第3話「初めての斬撃」
【前回までのあらすじ】
ヤギ退治の許可を得た桐人は、爺さんから真剣の打刀を託される。初めて手にする本物の刀の重みと、「心を鬼にせよ」というスニク様の言葉に、桐人は命を奪う覚悟の重さを痛感していた。
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翌朝、まだ薄暗い中、ウトちゃんのお父さんを含む四人の村人が屋敷を訪れた。
皆、その手には自前の鉈や槍を持ち、固い決意をその表情に滲ませている。
「キリート、大丈夫?」
ウトちゃんが心配そうに俺の着物の裾を掴んだ。
「ああ、大丈夫だ。みんなのために、頑張ってくる」
俺はそう言って、彼女の頭を優しく撫でた。
この小さな手を、笑顔を守るために、俺は行かなければならない。
男たちに先導され、俺たちはヤギが現れるという東の丘の狩場へと向かう。
村人たちの期待を背に感じながら、俺は腰に差した打刀の柄を握りしめた。
鞘越しに伝わる鋼の冷たさが、否応なく俺に覚悟を迫ってくる。
しばらく山道を進むと、木々の向こうに複数の白い影が見えた。
八頭の群れだ。大きな角を持つ雄ヤギを先頭に、こちらをじっと警戒している。
「皆さんはここで待っていてください」
俺は静かにそう告げ、一人で群れへと歩みを進めた。
(心を鬼に……迷いは、刃を鈍らせる)
俺が間合いに入った瞬間、ヤギの群れは逃げるどころか、地を揺らすほどの勢いで一斉にこちらへ突進してきた。
「キリート、危ない!」
背後からウトちゃんの悲鳴が聞こえる。だが、俺の心は不思議と冷静だった。
(これでいい。逃げられるより、ずっとやりやすい)
俺は刀を抜いた。朝日を浴びてきらりと光る刃が、美しい軌跡を描く。
先頭の雄ヤギが、その鋭い角を振りかざして突っ込んでくる。
俺は一歩、滑るように横へ移動し、その突撃を紙一重で躱す。
風が唸り、角が鼻先をかすめた。
間髪入れずに二頭目、三頭目が左右から襲いかかってくる。
(挟み撃ちか)
俺は身を沈め、ヤギたちの胴体の下にできた僅かな隙間へと飛び込んだ。
肉と角が嵐のように俺の頭上を通り過ぎていく。
カメラアイが、全てのヤギの動き、筋肉の収縮、次の行動予測を完璧に捉えていた。
俺の目には、この混沌とした群れの中を安全に通り抜けるための、一本の道筋が見えていた。
稲妻が夜空を裂くように、俺はその道を駆け抜ける。
気がつけば、俺は群れの最後尾にいた。
仲間に遅れまいと必死に走る最後の一頭。それが、俺が選んだ標的だった。
(すまない)
心の中で短く詫び、俺は無心で刀を振り下ろした。
手応えは、思っていたよりもずっと生々しく、そして軽かった。
爺さんの言った通り、骨ごと断ち斬る感触が、柄を通じて腕に伝わる。
ゴロリ、
とヤギの頭が地面に転がった。
次の瞬間、その首の断面から、熱い血が勢いよく噴き出した。
鉄錆のようなくぐもった匂いが、鼻腔を突き刺す。
(うっ……!)
こみ上げてくる吐き気。頬に温かい血飛沫がかかり、そのべっとりとした感触に全身の肌が粟立った。
「うわっ!」
俺は慌てて数歩後ずさる。
刀を握る手は、じっとりと汗で濡れ、小刻みに震えていた。
(俺は……今、生き物を殺した)
その圧倒的な事実に、頭が真っ白になる。
心配になって振り返ると、ウトちゃんが目をキラキラさせていた。
「すごい、すごい!キリート、本当にヤギをやっつけた!」
その隣で、村人たちも呆然と立ち尽くしている。
やがて、一人が我に返ったように歓声を上げた。
「すげぇ……本当に一撃だ」
「あの群れの中を、まるで風みてえに……」
その歓声の中、ウトちゃんが駆け寄ってきた。
「村の人を傷つけた悪いヤギをやっつけてくれた!キリート、ありがとう!」
満面の笑み。だが、彼女はすぐに小さな声で付け加えた。
「でも……ヤギさん、痛かったよね……。だから、ちゃんと『いただきます』って言わないとね」
その言葉に、俺はハッとした。そうだ。この行為は、ただの殺戮じゃない。
この島の、村の人々の命を繋ぐための、尊い営みの一部なんだ。
ウトちゃんの純粋な言葉が、罪悪感で凍りつきそうだった俺の心を、そっと溶かしてくれた。
「ああ……そうだな。ちゃんと感謝して、食べないとな」
俺は震える手で刀を鞘に納めながら、強く頷いた。
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