第2話「炎と沈黙」
【前回までのあらすじ】
ヘリ内で目覚めた桐人は、島全体を焼き尽くす非情な「チャンティコ作戦」の全容を知る。ウトちゃんや島民を救おうと訴えるも、自らが吸血鬼化する危険性を突きつけられ、さくらの涙、スニク様の苦悩を前に、桐人は無力感に打ちのめされる。そして、ついに作戦実行の命令が下された。
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爺さんの、自分自身に死刑宣告を下すかのような命令が、重く響いた。
"Roger. Executing."
パイロットの機械的な返答が、地獄の始まりを告げる。
ヘリが大きく旋回し、機体が傾く。
窓の外、遠くの闇の中に、規則正しく並んだ複数の光が見えた。
死を運ぶ渡り鳥の編隊———爆撃機だ。
「やめろ……やめてくれ……」
俺の懇願は、誰の耳にも届かない。無力な叫びは、ただヘリの轟音にかき消されていく。
ドォン……。
最初の爆発音が、腹の底を揺さぶった。
それは単なる音ではなかった。
島の、そして俺たちの運命が根底から覆される、断絶の響きだった。
ウトちゃんとの約束が、永遠に果たせなくなる絶望の音だった。
それを皮切りに、爆撃は苛烈を極めた。
闇夜を切り裂くように飛行する爆撃機の腹から、次々と焼夷弾が投下される。
その軌跡は、オレンジ色の尾を引きながら、まるで流星群のように美しく、そして残酷に地上へと降り注いでいく。
(綺麗だ……)
皮肉にも、そう思ってしまった。
子供の頃に見た、夜空を彩る祭りの花火。
だが、これは祝祭ではない。島一つを丸ごと葬り去る、巨大な葬送の炎だ。
「坊主、見るな」
爺さんが俺の顔を手で覆おうとするが、俺はその手を強く払いのけた。
「見届ける。最後まで、全部」
震える手で、窓枠を掴む。
この光景を、この地獄を、脳裏に焼き付けなければならない。
俺が弱かったせいで、俺が無力だったせいで起きた惨劇の全てを。
目を逸らす権利など、俺にはない。
その時だった。前方に、ひときわ大きな炎の柱が立ち上った。
いや、炎などという生易しいものではない。
それは地獄の釜の蓋が開き、全てを飲み込まんと噴き出した、圧倒的な破壊の奔流だった。
その閃光が機内を白く染め上げた瞬間、俺の世界から、音が消えた。
(なんだ……? 音が……聞こえない)
爆音のあまりの大きさに、鼓膜が機能を放棄したのか。
それとも、この惨たらしい現実を受け入れきれない俺の心が、世界を拒絶したのか。
ヘリの轟音も、隣で嗚咽を漏らすさくらの声も、何も聞こえない。
ただ、完全な沈黙の中で、巨大な炎だけが、まるで意思を持っているかのように踊り狂っていた。
音のない世界で、記憶だけが、やけに鮮明に蘇る。
虎岩に案内してくれた日。
『ここ、ウトちゃんの秘密の場所なの!』と、得意げな顔で岩の隙間を指さしていた、あの小さな指。
海神祭で一緒に踊った夜。
『キリート、ダンス上手! もっと教えて!』と、俺の手をぎゅっと握っていた、あの温かい感触。
そして、最後の別れとなった、台風一過の砂浜。
『これで三人、ずっと一緒だよ!』と、はにかみながらピンク色の貝殻を差し出してくれた、あの笑顔……。
爺さんがパイロットに何かを指示したのか、ヘリがゆっくりと島の上空を旋回し始めた。
被害状況の確認か、それとも生存者が一人もいないことの、無慈悲な確認作業か。
変わり果てた島の姿が、眼下に広がる。
美しい緑に覆われていたはずの島は、もはや原型を留めていない。
屋敷があった場所は巨大なクレーターとなり、黒い煙を静かに吐き出している。
やがて、ヘリが東の丘の上空に差し掛かった。
そこには、まだ炎に包まれて赤く燃え盛る、虎岩の姿があった。
ウトちゃんの、秘密の場所。
俺が下らない悪戯で、あの子を本気で泣かせてしまった、思い出の場所。
炎の照り返しで、岩はまるで断末魔の叫びを上げる巨大な虎のように見えた。
(ウトちゃん……)
俺は、ポケットから取り出した貝殻を、砕けんばかりに強く握りしめた。
鋭い貝殻の縁が手のひらに食い込み、生温かい血が指の間を伝う。
だが、痛みは感じなかった。
この胸を締め付ける痛みに比べれば、そんなものは無に等しい。
止めどなく、涙が溢れた。
もう隠す必要も、見栄を張る必要もない。
あの炎の下で、ウトちゃんは最期の時を、どんな思いで迎えたのだろうか。
怖かっただろうか。苦しかっただろうか。
最後まで、俺の名前を呼んでくれていただろうか。
『キリート』。もう二度と、あの舌足らずな声で俺の名を呼ぶ声は聞こえない。
小さな手を繋ぐことも、一緒に笑い合うことも、もう永遠に叶わない。
俺は、血の滲む手で貝殻を握りしめたまま、ただ泣き続けた。
機内の誰もが、それぞれの罪を、それぞれの後悔を、その胸に抱いていた。
スニク様は、千年の時の中で繰り返される悲劇に、その小さな肩を震わせている。
爺さんは、固く握りしめられた拳を、ただじっと見つめている。
ダンさんは、計器の数字を読み上げるその声に、初めて感情のようなものを滲ませていた。
俺たちは皆、共犯者だった。
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