第13話「誰かの“ご期待”に応えるだけの、簡単なお仕事です」

ギルドの扉を開けるのも、もう十回を超えた。

さすがに、少しは慣れてきたころ。


そんな朝──知らない男の人に声をかけられた。


「……俺にお礼、ですか?」


その人はニコニコと柔らかく笑い、両手を軽く広げた。


「そうそう、いやぁ、助かってるよ、本当に。狭間野くん」


「……えっと」


声も顔も初対面だ。なのに、昔からの仲間みたいな話し方だった。


妙に親しげで、逆に怖い。誰だ……?


戸惑っていると、ティナさんがギルドの受付から姿を現した。


「──あっ、支部長! おはようございます」


──支部長さんだったんかい。


危ねぇ。めちゃくちゃ失礼な顔をしてたかも。


どう返そうか目を泳がせていると、ティナさんが俺の隣に並んできた。ぐいっとその男性に詰め寄る。


「あの、リッテルアさんってまだ確定しないんですか!?」


「うん、リッテルアくんね。ちゃんとエリア長とも話してるから。大丈夫大丈夫」


そう言うと、笑顔を張り付けた支部長は、また俺の方を見た。


「今期の数字がこれなら、来季も安心だ。成果が出たのは、みんなのおかげだよ。もちろん、ティナくんも、狭間野くんもね。ありがと、ありがと」


それだけ言って、奥に引っ込んでいく。


掴みどころのない人だな。なんというか──目が、俺を見ていないっていうか。

褒められたはずなんだけど、どうにも実感が湧かなかった。


「いっつもあぁなの。のらりくらり」


ティナさんは鼻息を荒くしていた。


そして、切り替えるように軽くため息をつくと、こちらに話しかけてくる。


「ねぇ、ところで悠真くん。ちょっと、相談というか……」


ティナさんは口元へ手を当てて、何事か思案しながら話し始めた。


「最近さ、アタリ個体が前より減ってきてる気がするのよ」


……えっ。


「それ、大丈夫なんですか?」


「……まぁ、旬の終わりが近いし、当然っちゃ当然なんだけどね。たぶん」


少し自分に言い聞かせるような声だった。


「でも──支部長のあの感じ、見てわかったでしょ? 上はまだ、リッテルアさんのこと渋ってるの。だから、今あんまり成績落とせないのよ」


そして、申し訳なさそうに続ける。


「そんなわけで、別の採集所も回ってみようと計画してるんだけど──大丈夫かな?」


ティナさんの目は真剣だった。


……こんなん断れるわけなくない?


「えぇ、もちろん、大丈夫です」


反射的にそう返したものの、あとからもやもやと違和感が膨らんでくる。


──なんで、まだ何も変わってないんだろう。


アタリ個体で品質が上がった。

道路を直して、二往復できるようになって、採集数が上がった。


みんな喜んでた。


それなのに、リッテルアさんのことは何も進まなくて、今度は別の場所も……って──


これって、いつまで頑張ればいいんだ?

……なにか間違ってるのか?


違和感は、不安へと変わって、体にまとわりつくようだった。


「ていうか、別の採集所ってことは──」


小声でザズに相談する。


「えぇ、そうですね。夜な夜な道の改善をする日々が返ってきます。嬉しいですか?」


「嬉しくはないね……」


まぁ、ここまできたら、最後までやるけどさ。


「おーい。なんか荷車届いてるぞー!」


ザズの回答にうんざりしつつ出発の準備をしていると、ダリオさんが入ってきた。


リッテルアさんが別の部屋から出てきて、慌ててダリオさんに駆け寄っていく。


「荷車? なにも聞いてないわよ?」


「おぉ、そうなんか? 10台くらいきてるぞ」


「そんなに!? 誰が使うのよ?」


「いや、俺に言われてもよ……」


二人が騒いでいると、奥からまた支部長が顔を出した。


「あぁ、来た来た。11台のはずだけど、ちゃんとあるかな?」


「……支部長、これ、どういうことですか?」


リッテルアさんが鋭い目で詰め寄る。


支部長は顔だけ出したまま、目を逸らしつつ、とぼけた調子で答えた。


「いやあ、上がね、『もっと荷車があれば、もっと採集できるだろう』って。ありがたい話じゃないか。

──じゃ、リッテルアくん、あとはよろしくねー」


そのまま、また奥へ引っ込んでしまった。


……なんか、リッテルアさんが実質ここのリーダーみたいになってしまってる理由が、いまのやり取りでよく分かった気がする。


その消えていった背中を、リッテルアさんはしばらく睨みつけていた。


やがて、大きく、大きく、ため息を吐く。


「……ほんと、感謝が止まらないわ」


そして、いつもより鮮やかな笑みを浮かべて、こちらを振り返った。


「じゃあ……荷車の分、何個採れって思ってるのか、まず逆算するわ。

本部の”ご期待”を裏切らないように、“効率的に”再構築するから。15分待って」


その笑顔は、今まで見た中でいちばん──張りついたように、冷たかった。


「……無理そうだったら、とっとと諦めて。

上の人たち、あんたたちが壊れるかどうかなんて、ほんと興味ないから」


底の見えない怒りのようなものを感じた。


でも、リッテルアさんが何に怒っているのか、うまく掴むことができなかった。


「“改善されてない道の一覧”も送っておく。参考にして」


最後は、なぜか俺とザズに向けられたような気がした。

俺は何も言えずに、静かにうなずいた。


……とにかく、夜はまた、道の改善をしないと。


同じことを、またやる。先は見えない。

それがわかってても、いまさらどうしたらいいかは、わからなかった。


※ ※ ※


夜は、雨が降っていた。

俺はさっそく、ザズと一緒に新しい採集ルートに来ている。


周囲は、ザズが手から放つ光で、わずかに照らされていた。


「スキル:≪オルビネス≫」


手に幾何学の紋様が走り、緑色の液体があふれてくる。

このねばつく液体を地面に撒くと、数時間後には滑らかに固まり、水はけのいい道路になる。


言いようのない不安から逃げるように、俺は作業に没頭した。


「靴の中が気持ちわりぃ……」


雨の日でも使えるのはありがたいけど──ありがた迷惑ってやつだった。


「……よし、こんなもんだろ」


一通り終え、軽く伸びをする。

このあたりは、だいたいきれいに整った。


ふと、顔を上げる。

雨音が、やけに耳についていた。


……ザズが何も反応しないから安全なはずなのに、背中が妙にそわそわする。


「ザズ、誰もいないよな?」


「はい。……おそらく」


「……おそらく?」


「いえ、不思議粒子の揺らぎは検知されておりません」


……なんか、今日に限ってずいぶんあいまいなの、やめてほしい。


──あれ?


ザズが照らす光が一瞬だけ揺れたように見えた。なにか、人影のような。

それに合わせるように、雨音の中に、水たまりを踏むような音が響いた気がして──


……空耳か? そう思ったとき、また一度、光がわずかに揺れた。


俺は、呼吸を止めて、音の方向に目を凝らした。


……誰もいない。


「……気のせいか」


ほっと息をついた、その瞬間──


「凄いね」


背後からの声に、思わず肩が跳ねた。


「そんなにスキル使い続けられる人、初めて見たわ」


慌てて振り返る。


光の届くギリギリの暗がりに──


リッテルアさんが、立っていた。


傘も差さずに、髪も服も、びしょ濡れのまま。

雨も気にしていないかのように、こちらをじっと見ていた。


まるで、こちらのすべてを見透かすような目に射抜かれて。

俺は、石像のように、固まっていた。


──見られた。


その一言だけが、頭の奥で、何度も反響していた。

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