管理人の困惑

 辺境の離宮に聖女が到着してから、十日ほど経過した。

 さすがにもう去っただろう、と肩を竦めながら足を踏み入れた管理人を出迎えたのは。

 数多の彩と、鮮やかな翠の饗宴だった――。



「一体、これはどういう事だ!?」

「あら、管理人さん。ちょうどよかった!」


 驚愕の叫び声を聞いて、キーリーは手を休めて顔をそちらに視線を向けた。

 離宮に来た日に会ったきりだった管理人……確か、ルカという名の青年が愕然とした面持ちで立ち尽くしている。

 キーリーはスカートについた土を軽くはたきながら立ち上がると、朗らかに笑いながら声をかけた。

 あの日に言った通り、キーリーの生存確認に来たのだろう。もしくは、キーリーが既に退去したかを確認しにきたのか。

理由はどうあれ、彼に頼みたい用事があったので顔を出してくれて助かった。


「その恰好は……」

「ああ、これ? 多分以前いた侍女さんのものだと思うのだけれど……。勝手に借りて悪かったかしら」


 簡素なワンピースという出で立ちのキーリーに、少し引き気味にルカは問う。

 屋敷の中をあれこれとみて回っていた時、恐らく使用人が使っていたと思われる部屋を見つけた。そこに残されていたのが、このお仕着せだ。

 古びているが、縫製自体はしっかりしているし、寸法もあう。

 持ち主に断わってから借りたかったが、誰もいないとあっては仕方ない。事後承諾となってしまうけれど、と自分に言い訳しつつ有難く借りる事にしたのだ。

 一応自分で衣類は持参したが、材質や作りが目的に適していない。


「いや、もう持ち主も忘れているだろうから、いいとは思うが……」

「ありがたいわ。ドレスだと裾が長くて動きづらいし、絹は土汚れが落ちにくいから面倒なのよね」


 手にしていた道具を手近な木に立てかけながら、キーリーは安堵の息を吐く。

 そこまで贅沢なものではないが、持参したのは裾の長いドレスである。素材が絹のものが多く、勿体ないとは思わないが、土がついてしまえば汚れを落とすのが些か面倒だ。

 明るく言うキーリーに頷きかけたルカだったが、すぐに激しく頭を左右に振ったかと思えば。


「いや、俺が聞きたいのはそうじゃなくて」


 愕然とした面持ちのまま、低く呻くように呟くルカ。

 どうしたのだろう、と不思議そうに見つめるキーリーに向かって、ルカは二人の周囲の光景を手で示しながら叫んだ。


「どうして、あんなに荒れていた庭が、こんなに活き活きしている!?」

「荒れているように見えたけど、死んでいたわけじゃないわ。まだまだ元気な花があったから、雑草を抜いたり植え替えしたり……少し手を入れただけ」


 ルカの指が示す先には、様々な色合いの花が揺れる光景がある。

 淡い色から濃い色へ。可憐な小花もあれば、場の主役となり得るような大輪の花を咲かせるもの。

 まだ蕾のものもあるが、大きさと色味の見事なグラデーションを描くように咲いているのは、寒さや過酷な環境にも耐えて毎年花を咲かせる花々である。

 肩で息をするルカを見つめながら、キーリーは自分のした事を一つずつ説明していく。

 敷地を見て回ったキーリーは、庭園が完全に死に絶えていないと気づく。

 生い茂った雑草の影で、枯れた落ち葉や草の下で。球根を作り、或いは枯れたように見えたとしても地下で根を巡らせ季節を待ちながら、まだ息づいている花々があった。

 そうと気づいた彼女は、恐らくまだ離宮に使用人たちが居た頃のものであろう庭仕事の道具を引っ張り出して手入れを始めた。

 雑草を抜き、刈り。枯れ葉や草は土の栄養として鋤き込んで。花の種類を考えながら、これから咲いていく順番を考えて場所を整える為に植え替えた。

 仕上げにキーリーの魔力にて活力を与えればこの通り。

 しみじみと大地の魔力を有していてよかったと思った。


「いや、どう見ても元々あったものじゃないものまで育っているんだが?」

「ああ、それは新しく植えた種ね。お祖母様の弟子だった園丁頭が持たせてくれたものよ。それに、精霊たちも手を貸してくれたの」


 未だ引きつった表情のままであるルカの視線が向けられている場所に気づくと、キーリーは、一つ頷いて楽しそうに答える。

 敷地内の土を整えたキーリーは、託された種を順番に植えていった。

 色や種類に合わせ区画を整え、まだ時期ではないもの以外あらかた植え終えた。

 もともとあった花も場所を植え替えて。薬効を持つものや、実を結ぶものなども分かりやすく配置する。

 キーリーが作業に勤しむのを見守っていた精霊は、次第に手伝ってくれるようになる。

 精霊の歌は種に陽光や水の祝福を与えて、芽吹きを呼んだ。

 そして、キーリーが祖母から受け継いだ大地の魔力を注ぐ。

 その結果、荒れ果てていたはずの敷地は、一年草に多年草、花やハーブに果実といった様々なものに溢れた庭園となりつつある。

 毎日キーリーと共に庭の手入れをしてくれる精霊たちは、設えた小さなテーブルに集って一休み中。

 精霊たちが嬉しそうに集う場所には陶器の皿があり、木苺が盛られている。


「ああ、木苺? 森の入り口のあたりに沢山生えていたの。他にも、薬草や食べられる野草が色々あって驚いたわ」


 ルカが、またも『どこから』と問いを口にする前に、キーリーは何でもないことのように答えを口にする。

 館や敷地を手入れする傍ら、キーリーは神が住まうという森にも興味を示した。

 奥に踏み入るには装備が心もとないから、入口付近を少し見て回る程度に留めたが、それでも見つかる、見つかる森の恵み。

 精霊たちへのお礼として木苺を摘んで帰った他、食用や薬用になる植物も見つけたので近日採取に向かう予定である。

 それを嬉々として語ると、呆然とした声音が帰ってくる。


「あんた、伯爵令嬢だったよな……」

「お祖母様のところで暮らしていた頃は、大体こんな感じだったわ。庭を作ることの他に、野や森の恵みについて教えてくれて。あとは、お祖母様は自分のことは自分で、という方針の方だったのよ。私もその方が楽しかったわ」


 深窓の令嬢のはずが、何故そんなに庭仕事に長けている。何故、そんなに野山に詳しい。何故、そんなに自分で身体を動かすのだ。

 言葉に依らずに、青年の瞳は必死に問いかけている。

 それに対するキーリーの答えは、とてもあっさりとしたものだった。

 祖母は、極力使用人を置かず、自分のことは自分で行う人だった。

 身の回りの事だけではなく、屋敷の維持も、庭の手入れも。自分でやるから楽しいのよと笑っていたものだ。

 そんな祖母の元で育ったキーリーも、自然とそれに倣うようになる。

 だが、それは父の元に戻されるまで。

 伯爵家では、大勢の使用人たちに傅かれ、着替えに至るまで身の回りの世話をされるようになった。

 出来れば自分の身の回りぐらいは自分でと思ったが、使用人の仕事を奪うわけにもいかず。渋々、受け入れるようになっていったのだ。

 慣れていったと思っても、居心地の悪さのようなものは心の底に存在していて。手がかからないと褒められる程度に、世話をやんわりと断り続けてはいた。

 そして、使用人がいないという状況に改めて気づいたのだ。

 --もう、我慢しなくていいのだと。


「もう、淑女として振舞わなくていいのだもの。好きなようにさせてもらおうって」


 常に人目があった以前までとは違うのだ。

 屋敷や庭の手入れを、淑女らしからぬと眉を顰める人間はいない。

 コルセットを外して動きやすい服装をしたとしても、自分の身の回りのことを自分でしたとしても、それを咎める人はいない。

 楚々として気品ある様を崩さずに居なければいけない、少しでも隙を見せればつけ込まれ転落する危機がつきまとう社交の場ではない。

 ここは、キーリーがこれから暮らしていく、新しい世界だ。

 抱いていた願いを取り戻し気持ちさえ定まってしまえば、切り替えは実に早かった。

 この環境を、精一杯に利用してやろう、と……。

 目を輝かせてそう言い切ったキーリーを絶句したまま凝視しているルカに向かって、キーリーは続ける。


「敷地の手入れをするにも、屋敷の手入れをするにも、道具や材料が足りなくて。あるにはあるのだけど、古くてもう壊れそう。だから、新しいものが欲しいの。離宮に予算があるというなら、それに使いたいのだけど」


 裁縫道具など、小さなものなら使用人たちの心遣いの品で何とかなる。

だが、備えられた掃除の道具も調理用品も、いつから変えていないのかという古いものだ。最新式のものが欲しいとは言わないが、せめてすぐ壊れる心配のないものがいい。


「そうか。あんた……メイの孫だったな」


 実に楽しそうに願い事を伝えていたが、ふとキーリーの耳に不思議に納得した風な響きが聞こえる。

 青年が口にした思わぬ名に、キーリーは思わず首を傾げた。


「あなたは、お祖母様を知っているの?」

「……有名だからな」


 祖母メイはアドアストラにおいてそれなりに有名である。

 素性知れない異国人という立場でありながら、国を病の脅威から救ったという功績を持ち。王家の人間に見初められたと思えば、嫁入りするのではなく婿入りされて。確かに、有名人といえば有名人なのである。

 ただ、それもキーリー達の親世代までの話であり、ルカのような年頃の青年では知らない人間も多いのではないかと思う。

 そこで、キーリーはふと疑問に思う。

 このルカという青年は何歳なのだろうと。

 離宮の管理人を任せられるというのだから、若すぎるという事はないだろう。

 見た目は三十を過ぎるか、過ぎないか。

 だが、不思議と達観したような、老成したような印象が垣間見える時がある。

 そもそも、彼は何故管理人の仕事についているのだろうか。

 元は親が管理人の職についていて、それを受け継いだという可能性もある。少なくとも何らかの縁があってではなかろうか。お世辞にも、志願者が多い勤めとは思えないから。

 ルカはまだ、信じられないものを見るような目をキーリーに向けている。

 確かに、素の自分は伯爵令嬢らしからぬところがあるという自覚はあったが、ここまであからさまに態度に出されるのも清々しい。

 だが、けして不快ではない。悪く思うなら思えばいいのだ。

 もう、キーリーは人の顔色や与える印象を伺う必要などないのだから。


「それで、道具の手配はお願いしていいの?」

「っ! ……わかった。すぐに何とかする」


 腰に手を当てて、唖然としたままのルカを覗き込むようにして問うと、彼の肩が目に見えて跳ねる。

 狼狽えながらも受諾の返事をくれたルカに、キーリーは満足そうに微笑んだ。

 優雅でも穏やかでもないが、明るく朗らかで、力に満ちた笑み。

 不敵ともとれる笑顔を、暫し黙って見つめていたルカではあるがキーリーに、何が必要なのかを問い。キーリーは紙に、必要とする度合いの高い順から認めて渡した。 

 数日して、荷車にキーリーが依頼した品々を積んで、ルカはまた離宮を訪れた。

 ポプリを作ろうと庭のハーブを摘んでいたキーリーは、彼の訪れを歓迎する。

 そして、齎された道具類を見て目を輝かせて彼に礼を言った。


「ドレスでも宝石でもなく、家事や庭仕事の道具で喜ぶ、か……」

「見て楽しいだけより、使って楽しいほうが嬉しいわ」


 キーリーが躊躇いもなく言い切ると、ルカが唖然としたのを感じる。

 暫しの沈黙の後、ルカはただこう言った。


「変わっているな、本当に」


 その言葉は、それからも度々繰り返されるようになる。

 鼻歌交じりで新たなハーブの種を植えているのを、やってきたルカが見かけた時に。

 重い岩を動かそうとキーリーが躊躇わず挑むのを、慌てて止めた時に。

 風が強い日、必死で草花の為に風覆いを作ろうとするのを手伝ってくれた時に。

 その言葉が重なっていくにつれて、徐々に声音に変化が生じているのに、キーリーもルカも、まだ気づいてはいなかった……。 


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