第3話 「街と三人と、不穏な影」

 ……カーテンもない部屋の天井を、しばらく眺めていた。


 どうやら昨夜の出来事は夢じゃなかったらしい。


 「本当に……異世界に来たんだな。」

 独り言のように呟くと、薄暗い部屋の隅から声がした。


 「だろ? 俺もまだ信じられねーわ。」

 ユウだ。ベッドの上で大の字になって、天井を睨んでいる。


 「夢オチとかなら最高だったのになぁ……なぁカジ?」

 「俺は生きてるだけで十分っすよ……」

 カジは壁際で体育座りをしていた。まだ肩の包帯が痛々しい。


 昨夜、俺たちはあの化け物じみた大蛇に殺されかけて、王城に連行されて、能力の検査までされた。そもそもなんで日本語が通じてるんだ。

 体と頭が、まだ追いついていない。


 扉がノックされる。


 「おはよう、人間ども。」

 入ってきたのは、昨日見た獣耳の戦士だった。体格はごつく、背中には巨大な斧。顔は人間に近いが、狼の耳が生えている。


 「王から伝言だ。――お前たちは五日間、休息を取れ。六日後に仕事の割り振りを行う。それまでは自由だ。」


 「自由……って、街を出歩いてもいいってことか?」

 俺が確認すると、狼耳の戦士は短く頷いた。

 「許可は出ている。だが問題は起こすな。特に――奴隷区には近づくなよ。」

 「それとお前らは文無しだろうから、そこの台所は自由に使うと良い。あとこれは俺からだ」

 そう言って布袋を放り投げてきた。中には金と銀のコインが数枚、じゃらりと音を立てて入っていた。

 「自由に使え人間、露店で食える物を買い調理は自分達でしろ。」

 

 奴隷区?


 その単語に、俺たちは互いに顔を見合わせたが、戦士は何も説明せず部屋を出ていった。

 意外と情け深いところもあるのか。


 ***


 「なあ、イサム。」

 街を歩きながらユウが口を開く。

 「お決まりのさ、ステータスウィンドウとかないのか? “ピコーン! 能力が開放されました!”的な。」


 「……俺も少し期待したんだがな。」

 ため息をつきながら返す。

 「チート能力も女神の祝福もねぇ。昨日アクアに言われた通りだ。器はあるが中身が空っぽ――だとさ。」


 「いやいやいや、異世界モノって普通そういうのあるだろ!」

 「ゲームじゃないんだよ、ユウ。」

 俺が呟くと、ユウは舌打ちをして肩をすくめた。


 「マジで現実味ねぇよな……」

 カジがぼそりと呟く。


 目の前には広がるのは、亜人たちの街。


 石造りの建物に、木の看板。軒先では魚の干物が並び、猫耳の店主が声を張り上げる。

 通りには、様々な姿の亜人たちが行き交っていた。


 ――狼耳、兎耳、猫耳。

 そして、顔が完全に獣の者たちもいる。サメ顔の大男や、虎の顔をした戦士。


 「なあ、イサム。あれ見ろよ。」

 ユウが顎で示す先では、子供たちが木剣を振り回していた。耳と尻尾をぴこぴこ動かしながら、戦士ごっこをしているらしい。


 「獣人……いや、アクアが言ってたな。ここの住民は大きく分けて二種類――」

 「顔が人間っぽくて耳だけ獣のタイプと、顔が完全に獣のタイプだな。」

 カジが昨日の説明を思い出すように呟く。


 「……で、俺ら人間は珍しいわけか。」

 ユウが少し不安げに周囲を見渡す。視線が、確かに刺さってくる。


 ***


 少し歩くと、広場に出た。噴水の周りにベンチが並び、商人や旅人らしき者たちが休んでいる。


 俺たちも空いているベンチに腰を下ろした。


 「……さて。」

 ユウが手を頭の後ろに組みながら言う。

 「能力ってさ、俺ら結局まだ使えてねぇんだよな。」


 「査定だけされて、はい終わりだからな。」

 俺は苦笑する。

 「まあ、カジは肉体強化系、ユウは雷だっけか。」


 「なあ、イサム。」

 ユウが不意にこちらを見る。

 「お前……剣道の達人なんだろ?」


 「……誰がそんなこと言った。」

 「いや、刑事で剣道やってたって聞いたし。達人級だろ? それなら戦えるんじゃね?」


 俺は鼻で笑った。

 「達人級ってのは言い過ぎだ。少なくとも剣なんてここにはねぇし、竹刀とは勝手が違う。」


 「でもさー」

 ユウはにやりと笑い、カジがそれに乗る。

 「イサムさんなら、やれそうっすけどね。」


 「……お前ら、気楽だな。」

 呆れながらも、少しだけ肩の力が抜けた。


 ***


 しばらく雑談した後、ユウが話題を変えた。

 「なあ、イサム。元の世界に帰れると思うか?」


 「……わからん。」

 少しだけ空を見上げて答える。

 「ただ……」


 ――もしショウがここにいたら、どうするだろうか。


 思わず呟いていた。

 「ショウちゃんも居酒屋にいたけど、飛ばされたのは俺たちだけっすね。」

 カジが首をかしげながら言う。


 「歳下なのにいつも冷静で、あれはあれで学ぶことが多かった。」

 懐かしい声や笑顔が頭に浮かぶ。

 「もしあいつなら……もっと冷静に、答えを出してるんだろうな。」


 ユウがわざとらしく咳払いした。

 「……で? 俺らはどうすんの?」


 「決まってる。」

 自分でも驚くくらい低い声が出た。

 「……生き残るために、使えるようにならなきゃな。力を。」


 カジとユウが頷いた。


 ***


 夕方になり、宿へ戻る。

 昼間露店で買った固いパンのような塊を三人で分けてかじる。噛むたびに粉が口の中でパサパサ広がり、味はほとんどしなかった。美味しくはないが生きる為には仕方ない。

 飲み物に関しては水道があり、匂いは大丈夫だったからとりあえずそれを飲んでやり過ごした。

 風呂場みたいなスペースはあるが、お湯なんて物は出ず水で体を洗った。


 部屋で二人が寝息を立てるのを確認してから、俺は一人で外に出た。


 街の明かりが消え、空には満天の星が広がっていた。

 ――月はひとつ。だが、この世界は俺の知る世界ではない。


 ポケットからタバコを取り出すが、火をつける気にならず、握りしめたまま夜空を仰ぐ。


 「……使えるようにならなきゃ、生き残れねぇ。」


 そう呟くと、冷たい夜風が頬を撫でた。


 そして、奴隷区の方角から、犬の遠吠えのような音が聞こえた気がした。


 胸に重いものを抱えたまま、俺は宿へ戻った。


※続く


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