第14話「雨と秘密」

「……っ!?」


驚きすぎて、声も出なかった。


石像のように固まったままの俺に、


リッテルアさんは、静かに言葉を落とした。


「やっぱり、あんた達だった。……まぁ、他に考えられないよね」


雨音の中でも、その声はやけに鮮明だった。


淡々としているのに、鋭くて、ひどく冷たく感じた。


「必要な道から順番にきれいになって。誰も気づいてないと思った? 

……無理あるよ」


「え……えっと、その……」


言葉が詰まって、何から説明していいか分からない。

まるで、怒られてる小学生の気分だった。


「別に、隠してたわけじゃ……いや、隠してたかもしれないけど……」


無理やりひねり出そうとして、ろくな言葉が出てこない。


あたふたする俺を、リッテルアさんはじっと見続けていた。


「でも、誰にも迷惑かけてないっていうか……その……」


ダメだ。もう無理だ。


しぼんでいく声に諦めが混じったとき──

リッテルアさんはなにも言わず、一歩だけこちらに近づいた。


思わず、一歩後ずさる。


「……ていうか、なんでここに? ま、まさか……ずっと見てたとか……?」


「……いいえ? 今日が初めて」


じゃあ、なんでそんなに──


続く言葉が出てこなくて、口を開きかけて、閉じる。

代わりに、喉の奥から乾いた息だけが漏れた。


「……やっぱり、間違ってたのかも」


「……え?」


「……あんたの背中、押しちゃったの」


ぽつりと落ちた言葉に、俺は思わず顔を上げる。


リッテルアさんはうつむいていて、表情を読み取ることができなかった。


「止まらなくなっちゃったよね。あんたも、周りも。……想像を、軽く超えてた」


そして、なにかを飲み込むように顔を上げて、リッテルアさんは微笑んだ。


「そんなスキル、使えると思わないじゃない? どうなってるの?」


「……」


喉の奥に、何かが詰まったようで──

声にならなかった。


スキルのことも言えず、リッテルアさんの言葉の温度も、読み取れなくて。

俺は、ただ、黙って立ち尽くしていた。


しばらくの沈黙ののち、リッテルアさんは諦めたように、ふっと笑う。


「……まぁいいわ、私が気にしても仕方ないし」


その言葉と共に、こちらにゆっくりと歩いてくる。


まだ、なにかあるのか。


俺は、どうしていいかわからず、ザズの方を見た。

……助けを求めたわけじゃない。けど、視線はそっちに向いていた。


ザズは静かにうなずくと、リッテルアさんに問いかける。


「……リッテルアさん。スキャン範囲にあなたのスキル残滓が一切ありませんでした。


それは、通常では考えにくい状態です。なぜでしょう?」


唐突な質問に、俺も思わず眉をひそめる。


……確かにそうだ。ザズは誰もいないと言っていた。


リッテルアさんは、歩く速度を緩めることなく、

ほんの少し、だけど確かに──目の奥を、遠くに向けた。


そして、まるで天気でも答えるみたいに、淡々と言った。


「残滓なんて、あるわけないでしょ。私、スキル使えないのに」


ゆっくりとした足音が、こちらへと近づいてきていた。


雨音が、強くなった気がした。


「……え?」


思わず声が漏れたけど、何に対して驚いているのか、自分でもよくわからなかった。


言葉は理解できる。けど、意味が、頭に入ってこない。


「……スキルが、使えない……?」


この世界の人間は、生まれたときに光帳を与えられるんじゃないのか?

あれ、でも、リッテルアさん、光帳使ってたよな……?

それなのに、スキルが使えない……? どういうことだ?


俺の混乱を見透かしたように、ザズが静かに言った。


「……システム上、ありえません」


「そうね、ありえない。……だから、ギルドにも切られるのよ」


リッテルアさんは、冗談みたいに笑ったけど──

その目は、冗談を言っている目じゃなかった。


「”だから”って……。じゃあ、それが原因なら、成績を上げても」


「うん、多分、意味ない。そういう話じゃ、ないから」


リッテルアさんは、苦笑して肩をすくめた。


「みんな、優しいのよ。『スキルが使えないとか関係ない』って。

……でも、そういう問題じゃないのよ。何度言っても、諦めてくれなかった」


胸の奥が、きゅっと冷たくなる。


リッテルアさんの笑顔は、何かを押し込めているように見えた。


距離を取るみたいに。期待されないように。期待しないように。


……聞いていて、つらかった。


「優しいの。……でも、優しさは、万能じゃない」


──なんで、そんな言い方。


「……それでも、助けたいって思ったら、ダメなのか?」


思わず口から出た言葉に、リッテルアさんは足を止めた。


気づけば、彼女はすぐそこまで来ていた。


雨の中、立ち尽くしたまま、こちらをじっと見ている。


表情から力が抜けていた。


……言ってはいけないことだったかもしれない。


そう思った時には、もう遅かった。


リッテルアさんが、大きく息を吸う。


鋭い視線が、俺を射抜いた。


顔に色が差し、眉が跳ね、肩がわずかに揺れる。


「あんたまさか、善意で世界救えるとか思ってないよね?」


怒っているようにも見えた。

でも、俺には、そうじゃないような気がした。


それはたぶん、抑えきれずにこぼれそうな──

燃え残った、過去の火種。


「努力して、頑張って、必死に結果出して……なにか良いこと、あったのかしら?」


「──っ!」


言葉が、胸に突き刺さった。

俺自身、ずっと感じていたことを、見透かされたような気がした。


リッテルアさんが、ぐっと詰め寄ってきて、俺の手首を乱暴に掴む。

そのまま、≪オルビネス≫の粘液まみれの手を、ぐいと持ち上げた。


「……痛っ」


強引に引き寄せられた手の向こうに、リッテルアさんの燃えるような瞳があった。


「ねぇ、誰のために”これ”、やってるの? 私のため? ギルドのため? それとも……なんとなく、やれるから?」


誰の、ため……?


ぶつけられた言葉に、思考が宙を漂う。


もちろん、リッテルアさんのため──そう言おうとして、口は開かなかった。


……本当に?


今までだって、そう思ってやってきた。


でも最初は? どうだった?


ちゃんと考えたことなんて……あったか?


黙っている俺を、リッテルアさんは、なにかを見極めるように見つめていた。


そして、一瞬だけ迷うように、目を伏せ、

大きく、ゆっくりと、息を吸って──

戻れない言葉を吐き出した。


「あんた、もしかして……」


時が凍り付いたように、リッテルアさんの声だけが、静かに、はっきりと聞こえていた。



「悪魔でも呼ぶつもり?」



──雨音が、響いていた。


ザズの照らす光が、雨粒を跳ねる水たまりと、木々のざわめきを映していた。


俺とリッテルアさんは、そのまま、黙って見つめ合っていた。


「……悪魔、って……?」


何とか絞り出した声に、リッテルアさんは、はっと我に返ったようだった。


握りしめていた俺の手を放して、一歩、後ずさる。


「……ううん、ごめん、なんでもない」


思考を振り切るように、頭を横に振る。


じっとりと濡れた赤い髪が、大きく揺れた。


「……そういうつもりじゃないなら、いい。今のは、忘れて」


うつむいたまま、そう言うと、くるりと背を向ける。


そのまま、走るように、夜の中へ消えていった。


結局、俺は何も言えなかった。


リッテルアさんの足音が遠ざかっていく。


でも、胸の奥には、いくつもの言葉が、焼きついたままだった。


俺は、誰のために──


答えは出ないまま、ただ、雨だけが降り続いていた。

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