序段 --- 白柳魅世
パトカーの中の重苦しい空気を切り裂くように、電話のコール音が鳴った。
「あら、ちょうどいいわね。八武崎ちゃんだっけ? この電話出て」
「運転中です。それにどうしてあなたの電話を私が?」
「いいから、はい」
後部座席から空の助手席にスマホが置かれる。画面は通話状態でスピーカー設定にしたらしく、男性の声が聞こえてきた。
『白柳。血十字事件の現場には着いたか?』
「黒杭警視正。端波署から刑事を一人借りたわ。すっごく不審がってるから、軽く説明してちょうだい」
『はぁ? キサマという女はまた勝手に……そして、ただの警察官相手に説明できるわけないだろうが!』
「そんなに取り乱しなさんなって。もうスピーカーで聞こえてるわよ」
「……コホン。失礼、警察庁の黒杭だ。君は?」
「端波署の
「いや、彼女は違う。だが彼女には警視正相当の捜査権があるものと考えてくれ」
警察庁は各都道府県警を指揮監督する立場にあるが、事件の捜査は発生した県の県警が担当するのが通常だ。だが、今回の血十字殺人のような重大事件や、広域、国際的事件が発生した場合は地方の殺人事件に介入してくることもあり得る。
警視庁の人間に振り回されるならまだいい。でもこの得体の知れない女にアゴで使われることに対しては、話が違うと八武崎は考えていた。
「……納得できません」
『そうか。その場合は捜査の指揮権を端波署から警察庁が派遣する責任者に全権移譲することになる』
「なっ……!」
八武崎は絶句する。共同捜査本部の設置や捜査官の派遣ならまだしも、そんな話は聞いたことはない。だが階級だけを見れば警視正は所轄の警察署長と同等だ。彼らにはそれをやりかねない圧を感じていた。
もしそうなった場合は、大鋸屋警部や日元先輩も捜査から外されてしまうだろう。八武崎ひとりの一存にしては余りにも影響が大きい。
助手席に伸びた手が、スマホを取り上げた。
「はーい。黒杭くん、ヘイト役ありがと。この子ならきっと捜査を手伝ってくれるわ。それじゃ」
電話先から「おいまだ切るな」と文句が聞こえていたが、その声は途切れてしまった。
「安心しなさい八武崎ちゃん。所属や詳しいことは話せないけど、私といる方がきっと早く血十字殺人の犯人に会えるわ。目的は一緒よ」
パトカーが止まる。場所は閑静な住宅街の中の路地だ。
通勤通学時間が終わり、辺りの人通りは落ち着いている。電柱の側に設置された献花台に積まれた花束だけが寂し気に風に揺れていた。
ここは血十字殺人1件目の現場だ。
八武崎は後部座席を振り返り、正体不明の女性を睨みつけた。
「わからないことだらけですが……私は犯人を逮捕したいんです。あなたが捜査本部より早く見つけられるというなら、協力する意味はあります」
「あなたのその正義感……やっぱり見込んだ通りね。この
女性二人の奇妙なバディがパトカーから下りて、事件現場の検証が始まった。
◇◆◇◆◇
「この工場跡が最後。4件目の事件現場です」
パトカーが停車したのは根倉という古い工場地帯にある廃工場だった。肌寒い空気と鉄の朽ちた匂いが混ざって鼻につく。
使われなくなってさび付いた資材や、朽ちかけた木材が並んでおり、穴の空いた屋根から差し込む光で、室内は思いの他明るかった。
「ここもすごいわね」
工場の入り口付近には、これまでの事件現場と同じように花束やペットボトルが並んでいる。ここは2名の被害者がいるからか、一層お供え物が多いと白柳は感じた。
「
「正社員ではありませんでしたが、被害者の
八武崎が手帳を広げて回答する。
2人が出会った今朝の路地裏を含めて5件の事件現場を見て回った。共通点と言えば深夜の人目につきにくい場所くらいのもので、地理、被害者などの条件があるとは思えない内容だった。
通り魔といえばそんなものか、と半ば納得していたと白柳だったが、積み上がった花束が妙に気になって、視線が外せないでいた。
その視界に、2人の来訪者が写る。
車椅子にかけた老齢の男性と、それを押す介護士らしき人物だ。
白柳は近づいて声をかける。八武崎もそれを追いかけた。
「こんにちはおじいちゃん。お供えもの?」
「ええ、健吉君に花をね。お二人は刑事さんですかね?」
老人は膝に乗せた花束を持ち上げた。
二人の風貌を見て、特にスーツを着込んだ八武崎の恰好から刑事だと判断したようだ。
否定するのも面倒だと、白柳はウィンクをして八武崎に合図した。
「……ええ。一連の殺人事件を捜査しています。利岡健吉さんの職場の関係者の方々でしょうか?」
形式に乗っ取った聞き取り調査が行われた。
被害者はこの車椅子の老人の担当職員であり、二人は祖父と孫のように仲の良い関係だったそうだ。他にも施設には一緒に来たいという入所者が大勢いたが、全員で来るわけにもいかず代表して彼と付き添いが献花に訪れたとのことだった。
「彼は体が丈夫なこと以外に取り柄がないから介護の仕事をしてる、と話していたが、底抜けに優しい子だった」
老人は震える手で花束をお供えした。
「刑事さん、絶対に捕まえとくれ」
「任せてください。必ず犯人を見つけますから」
瞳に炎を燃やす八武崎の首根っこを白柳が掴んだ。
何をするんですかと振り返ると、無言でパトカーを親指で示していた。
老人に静かな時間を与えるため、二人はその場を後にした。
白柳が振り返ると、そこには両手を合わせて目を閉じる老人の姿があった。
(ふーん。まあ、一見悪ガキっぽい奴ほど、愛され上手だったりするか)
◇◆◇◆◇
「これからどうします? 署に一度戻りましょうか?」
八武崎は運転しながら後ろの座席にいる白柳へと声をかけた。
全ての事件現場を回り、白柳はパトカーの中でこれまでの聞き込み調査の書類に目を通していた。
その視線だけが前を向いて、バックミラー越しに八武崎と目が合う。
「戻っても、大鋸屋のオジ様から進展がないって話を聞けるだけよ。それならこの街でもうひとつ怪しい場所に行きたいのよね」
身内を馬鹿にされたようで、口を曲げた八武崎が不機嫌そうに聞き返す。
「……なんです、怪しい場所って」
「教会よ。たしか御美ケ峰って――止めて、八武崎ちゃん」
「えっ?」
「路駐でいい。止めて!」
八武崎は周囲の安全を確認してから、路肩にパトカーを寄せた。
白柳の目線を追うと、そこには人だかりがあった。
服装は黒を基調としたスーツばかり。女性の服装と胸元の真珠を見て、八武崎は彼らが喪服だと気づいた。
人混みの間に見え隠れする看板から、横池家葬儀式場という文字が読み取れる。
「横池咲良……確か3人目の被害者よね?」
「はい。発見は一昨日。死亡推定時刻は3日前の深夜です」
「降りるわよ」
悲壮な表情を浮かべ、涙を浮かべる群衆の間を抜け、二人は葬式場の中へと入った。
喪主の男性と八武崎が挨拶する。調査の段階で何度か顔を合わせていたため、相手もすぐに気づいたようだ。
「刑事さん、わざわざありがとうございます。良かったら線香上げていってください」
斎場の中心を歩き、窓の空いていない棺の前で足を止める。
八武崎は故人の写真の前で黙祷し手を合わせた。白柳も空気を読んで手を合わせる。
受付に戻ると喪主から話を聞くことが出来た。
まだ解決していない事件のため、遺体は司法解剖後も引き渡しをされていない。だが全身と顔の損壊があまりにもひどく、遺体が返ってきたとしても皆でそれを囲むことはできないと判断し、日を待たずに空の棺で遺体無き葬儀とすることを決めたとのことだった。
「妻を失ったことは到底受け入れられません。しかし、我々はあんな惨い殺され方をした妻を、一刻も早く弔いたかった……それか、何か忙しくしていなければ、私の心が持たないと思ったのかもしれません」
八武崎は喪主を気遣いながら、話せる範囲で捜査状況を伝えていた。
被害者の遺族や関係者と触れ合うたびに、彼女の心には使命感の炎が一層強く燃え上がっていく。
そんな彼女とは対照的に、白柳は冷静に周囲を観察していた。
絶えない喪服の群れ。
忙しなく書き込まれる芳名帳の名前。
遺影に並ぶ人の列。灰に立つ線香の本数。繰り返される合掌。
周囲から聞こえる会話。
『どうしてこんないい人が』『先週、漬け物のおすそ分けを貰ったばかりで』『私も保護者会で』『犬の散歩ですれ違ったときは』『寂しくなるわ』『去年の同窓会が最後になるなんて』『今朝地元に戻ってきた。彼女の葬式にはでないと』『他の誰でもなく、なぜ咲良さんが』
どれも葬式場で起こる当たり前の出来事ばかりだったが、白柳にはある違和感が芽生えていた。
「……多すぎるわ」
突如、白柳は歩き出した。
人混みを避けて、受付の奥へと向かう。
「ちょっと、白柳さんどこへ行くんですか!?」
「八武崎ちゃんついてきて。それと警察手帳出しといて」
彼女はたどり着いたドアをノックして、返事を待たずに押し入った。
事務室と書かれたそのドアの向こうには、数人の事務員がデスクに座っており、パソコンの操作や書類作業をしていた。
「横池家葬儀の担当者いる? 話を聞かせて欲しいんだけど」
「どうされましたか? ご遺族の方以外は表でお待ちいただいて」
「警察よ」
白柳は遅れて入ってきた八武崎の手首をつかんで、我が物顔で人の警察手帳を見せた。ワンテンポ遅れて手帳が開き、八武崎の顔と名前が露わになる。
しばらくの沈黙のあと、眼鏡をかけた細身の中年男性が手をあげる。
「担当は私ですが」
「今回の葬儀、何人の来場想定?」
即座に詰め寄った白柳が質問を投げかける。
「ひぇっ、ええと、喪主様の想定だと150名程度かと……」
「現時点で明らかに人が多いけど。何人来てる?」
「既にその150名は超えていまして……葬儀開始までまだまだ増える見込みです。年齢や職種にもよりますが、こんなに人の多い葬儀は最近では珍しいですね」
「八武崎ちゃん、被害者のプロフィール言える?」
「えっ、はい。血十字殺人の3人目の被害者横池咲良は38歳女性。7歳と4歳の子供がおり、家事育児の傍らで週4回のパートと週2回のヨガに通っていました。世話焼きで周りを無視できない性格で、お土産やお菓子を配る癖がある人柄の良い人物だったそうです」
「担当の方、ここ1年以内の30代後半女性の葬儀の参列者数の記録洗って」
事務員は不満そうな声を上げたが、白柳が睨むとすぐに作業に取り掛かった。他の事務員も彼を手伝って、いくつかの事例が集まる。
「そもそも一般葬儀の参列者数は80~100名前後です。それに比べて30代後半女性の例だと……126名、131名、144名あたりですね。お年寄りが亡くなる場合と比べると30代は社会の繋がりが濃いからか、参列者も多いですね」
「ありがと。やっぱり今回の150名以上なんてのは明らかに多いわね」
何度か首肯した後、八武崎へと振り返った彼女は更に続ける。
「八武崎ちゃん。これじゃあまだ足りないわ。あなた端波署に努めて何年?」
「5年です……白柳さん、一体何を……?」
「じゃあここ5年以内に30代後半女性が殺された殺人事件の被害者の名前、思い出して」
八武崎は目を丸くした。だが、白柳の意図を汲んだのか、すぐにメモ帳をめくり自分の記憶をたどった。
「すぐに思い出せるのは、2人です。任官1年目にあった婦女暴行致死の被害者と、昨年のカプセルホテル立てこもり事件の被害者です」
「ここで葬儀を上げた人はいる? いたら来場者数も合わせて教えて」
八武崎が手帳に書き込んだ被害者の名前を事務員へ見せて、彼はそれを表計算ソフトの検索欄に記入した。
「いました! 参列者数は164名です」
白柳は満足そうな顔をした。
事件の被害者ともなればその話題性で葬儀の参列者が増えることが見込まれる。だが、それを加味しても類似事例では164名という数字だった。
突如、事務室のドアがノックされる。
現れたのは喪主の男性だった。手に持った名簿を見せて、担当の事務員へと声をかける。
「すみません。さっき多めに貰ったんですが、また芳名帳の紙が足らなくなってしまって」
白柳がすぐに詰め寄った。
「急にごめんなさいね。今のところ何人くらい来てるか、聞いてもいい?」
用紙にはあらかじめNo.を書き込む場所があり、彼は一番大きな数字を読み上げた。
「250名、ですね」
◇◆◇◆◇
「……はい、はい。その人数ですと、やはり2人目の被害者の葬儀でも、参列者の数が一般平均以上と言えますね。ええ、そのあとは各現場の献花やお供え物の数も他の事件と比較したいとのことです。見てきた限り体感では多いと思いましたが……はい、横暴なのはひしひしと感じてます。私は大丈夫ですから、調査の件お願いします」
同僚への電話を終えた八武崎がパトカーの運転席へと戻る。
後部座席ではタバコに火をつけた白柳が窓の外へ煙を吐いていた。手元ではスマホで動画を再生して眺めている。どうやら血十字に関するニュースのようだった。
『連日事件が起きている埋芽市で、一人目の被害者である古橋深幸さんは将来有望な優等生でした。吹奏楽部の部長やクラス委員など人望もあって、話を聞いた同級生や後輩のコメントから、非常に慕われていた人物だということがわかっています。特に数日後に控えていた吹奏楽コンクールでは――』
「車内禁煙です、白柳さん」
「んな固いこと言わないの」
報告を聞くため、白柳は動画を停止した。
「別の葬儀場であった二人目の被害者の通夜の人数も平均以上でした。引き続き献花、お供え物の確認も進めています……そろそろ、これが事件とどう関係あるのか、説明して下さい」
「わかったでしょ。明らかな異常値よ。きっと他の被害者がこれからやる葬儀でも似たような数値が出る」
「その先です! 葬儀の参列者や献花が多いことと、事件がどう関係あるんですか?」
八武崎は積み上がった花束の山を思い出していた。二人はそれを今日4回も繰り返し見ている。
詰め寄る八武崎に対して、白柳は悠々と紫煙をくゆらせた。
「一人目はニュースのインタビューから人望充分。二人目、三人目へは通夜葬儀への参列者過多。五人目に至っては勤め先の介護老人が直々に車椅子で献花に来るほどの親愛……これだけ重なれば意図を感じざるを得ないわ。これは血十字事件が無差別な通り魔ではないことを示している可能性がある。私が立てた仮説はこうよ」
白柳は携帯灰皿に短くなったタバコの火を、縦横の十字に切って押し付けた。
「――血十字は、善人を選んで殺している」
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