3話「縮まる距離」

 翌週、また河川敷の階段で可奈と会った。


「やっほ」

 彼女は小さく手を振り、立ち上がった。スカートを両手で払うと、当たり前のように僕のとなりを歩き始めた。前回とは違う、大人っぽい香水の匂いがする。内心ドキッとしたが、気にしないフリをしてゴミを拾った。


 可奈は僕にスマホを見せてきた。それは先週あげた石を勉強机に飾った写真だった。

「どう? えてるでしょ」

 机には黒いボールペンが一本と、白いメモ帳、その上に丸い石が置かれている。他にも写真を見せてもらったが、やけに質素な部屋だった。

 可奈は少し間を開けてから話し始めた。

「私ね、中高一貫の女子校に通ってるの。ほら、野球場の近くにある」


「そうなんだ」


「したたかな女になりなさい、ってママに言われてさ。したくもない中学受験を頑張ったの」

 可奈は冗談っぽく言ったが、本当の笑顔ではなかった。

「でも女子高の独特な雰囲気が合わなくてね。他校の男子とばかり遊んでたら、学校で浮いちゃったの」


 僕は黙って聞いた。やはり可奈の話は人を惹きつける。


「今では恋愛も億劫おっくうになっちゃってさ」

 彼女はため息をついた。

「だって、『浮気されてるかも』と思いながら付き合うのって嫌じゃない?」


 可奈は木の枝を拾い、雑草をるようにして遊び始めた。

「ねえ、男ってみんな浮気するの?」


「それは、人によると思うよ」


「お兄さんはしたことある?」


「ないよ」


「今後もしない?」


「するつもりはないけど、未来のことだから断定はできない。僕は弱い人間だし、人生は何があるかわからないから」


「あなたって正直なのね」と可奈は言った。

「だから彼女がいないんだわ」


 僕は彼女がいないなんて言った覚えはない。まあ、事実なのだが。


「家にはママの彼氏が来るし、遊び相手もいないから、なにげなく図書館に入ってみたの。静かで、涼しくて、居心地がよかったわ。本なんて興味なかったけど、何もせず座るわけにもいかないじゃない? それで、名前を知ってる本を読んでみたのよ」と可奈は言った。

「ノルウェイの森って面白い作品ね。エッチなシーンがたくさんあって」


 不純な感想だが、読み方は人それぞれだ。グラビアを見たくてサンデーを買う男だっている。


「そして、今はこれ」可奈はショルダーバッグから文庫本を取り出した。

「吾輩は猫である」

 背表紙に図書館のバーコードが貼られ、本の真ん中あたりにしおりが挟まっていた。


「それにしても、どうして君……可奈は、わざわざ炎天下の河川敷に座ってるの?」


「だって、かわいそうな姫をが迎えに来てくれるかもしれないじゃない?」と言って可奈はウインクした。

「まあ、王子様って言うほどかっこよくなかったけど」


 イケメンじゃなくて悪かったな、と思った。それに持っているのは花束じゃなくてゴミ袋だ。




 穏やかな水の音で、いくらか涼しさを感じられる。可奈はその場で大きく伸びをすると、川の方を指さした。

「ねえ、あれってハクチョウかな?」

 そこには、浅瀬を優雅に歩く一羽の白い鳥がいた。


「いや、あれはダイサギじゃないかな。足が木の枝みたいに細いし、首をS字に曲げてる」


「へぇ~」

 可奈はスマホを取り出し、サギを写真に収めた。ついでに地面の白い花も撮り、満足そうにしていた。


「私ね、家であなたのことを考えてたの」


 また心臓が鳴った。


「どうして一人でゴミ拾いをしてるんだろうって。それはきっと、『正義感』だわ。けがをしたカラスにエサをやるのもそう。あなたは、人類の責任をひとりで背負おうとしてる」

 可奈は寂しそうに笑い、こちらを見つめた。僕は黙って目をそらした。




 高速道路の高架下には、優しい日陰ができていた。僕たちは自然とコンクリートの段差に腰かけた。ニ羽のハトが先客で休んでいる。僕はタオルで汗を拭い、彼女は手持ちの扇風機を首元に当てていた。暑さで火照ほてった顔が可愛らしい。


「そうだ。暑いし、お兄さんの家に行こうよ」


「えっ!?」


 僕はしばらく固まった。


「い、いや、それはダメだよ」


「どうしてよ?」


 まっすぐ聞かれると、返答が難しい。


「まず、君が未成年だからだよ」


「私、もう十八歳だから大丈夫よ」と可奈は誇らしげに言った。「先月の選挙にだって行ったの。偉いでしょう?」


「年齢を証明できるものは?」


「やめてよ、職務質問みたいな言い方」


 可奈は面倒くさそうに、財布からマイナンバーカードを出して見せた。確かに、生まれ年を計算すると十八歳だった。


「うーん。いや、でも、ダメだよ。君は高校生なんだから」


「条例のこと? そういうのってさ、不同意にをしちゃいけないって話でしょ。するつもりなの?」


「いや、そうじゃないけど……」


 どんどん断る理由がなくなってしまう。弁論大会でもしている気分だ。僕は財布から二千円を取り、彼女に差し出した。


「ちょっと、そのお金で私を買おうっていうの? そんなに安い女じゃないわ!」


「違うよ。暑いなら喫茶店とかファミレスで涼みなよってこと」


 可奈は顔を赤くして、てのひらを僕に向けた。

「ありがとう。でもいらないわ」


 トラックが大きな音を立てて頭上の道路を渡った。ハトはそれに慣れているのか、とてもリラックスしている。


「ねえ、どうして私に優しくするの?」


 どうしてだろう? もしかしたら、僕は心の繋がりを求めているのかもしれない。ただ、それは恥ずかしいので言わないことにした。


「君が子どもだからだよ」


「子どもじゃないもん。胸はそこそこ大きいし、大人の階段も上ってるんだから」


 そこまで聞いてない。


「じゃあさ、ジュースだけおごってよ」と可奈は言った。


「いいよ。何が飲みたいの?」


「そうねえ。お兄さんのセンスに任せるわ」


 部活の先輩もそんなことを言ってた気がする。

 僕は可奈を高架下に残し、近くのコンビニまで歩いた。店内は冷房が効きすぎて凍えそうだ。迷った結果、タピオカミルクティーとスタバのカフェラテを買った。女子高生が好きなものなんて、他に思いつかないのだ。

 早足で可奈のところに戻り、「好きな方を選んでいいよ」と言って二つを差し出した。


「ありがとう。じゃあ、こっちにするわ」

 可奈はスタバのカフェラテを取った。タピオカを選ぶと思っていたので、想定外だった。


 可奈は子どものような笑顔を僕に向ける。こういうスキルは天性のものだろうか。それからしばらく、川やハトを眺めてぼんやり過ごした。風は植物の匂いと可奈の香水を運んできた。

 突然、可奈は僕に腕を絡めた。それは異性へのアピールと言うより、寂しさを紛らわしているようだった。彼女にはそういう時間が必要なのだ。それにしても、女の子と腕を組むなんて何年ぶりだろう?


 可奈はカフェラテを飲み干すと、ゴミをボランティア袋に入れた。


「本当は、家庭ごみをこれに入れちゃだめなんだけどね」と言って僕もタピオカのパッケージを入れた。

「まあ、いつも頑張ってるから、神様も許してくれるだろう」


「自分を許せるのは自分だけよ」と可奈はつぶやいた。


 その後、三十分ほどゴミを拾い、僕らは爽やかに解散した。僕と可奈は毎週のようにこの川岸で会うが、連絡先は交換していない。そんな風にして、二人の時間は静かに流れていった。



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