第2話 「カエルの王と無色の器」

 茂みから飛び出した異形の大蛇が首を落とされ、地に沈んでからも、俺の心臓は暴れ馬のように暴れ続けていた。




 息が荒い。肺が焼けるように痛む。


 震える指で警棒を握りしめたまま、しばらく何もできなかった。




 「……助かった、のか?」


 掠れた声でそう呟くと、傍らでユウが座り込む。


 「おいイサム、夢じゃないよな……これ。」


 その顔は蒼白で、いつもの軽口は影もない。




 「くっそ……いてぇ……」


 カジが肩の傷を押さえながら呻いた。血は止まらない。応急処置を――。


 刑事として身につけた手際で、ベルトを外し止血用の布を作り、カジの腕に巻く。


 「助かったわ、イサムさん……」


 カジが痛みに顔を歪めながらも、かすかに笑った。




 その時、頭上から影が落ちた。




 「立て、人間。」


 低く湿った声。見上げると――巨大なカエルの顔がこちらを見下ろしていた。




 体格は人間より一回り大きく、分厚い皮膚に覆われた体躯。手には巨大な戦斧。


 周囲には、獣耳や爬虫類の尾を持つ戦士たちが武器を構えていた。




 「……な、なんだこいつら……」ユウが呟く。




 「国王の命により、貴様らを連れていく。」


 カエルの戦士――どうやらリーダーらしいそいつは、淡々と告げた。


 「お前たちの命は、今のところ国王次第だ。従え。」




 選択肢はなかった。俺たちは頷き、戦士たちに囲まれたまま森の奥へと進む。




 ***




 森を抜ける道中、俺は必死に頭を働かせていた。


 ――ここはどこだ? あの怪物は何だ? そして、こいつらは……。




 「なぁイサム、夢じゃなかったらどうする?」


 ユウが軽口を叩こうとするが、声が震えている。


 「カエルが喋ってる時点で現実じゃねぇよな?」


 その茶化すような言葉に、リーダーが振り向いた。


 「……口を慎め、人間。」


 ねっとりとした声。思わずユウが口を閉じた。




 「……」


 刑事として、現場の状況は頭で整理する癖がある。だが――


 ここは異常すぎる。推理も糸口も、何も掴めなかった。




 やがて視界が開けた。




 「おい、見ろよ……」ユウが呟く。




 そこに広がっていたのは――巨大な城塞都市。




 木造と石造りが融合した高い城壁。塔の上で魔法の炎が揺らめき、門番の亜人たちが俺たちを睨みつけている。


 内部では人間と獣耳の者たちが共に暮らし、奇妙な光を放つ道具がそこかしこに置かれていた。




 「まるで……RPGの街だな。」ユウが呟く。


 誰も否定しなかった。




 ***




 王城は一際巨大だった。




 厚い扉が開かれ、俺たちは玉座の間へと通された。


 王座の左右にはガタイの良い狼顔の亜人、そしてサメ顔の亜人が立っている。


 豪奢なシャンデリア、赤い絨毯。だが、どこか湿っぽい匂いが鼻につく。




 そして――玉座に座るその男を見て、息を呑んだ。




 「……人間か。珍しい。」




 巨大なカエルだった。




 脂ぎった皮膚に金の王冠。ギラついた瞳が俺たちを舐め回すように見た。


 「お前たち人間だが……その格好はなんだ? 聖王国の者ではないな。」


 疑うように目を細める。




 「俺たちは――」イサムが口を開くが、王は手で制した。




 「まあいい。状況からして行く当てもないだろう。今はアリの手も借りたい状況だ。」


 王は俺たちの事情を見透かしたように続けた。


 「ここに留まりたいなら条件がある――家来として働け。拒めば追放だ。」




 追放。それは即ち死を意味する。




 「ふざけんな!」ユウが前に出るが――


 「ユウさん、やめてください!」カジが止める。「ここで死ぬわけにはいかない。」




 俺も歯を食いしばり、頭を下げた。




 「では貴様らに仕事を振る前に、適正を計らせてもらおう。」


 王はそう言い、側近の狼顔の亜人に指で合図した。




 ***




 「王よ、お呼びでしょうか。」




 奥から現れたのは、一人の人物。


 銀色の髪を持つ、美しい――男か女かわからない、中性的な人物だった。




 「おお、賢者アクアよ。こいつらは新入りだ。適正を計って仕事を振ってやれ。」


 「分かりました。では研究室で検査いたします。」




 王は楽しげに笑いながら花街の話題を口にし、側近を連れて玉座の間を後にした。




 アクアは俺たちの前に歩み寄ると、静かに微笑んだ。


 「安心してください。あなたたちに危害は加えません。まずは研究室へ。」




 ***




 王城から歩いて数分。アクアの研究室は、この辺りの建物よりもずっと大きかった。


 扉を開けると、本や研究道具が山積みになっている。




 「汚な……」ユウが呟き、カジも唖然とした顔をする。


 アクアは気にした様子もなく席に座り、俺たちに座るよう促した。




 「さて、まずは能力について説明します。」


 「あなた方は成人しているのに魔法が開花していない。つまり、自分の力を知らない――そうですね?」




 「ああ、成人してるどころか既に折り返し地点のただのオッサンだからな」


 カジとユウがウンウンと頷く


 「器が作られているのに、中身――マナが空っぽだからです。」


 「器? マナ?」聞き慣れない言葉に思わず聞き返す。


 「器とは、生まれた瞬間にその大きさが決まる、マナの貯蔵庫のようなもの。


 マナは魔法を使うためのエネルギーで、さらに色があり、その色で使える魔法が決まります。」




 「なんだか異世界転生みたいな話だな……」俺が呟く。


 「でも俺たち死んでないし、異世界転移だろ?」ユウが言う。


 「どっちにしても、俺たちがいた世界じゃないのは確かっすね。」カジが続ける。




 アクアは微笑み、説明を締めくくった。


 「ここまでで、器とマナについては分かりましたね?」


 三人とも無言で頷いた。




 ***




 「では、あなた方の力を見せてください。」




 アクアの手が額に触れた瞬間、冷たい感覚が脳を走った。




 「……なるほど。」




 アクアは一人ずつ結果を告げていく。




 「ユウ――あなたは雷の力を持つ。希少な資質です。」


 「マジかよ!」ユウが目を見開く。


 「でも俺ゲーマーだから、動くのは得意じゃねーぞ?」


 「雷は身体を刺激し、強化する。攻撃にも転用できるはずです。」


 「はず?」ユウが首を傾げる。


 「ええ、雷は百年に一度現れるかどうかの希少属性。かつて聖王国の勇者、そして最近魔族を束ねた魔王も雷の力を持ちます。」


 「すげーマジか! 俺って強えってことだな!」ユウがガッツポーズを取った。




 「カジ――あなたは肉体強化型。戦士としての素質があります。」


 カジが小さく頷く。


 「亜人国の戦士よりも、あなたの器は倍以上大きい。」




 そして――俺。




 「イサム……あなたの器は、異常なほど大きい。」


 アクアの表情が一瞬驚きに変わった。


 「だが――無色です。」




 「無色……?」


 「色がないということは、属性を持たない。一般的には才能がないとされます。」




 才能がない――その言葉が胸に刺さった。




 「……俺には、何もできないってことか。」


 呟いた声は、想像以上に弱かった。




 だがアクアは微笑み、こう告げた。




 「いえ。無色とは――何色にもなれるということです。」




 ***




 夜。亜人の街の一角で、俺たちに部屋があてがわれた。


 ベッドが三つだけの簡素な部屋だが、野宿よりはずっとマシだ。




 俺は部屋を出て、外で一人座り込んでいた。


 街の夜は松明のオレンジ色がゆらめき、どこか懐かしいような温かさがあった。




 スーツの内ポケットからタバコを取り出そうとしたとき、写真がポロリと落ちた。


 「これは……」




 写真には、去年ショウ・カジ・ユウと4人でバーベキューをした時の姿が写っていた。


 ショウとカジが両サイドから俺を挟み、笑っている。




 ――ショウ。あいつは、どうしているんだろうか。




 そう思いながらタバコに火をつける。




 「俺はただの刑事だ……こんな世界で、どう生きていくんだ……」


 独り言が零れた。




 背後で扉が開く音がした。


 振り返ると、ユウとカジが立っていた。




 「お前が落ち込んでると、こっちまで気が滅入るわ。」


 「でもイサムさんなら、きっと大丈夫っすよ。」




 俺は笑ってごまかすしかなかった。




 ――その時。




 「イサム。」




 背後からアクアの声がした。




 「あなたの旅は、ここからですよ。」




 その瞳は、俺の未来を見透かしているようだった。




※続く


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