第5話 「もっと、当ててほしそうだった」
倉田さんの通院も、あと二回。
虫歯の治療も順調に進んでいて、
本来なら、そろそろ“卒業”が見えてくる時期だった。
なのに私は、
治療が終わってしまうことが――寂しかった。
(もう、触れられなくなる)
彼の頬に、自分の胸が触れる感覚。
それを“偶然”と装いながら味わえるのは、
あと、たった数回。
そのことが、何よりも怖かった。
**
「こんにちは」
診療室に入ってきた彼は、
今日も変わらず落ち着いていて、
でもどこか……目の奥に、熱を秘めていた。
「倉田さん、お待ちしていました。
今日は左下、最後のチェックになりますね」
いつものように、ライトを当てて、
マスクの奥で深呼吸する。
そして――
私は、また前かがみになった。
右手でミラーを持ち、
左手で彼の口元を固定する。
その瞬間、
彼の頬に、私の胸が触れた。
ふわっ、と。
いつもよりも、長く。
少しだけ、強く。
**
明らかに、彼の身体が反応していた。
指先がわずかに震え、
喉が鳴るのが見えた。
私は、口元のマスク越しに微笑んだ。
(やっぱり……待ってたんだ)
触れられることを。
触れてほしいと、思っていたのだと――
そんなふうに解釈してしまえるくらい、
彼の身体は、正直だった。
処置が終わっても、彼はすぐに立ち上がらなかった。
目を閉じたまま、
ゆっくりと息を吐き出していた。
私は、その姿を見下ろしながら、
自分の胸元に、じんわりと広がる熱を感じていた。
**
「由紀さん……」
初めて、名前で呼ばれた。
ユニットを起こしたあと、
彼が小さくそう呟いた。
「……なにかありましたか?」
「いえ……あの、
もう……終わっちゃうんですね」
それは、治療のこと?
それとも、この“接触の時間”のこと?
私は、目を伏せて答えた。
「あと1回、ですね」
ほんのわずかの沈黙のあと、
彼は立ち上がり、頭を下げた。
「……よろしくお願いします。来週も」
(……“また”って言った。
それって、治療のことだけじゃないよね?)
**
帰り際。
彼の背中を見送ったあと、私は胸元を押さえた。
まだ、じんと熱が残っていた。
(もっと、当ててほしそうだった)
そう思ったとき、
私はもう完全に、フェチのなかに沈んでいた。
この快感を知ってしまった自分を、
もう誰にも止められない。
そして――
きっと、彼ももう、
“それ”を、待っている。
最後の通院日。
私は、覚悟を決めていた。
(この胸で、全部、伝えるから)
触れるだけじゃ、もう足りない。
私は、彼に“私そのもの”を感じてほしかった。
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