第7話 「“また会いたい”は、恋のはじまり」
「今日は、ありがとうございました」
診療を終えた夜、
スマホに届いたそのメッセージに、
私は思わずスクリーンを見つめたまま動けなかった。
“また会いたいです”
たったそれだけの言葉が、
胸の奥をじんと温かくしていく。
(これって……どういう意味?)
ただの患者と衛生士――
その関係が終わった今、
彼の言葉は、まっすぐに“個人としての私”に届いた。
私は、ほんの数秒迷ってから、
短く返事を打った。
『私も、そう思ってました』
送信ボタンを押す指が、かすかに震えていた。
**
それから数日後。
待ち合わせ場所は、駅近くの小さなカフェ。
私服の倉田さんを初めて見た瞬間、
不思議な感覚にとらわれた。
(なんか、別人みたい……)
スーツじゃない。
診療チェアに寝ているわけでもない。
立っていて、私を待っていて、
まっすぐな目で、微笑んでくれる――
それだけで、心臓が強く跳ねた。
「こんにちは」
「こんにちは。……今日は、ありがとうございます」
会話は、まだ少しぎこちない。
だけど、歩幅を合わせて並ぶうちに、
少しずつ空気がやわらいでいった。
**
「……あの、前から思ってたんですけど」
コーヒーを飲みながら、彼がふと切り出した。
「はい?」
「由紀さんって……なんていうか、
すごく近い、っていうか……
すごく、丁寧に診てくれてたなって」
その言葉に、思わず手元のカップを見つめてしまう。
(……“近い”って、やっぱり)
彼は、気づいていた。
私が“当てていた”ことも、
それを“やめなかった”ことも。
「……不快でしたか?」
勇気を出して訊いた。
彼は、目を細めて、静かに首を横に振る。
「……むしろ、嬉しかったです。
あんなふうにされたの、初めてだったから」
(……嬉しかった)
その言葉に、喉の奥が熱くなる。
もう、フェチとか、欲望とか、
そんな言い訳は必要なかった。
私は今、この人に――恋をしている。
**
カフェを出たあと、
彼がそっと訊いてきた。
「……もしよかったら、もう少しだけ散歩しませんか?」
私は頷いた。
並んで歩く道。
肩が触れそうな距離。
ときおり交わす、目線と微笑み。
こんなふうに誰かと歩くのは、
いったい、どれくらいぶりだろう。
途中で、信号待ちのとき。
ふと、彼の手が、私の指先に触れた。
ほんの一瞬。
だけど、そのぬくもりだけで、
心の奥が溶けていくようだった。
(“また会いたい”って思ったのは、私も同じ)
だけどそれは、
もう“患者と衛生士”の関係じゃない。
ふたりの関係が、確実に、次へと進みはじめた――
そんな夜だった。
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