのに、あたしは那々彦さまの智至ちたる国と、父さまの故郷の姫比きび国にしか行ったことがないの」

北海ほっかいの強国と、瀬戸内の強国を知っていれば十分じゃない?」

「知ってる訳じゃないわ。ただのお客様として持てなされただけで何も知らないもの。それに、母さまは遠く筑紫ちくし島まで行ったのよ!」

「筑紫は未だ内乱が収まっていない。瀬戸内諸国や八真都やまとの周辺国も、かつての騒乱の遺恨が残っている。アカル様ならともかく、巫女の力を持たない陽菜には危険だよ」

「……」


 ヒナは那々彦の顔から目をそらした。

 彼の意見はもっともだ。自分は、八洲やしまの騒乱を止めた立役者の一人である母とは違う。何の力もないただの娘だ。

 わかっているつもりだった。けれど、自分で思うのと、他人から現実を突きつけられるのとではまるで違う。

 那々彦の言葉が胸に深く突き刺さって、その痛みに、ヒナはうつむいて唇を噛んだ。

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