第6話 小森の番人
「赤羽さん」
声がして、目を開けると視界にぼんやりと白い天井が映った。
「気がつきましたか?」
視線をずらすと、堀川先生が隣に立っていた。どうやら紗彩は保健室のベッドで横になっているようだった。
「先生、わたし……」
起き上がろうとした紗彩を堀川先生がそっと押しとどめた。それから、口元に人差し指を立てて、目線で隣のベッドに注意を向けるようにと紗彩に合図を送ってきた。
紗彩は言われるがまま、首をめぐらせて隣のベッドの方を見る。カーテンをはさんだ隣のベッドから、小さな声が聞こえてきた。
「菜月がたおれたって聞いたから、お母さんびっくりしたんだよ」
隣のベッドには菜月が紗彩と同じように横になっており、菜月のお母さんが迎えに来ているようだった。
「お母さん、お仕事中だったでしょ? ごめんね」
「あのね、仕事よりも家族の方が大事なの」
「じゃあ、どうして……」
菜月はそこで言葉を切った。
沈黙がカーテンのすき間から流れてくる。菜月が身じろぎする気配がした。
「どうして離婚したの」
「それは……」
カーテンが少しだけゆれた。
「ううん、いいの。本当はそうじゃない。ちょっとお母さんにわがまま言ってみたくなっただけ」
菜月が小さく笑ったような気配を、紗彩は感じた。
「本当はね、お母さん。お父さんがいたら、今どんな感じかなって思ったりする。紗彩のお父さんを見ていると、特にね」
自分の名前が出て来て、紗彩はおどろく。
「でもね、私、今のままでいいよ。無理して言っているんじゃない。そう。さみしかった。おばあちゃんもお母さんもいるから、そんなこと言えなかった。言っちゃいけないって、ずっと思っていた。でもね、今はちゃんというよ。私は、さみしかった」
「……うん」
菜月のお母さんのうなずく声がふるえていた。
「私の願いはね、お父さんがほしいことじゃないってわかった。私の願いはね、今のままでいい。お母さんとおばあちゃんと、私。それでいいんだって」
カーテンがふわりと一度大きくふくらんで、その後、静かになった。
「赤羽さん、立てる?」
堀川先生が小声で言った。紗彩がうなずくと、堀川先生は音を立てないように、そっとカーテンを開けて、外へ出た。
堀川先生を追って、紗彩はなるべく音を立てないようにベッドから下り、保健室を出ようとした。かすかに開いたカーテンのすき間から、菜月のお母さんが菜月を抱きしめているのが見えた。
「赤羽さん、小森に人を入れましたね」
保健室を出てところで、堀川先生が待ちかまえていた。
「どうしてそれを?」
「ついていらっしゃい」
堀川先生は、紗彩の質問には答えず身をひるがえすと、大またで廊下を進んで行ってしまった。遅れまいと紗彩はその後ろについて行く。
堀川先生はどうして、紗彩が菜月を小森に入れたことを知っているのだろう。
小森さんと菜月を探しに行って、その後、菜月と眠ってしまったところを、堀川先生が見つけてくれたのだろうか。
そういえば、あの場所はどこであったのだろうか。
考えをめぐらせているうちに、堀川先生は小森の門の前で足を止めた。あたりはもう、うす紫色の夕暮れ時であった。
「先生もね、昔、小森の番を任されていたことがあるのよ」
「え? 先生が?」
堀川先生は、くすりと笑う。
「びっくりでしょう? 私もここの学校を卒業したのよ」
「そうだったんですか?」
うなずいて、堀川先生は小森の方へ視線を向ける。
「赤羽さんも、あの森を見たでしょう?」
「森って。大きな木と古いお社がある?」
「そう。私が、小森の番になった時はね、まだこの門はなかったの。小森に興味を持ったお友だちを招きいれてしまって、大変なさわぎになったのよ」
「それって、小森にきも試しで入って、迷子になったっていう噂の?」
あれは、堀川先生だったのかとおどろく紗彩に、堀川先生は口元を押さえて笑う。
「半分はそう。あたり。でも、もう半分は大げさに脚色しているのよ」
「脚色?」
「小森の番以外の人間が、小森に入らないようにと、こわいエピソードを加えたのよ」
「どうして、そんなことを?」
紗彩がたずねると、堀川先生は夜になっていく空をあおいだ。その視線の先には校舎がある。
「大昔ここはね、大きな森だったんですって。私と赤羽さんが見た、大きな森よ。その森を切りくずして、家を建て、人がうつり住み、そして学校を建てようとした。その時に、森にあった大きな木を切って、祀られていた神様には小さな祠にうつってもらったそうよ。それが、今の小森」
「あの木を切って?」
龍のような大きな木。それから、寄りそうように建っていたお社が思い出された。あの木を切って、紗彩たちの中学校が出来たのだ。
「勝手に森を荒らし、都合の良いように森に住むものたちを追いやった。森と人との間には、大きな溝ができてしまった。かつては、共に生きていたのに。それでも森の主たちは、人間のことを嫌いにはなれなかった。小森の番はね、その時に出来たのよ。私たちが、見えないものを大切にする心を忘れてしまったから。もう二度と、人が森を荒らさないと約束するために。一人の子どもを番人にすることで、あちらとこちらの世界を繋いでいるのよ」
だから、と紗彩はうつむく。きつねもたぬきも小森の番である紗彩を責め立てたのだ。再び、住む場所を奪われてしまうかもしれないと。
「私もね、小森の主にとっても怒られたのよ」
「小森の主って……。もしかして、小森さんのこと?」
「小森さん?」
「薫子先輩は、小森の人って呼んでいました」
紗彩があわてて付け加えると、堀川先生はきょとんとしてから、お腹をかかえて笑い出してしまった。堀川先生のそんなすがたがめずらしくて、紗彩もなんだかおかしくなってきて、一緒に笑った。
「小森さんって。ふふ、おかしい」
「そんなに、おもしろいですか?」
「ええ。とっても」
堀川先生は、そう言うと再び小森の方を見つめた。
「小森の主も、雨龍様も、もう私には見えない。けれど、彼らには大人になった私が見えているのかしら」
紗彩も小森の方へ視線を向ける。閉じられた門の奥。小森は、すみれ色のドロップがたくさん落ちているように、だんだんと夜にそまっていく。
その中で、小森さんと雨龍がこちらをのぞいているような気が紗彩にはした。
「きっと、きっと先生のこと忘れていないと思います」
堀川先生が、ふっとほほ笑んだ。
「ありがとう、赤羽さん。もう、彼らの姿が見えないけれど、あの時の大切な記憶がちゃんとここに残っているの」
堀川先生は両手で、胸のあたりを押さえた。大切なものを抱きしめるように。
「それがね、今の私を支えてくれているのよ」
夕日が地面の裏側にいくまでの間、堀川先生と紗彩はじっと小森を見つめていた。
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