花咲く奇跡

「皆が頑張ってきたの……。嵐が、おさまってくれれば……!」


 笑顔で自分を受け入れてくれた人々の顔が、悲しみや絶望に沈むのを見たくない。

 奇跡だとしても、嵐が止んで欲しい。

 キーリーが悲痛な表情で空を見上げるのを、ルカは唇を噛みしめて見つめていた。

 そして、不意に呟く。


「俺は、力を失っている。それは、ひとえに俺のせいだ」


 キーリーは弾かれたようにルカを見る。

 神は、人々の信仰あってこそ力を得る。

 だが、ルカは『忘れられた神』だった。

 存在するかどうかも疑われ、信仰など失って久しい。それは、彼が人から離れて久しいからこそ。

 悔やむように俯いていたルカに、キーリーが何か言葉をと思った瞬間。


「それでも、俺は」


 ルカは、祈るように目を伏せた。

 あまりに真剣な様子に声をかけられずにいるキーリーの耳に、不思議な響きを帯びた声が触れる。


 ――キーリーの願いを、叶えたい。


 悲痛なまでに真摯なルカの声がキーリーの内側に響いたような気がした瞬間、それは起きた。

 自分を通して、温かな力が外へと広がり出ていくような、不思議な感覚。

 キーリーが思わず目を瞑って祈るように手を組んだ時、彼女の内側から溢れるように光があふれだし、周囲を照らし始めた。

 人々も、幻獣も、驚いて動きを止める中。キーリーから沸き上がった光は奔流となり、黒雲に覆われた天を貫くように立ち上る。

 何かを打ち砕くような甲高い音が響き渡ったと思った次の瞬間。

 訪れたのは、無音の時。

 暴れ狂う風の激しい音も、降り注ぐ雨の音も、何もかもが消えうせて。

 呆然と見上げる人々は、そこに光を見た。

 まるで嘘のように消えた黒雲の向こうから射しこんだ、太陽の光を。

 皆が、何が起きたのかわからなかった。

 だって、あまりにも信じられない出来事だから。

 だが、やがて人々はそこにある事実を理解する。


「雨が止んだ……。か、風も……」

「嵐がおさまった……?」


 雨と泥土でぐちゃぐちゃになった顔に驚愕を宿して、人々は恐る恐る呟いた。

 皆の頭上には、蒼い空が広がっている。

 紛れもない、晴れの空。どれだけ目を凝らして見つめても、消えてなくなる事のない、まごう事無き現実だ。

 人々は暫し言葉を失っていた。

 だが、不意に誰かがそれを叫ぶ。


「奇跡だ……。聖女様が、奇跡を起こしてくださった……!」

「聖女様が、嵐を鎮めてくださった……!」


 奇跡、まさにそうとしか言い様がない。

 キーリーもまた、目を見張ったまま言葉を失っていた。

 自分がこの青空を呼んだなど信じられなくて。

 けれど、ルカの声があの不思議な力を与えてくれた。奇跡を呼ぶ力は、彼の願いを受けて、自分から溢れ出た。

 三の神であるルカが本心から願い、自分を通して奇跡を与えてくれたのだ。

 戸惑いなのか、喜びなのか、それとも他の何かなのか。

 形容できない心を抱えてキーリーはルカを見つめ、ルカもまた同じ表情でキーリーを見つめる。

 そんな二人の耳に、周囲の人々が喜びに沸く声が聞こえた。

 人々は讃えていた。聖女を、そして三の神を……。




 嵐が消えうせて、数日して。

 村に滞在して後始末を手伝っていたキーリーは、離宮に戻った。

 アンヴィル村の被害は全くなしとはいかなかったが、嵐の規模を考えたら驚く程に軽微で済んだ。

 だが、離宮はそういう訳にはいかなかったようで。


「……せっかく手入れした庭が、台無しだな」


 周囲を見回していたルカが、表情を曇らせながら呟く。

 館と庭園は、惨憺たる有様だった。

 館は飛来物により割れた窓があるし、皹が入ってしまった壁もある。

 それよりも大変なのは、庭である。

 強い風に根こそぎ花々はなぎ倒されており、飛んできた石や転がって岩に押しつぶされてしまった箇所もある。

 敷地の外れに植えていた木は倒れこそしないが、太い枝が折れて転がっている。

 彩と恵みに満ちた庭園は、見るも無残な状態となってしまっている。

 気づかわしげに見つめてくるルカの眼差しを感じながら、キーリーは一つ大きく息を吐いた。

 そして、静かに口を開く。


「これも、大地と共に生きるという事だから」


 自分に言い聞かせるような声音で言うキーリーに、ルカは驚いた様子である。

 当然ながら、キーリーだってせっかく手をかけた庭がこんな事になって、悲しく無いわけがない。

 けれど、これもまた祖母に教わった事の一つなのだ。


「お祖母様が言っていたの。大地と共に生きる事は、けして幸せばかりではないと」


 大地と共に生きてきた祖母。

 祖母は折に触れて、キーリーに教えを授けた。

 あれは、今回のような大嵐の後の事だったろうか。

 庭が大変な事に、と泣き出したキーリーの頭を撫でながら、祖母は語った。


「自然は時として牙を剥く時がある。でも、それをも受け止めて進んでいく事が、大地と共に生きるという事なのだと」


 けして、恵みだけが与えられるわけではない。時として、理不尽に奪われる事もある。

 歩んできた道のりを、無理やりに戻される事だってある。

 それをただ嘆いてばかりいてはいけない。

 受け止め、乗り越えて進む事。それが、祖母が教えてくれた大地と共に生きる為に必要な心。


「もう、完全に終わり、じゃないもの。また、頑張るから」

「俺も、手伝う。さしあたって、転がっている石や岩を何とかするか」


 明るく笑って言い切ったキーリーを見たルカは、一瞬眩しそうに目を細めた。

 だが、次の瞬間には優しい笑みを浮かべて、作業に取り掛かろうと道具を手にする。

 二人が視線を交わしあい、動き始めようとした時だった。


「ああ、離宮も大変な事になっているじゃないか」


 聞き慣れた声がした気がして、キーリーとルカは思わずと言った風に顔を見合わせた。

 戸惑った様子で二人が見つめた先には、何がしかの道具類を手にした人々……アンヴィルの村人達がいるではないか。


「皆、どうしたの?」

「離宮がこんなになっているのに、知らないふりなどできません。声をかけて下さらないなんて、水臭いじゃありませんか」


 皆が揃って何か用事でもあったか、と首を傾げながら歩み寄るキーリーに、一行の先頭にいたホーソンが苦笑いする。


「聖女様には、村の片づけを手伝っていただいたんですから。今度は、こっちがお手伝いする番ですよ」

「ここのお庭のハーブに、村の皆がお世話になっているんです。早く、元通りになってもらいたいですよ!」


 ホーソンに続いて口を開いたのは、ウィローとサミュエル……嫁同士の喧嘩に頭を悩ませていた旦那達だ。

 あれ以来、小さな言い争いはたまにあるものの、嫁達は仲良くしているらしい。

 聖女様のハーブティーのおかげです、と盛大に感謝されたのを覚えている。

 それに続くように、他の村人たちも声をあげた。


「それに、ここは三の神様の聖女様が暮らす場所ですから! 三の神様にお礼を伝える為にも、早く綺麗にしないと」


 皆が笑いながら言うのを聞いて、キーリーとルカは思わずといった風に目を見張ってしまう。

 ふと、キーリーは視線をルカに巡らせる。

 彼の顔にはばつが悪そうで、照れくさそうな、けれど嬉しそうな。複雑な喜びの表情が浮かんでいる。

 人を厭い遠ざけていた故に存在を疑われていた神の存在を、今人々は信じ始めてくれている。

 彼は確かにいるのだと、皆は思い始めてくれている。

 その心に触れて、キーリーの中にも明かりのように温かなものが灯っていく。

 人々は手際よく、荒れた庭の修復に、館の片づけにと取り掛かる。

 皆と一緒に働きながら、キーリーとルカの顔には、ずっと笑顔があり続けていた……。

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