24話 絶望少女
ファイナルステージの前日。パリの夜景を見下ろすレストランの個室で、リリアとナツメはディナーを楽しんでいた。ホテルもレストランもリリアがエスコートしてくれており、本物のお嬢様である彼女には頭が上がらない。
華やかな前菜からメインディッシュへと食が進み、あとはデザートを残すのみとなったところで、唐突にリリアが口を開いた。
「ずっと、訊こうと思ってたんだけど、ナツメから見て、僕は変われたかな?」
普段の大胆不敵な様子とは打って変わって、しおらしい態度の彼女に、ナツメは初めて出会った頃のことを思い出していた。
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それは、ナツメがまだイノベイターの管理下で訓練を受けていた、数年前のことだ。
その日のナツメの任務は、ドレイク社の新型ドレスとの模擬戦だった。命のやりとりがないぶん、気は楽なものだ。お互いに開発中のものを試験する都合上、全く相手のデータがわからない状態で相対することになるのが企業間の模擬戦の常だった。
ナツメは普段通りクルセイダーに身を包み、演習場へ躍り出た。
結論から言えば、模擬戦には勝利した。それも、大差をつけて。故に事態は複雑化してしまった。それでも、後のことを思えば、この時に下した一つ一つの判断に、ナツメは後悔はなかった。
ドレイク社の新型ドレス『ハイドラ』の性能は申し分なかった。火力、機動性、操縦性、どれをとっても一流だった。ただ一つ、テストアクトレスだけが足を引っ張っていた。動きや素養は悪くない。それでも、それを台無しにするほどに、戦いというものを分かっていなかった。それこそ、戦場に出れば残機が1ダースあっても足りないほどに。こちらの動きに戸惑っていることが手に取るように伝わってきて、いっそ気の毒だった。なぜこんな人物が、これほどのドレスのテスターになったのだろうか。
その疑問の答えはすぐにわかった。テスターはリリア・ドレイク。
ドレイク社の令嬢だった。
模擬戦が終わった後は意見交換をするのが一般的だ。大勝してしまったことなど気にもとめずに、ナツメはドレイク社側の格納庫へと向かった。
そこで彼の目に飛び込んできたのは、金切り声をあげながら自傷行為をするリリアの姿だった。
その光景が異様だったのは、アクトレスが狂乱していたからではない。周囲の誰もがその行為を気にしていないのがあまりに異様で、ナツメは悍ましさに吐き気をもよおした。
髪を掻きむしり、白い肌に爪をたてて赤く染めるリリア。
ナツメは迷わず、その小さな体を抱き締めた。その体はビクンと震えた後、パニックからこちらの体を滅茶苦茶に引っ掻いてくる。鋭い痛みが襲ってくるが、彼女自身を傷つけるよりはましだ。
「私は君の敵じゃない。ゆっくり深呼吸をして」
掻き抱く手は拘束と感じぬほどに柔らかく、声も努めて穏やかに。痛みに耐えながらその言葉を繰り返していると、彼女は疲れからか動きを止めて、ゆっくりと呼吸を整え始めた。
「少し場所を移そう。もっと安全な場所に」
そう伝えると、彼女の体はピクリと動き、こちらの為すがままになった。ドレイク社の施設の構造など知らなかったが、とりあえず治療のために医務室に移動する。
治療を受ける間、リリアは呆然としていた。ナツメが傷の処置を受け始めてから、初めて自分が何をしてしまったか気づいたようで、オロオロとしていた。
ナツメは、傷の手当てを受けながら、真っ直ぐにリリアの目を見た。
「私のことはいい。それよりも君のことだ。お節介なのは百も承知だが、今のままでは待っているのは破滅だぞ。知ってしまった以上は、見過ごすことはできない」
リリアは顔を伏せる。
「でも、どうすれば……」
「戦いから遠ざかることだ」
ナツメが断言すると、リリアはかぶりを振った。
「それは、できません」
「何故だ?誰かに強いられているのか?」
ナツメの問いかけに、リリアは瞳に強い光を宿らせて答えた。
「私がそうしたいと思ったのです」
「生き方は他にもあるだろう」
血を吐くような切実さでナツメはそう吐き出した。「ごめんなさい」それでも、リリアの答えは変わらなかった。気まずい沈黙が流れ、次に口を開いたのはリリアだった。
「あなたは、なんで戦うんですか?」
「そうする他にないからだ」
リリアから見て余裕があるように見えた人物から吐き出された言葉には、深い絶望の色が滲んでいた。それは、リリア自身の状況と比べることなどおこがましいほどの、隔絶があることを確信させるものだった。
込み入ったことを尋ねてしまった自責からか、あるいはもうこれ以上晒す恥はないという開き直りからか、リリアは自身の心情を残らず吐露した。優秀な姉と常に比べられて生きてきたこと、姉よりコア共振率が高い自分がテスターとして期待されて舞い上がったこと、兵器開発の現実を目の当たりにしてとうていついていける世界ではないと心が折れたこと、そしてコア共振率しか取り柄のない自分にもう逃げ場など残されていないこと……。誰にも語ったことがないことを、とりとめもない言葉で吐き出した。ナツメはそれをただただ優しく受け入れた。
「そういうことであるなら、これ以上言うことはないな」
僅かな諦めを滲ませてナツメは声を絞り出す。
ナツメから見たら、リリアは自由な身の上だ。しかし、本人からしてみればそうではないのだろう。彼女がこんな風になるまで追い詰められていることからも、それは明らかだ。だから、同じように逃れられない宿命にとらわれている彼女に、ナツメは少しだけシンパシーを感じていた。
「お願いです、私を助けてくれませんか?」
リリアは精一杯の勇気を振り絞って声を上げた。
「助ける?」
ナツメは疑問を口にする。それは拒否というよりも、自分がここから何ができるか本気で思いつかなかったからだ。
「おかしなお願いだとはわかっています。それでも、あなた以外に頼める人がいないんです。お願いです、私を鍛えてください!」
なかば悲鳴のような声で希う。
「わかった。できることがあるのなら、力を尽くそう」
軽はずみな気持ちで彼女に手を差し伸べたのは、ナツメ自身だ。どこまでできるかは分からなかったが、何かをしなければならないという強迫感がナツメの胸中を占めていた。
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