17 最高にブチ上がる8月

 8月になったとたん、急に涼しくなった。まるで7月を暑くしすぎて途中で力尽きたような塩梅で、元気なのはセミと蚊だ。それに合わせてコオロギがヒュルヒュル鳴くようになった。


 伝助のリードに、蚊に効くと聞いてオニヤンマにみせかけたトラロープを結んでみたが、果たして効果はあるのだろうか。とりあえず蚊に刺されてかゆがっていることはないのでヨシとする。

 毎月約束の高級おやつ、要するにフィラリア予防の薬をもらえる日を楽しみにしているんだから、犬というのは単純である。


 父も母もリハビリが進んで元気になってきたらしい。最近では会いにいくのが照れくさいとか恥ずかしいとかいうこともなくなり、ときどき様子を見にいったりしている。

 母は膝の手術したところがよくなるにつれ元気になり、父も骨がくっついてきて元気そのものなのだが、病院では晩酌ができないといつもしょげている。

 貴文叔父さんの言っていた快気祝いパーティの話をしたら、母は「貴文さんらしいわねえ」と言い、父は「どうせ会費制なんだろ?」と言う。どちらもその通りなのであった。


 夕方、チイママさんの運転で市立病院に行ったついでに、近くのドラッグストアに寄る。新手のマニキュアが欲しくなったのだ。

 どんなのにしようかな。どうせ300円のプチプラのやつしか買えないので、悩みに悩んで薄くて透明なピンクにキラキラと魚の鱗のように輝く細かいラメが入っているやつにした。

 帰ってきてさっそく塗ってみる。おお、キラキラではないか。夏にぴったりだ。その夏もなにやら虫の息なのだが。


 ◇◇◇◇


 キラキラになった爪を見て悦に入っていたら、玄関チャイムが鳴った。出ていくと壮平くんだ。相変わらず伝助に激しく吠えられている。


「こんばんは。どしたの?」


「うん、お盆ってどうする? 毎年真美ねっちゃんの家に人来てたよな。じいちゃんばあちゃんの仏壇あるし」


「あー……そうだった。お盆かあ……」


 大事なことを忘れていた。そうだ、我が家には祖父母の位牌の置かれた仏壇がある。祖母の妹軍団は生きているだけで3人。祖父のきょうだいは早死にの家系で全滅しているが、その未亡人が1人と父たちのいとこに当たる人が2人いる。

 さすがに高齢化が進み、全員拝みに来るわけではないが、それでも仏壇ブースを設営しなくてはならない。


「うちのオヤジ派遣しようか?」


「そうしてもらえると嬉しい。壮平くんは来ないの?」


「おちんぎんを貯めたのでコミケに一般参加で突撃する。なんならお使いもするぞ。やおい本は買うの怖いけど」


「あー……特に欲しい本はないかな。やおいは中学生で卒業したよ」


「そうか。チイママさんは元気か?」


「相変わらずだよ」


 いまチイママさんは台所で夏野菜のカレーを仕込んでいる。ちょうど玉ねぎを炒め始めたところだったので手が離せないようだ。


「おうおうでんちゃん。きょうもイキり散らしてるな。かわいいやつめ」


 壮平くんは伝助をヨシヨシしようとして拒否柴をされている。グルルル、なんて家庭犬から出てくるとは思われぬ唸り声をあげている。きっと猫の匂いがするのだろう。


「ヤスハルくん元気?」


「ヤスハルかー。もう結構なジジイ・ヌャンコだからなー。でも人間がテレビ観てると興味を引こうとして高いところによじ登ってモノを落とす悪い癖は相変わらずだな」


「猫ってそんなことするんだ」


 壮平くんのところのヤスハルという猫は、とにかく知らない人が苦手で、わたしが行っても隠れてしまう。

 だから生で顔を拝んだことはほとんどないのだが、ドコノコで時々顔を拝んでいる。たいへん可愛い猫さんだ。


「……真美ねっちゃんさ、最近ちょっとばあちゃんに似てきたよな」


「え、それは老けたってこと?」


「違う違う。俺は化粧のこととかぜんぜんわかんないけど、いっつもキリッと口紅つけてんじゃん。そういうとこばあちゃんみたいだなって」


 褒められているのだろうか。わからないが化粧するのが当たり前だと思われているというのはいいことなのではないか。


「じゃ、俺は帰って飛行機とホテル予約しなきゃなんで」


「うん。あとでコミケの土産話聞かせて」


 壮平くんは帰っていった。チイママさんが「カレーできたわよー」と呼んでいる。行ってみると夏野菜カレーが\でん/とできあがっていた。


 ◇◇◇◇


「なるほど。あのお仏壇を拝みにくる人がいるわけね」


「そうなんですよ。仏壇の設営については叔父さんを派遣してもらえると思うんですけど、お客さんが来たらお茶出して、祖母の妹軍団とは長話もあるだろうし……」


 カレーをモグモグしつつそんな話をする。チイママさんはワガママモードに突入した伝助にジャーキーを与えている。伝助はうれしそうだ。


「いいじゃない、快気祝いパーティに向けての実践練習だと思えば。アンタなんだかんだメイクは下地に眉とチークとリップで満足しちゃうじゃない? アイシャドウとかマスカラの出番よ!」


「なるほど……それもそうか」


「でもそうなるとアタシが邪魔ね」


「誰も気にしないと思いますよ?」


「だって親戚の皆さんはアンタのお父様お母様が入院してるならアンタと伝助ちゃんしかいないと思ってるんでしょう? いきなりこんなビューティフルな2丁目のチイママが出てきたらビックリするわよ。そうね、アタシもそろそろ整備点検が必要な時期ね」


「整備点検ですか」


 チイママさんは頷いた。


「これは法律の話なんだけど、汎用AIロボットって3ヶ月に1回、分解整備してチェックしなきゃいけないのよ。これを破ると200万円以下の罰金刑になっちゃう」


「けっこう大事な法律じゃないですか。でもお盆だと派遣センターお仕事休みなんじゃないですか?」


「点検整備もAIがやるからお盆でもできるわ。AIには休みなんて上等なものないんだから」


「……チイママさんの記憶、飛んじゃったりしません?」


「心配しなくて大丈夫。すぐ帰ってこられるし。じゃあお客さんがくるのは14日でいいのね?」


「ええ……毎年だいたい14日ですね。あのワンピース着よう」


「じゃあ点検整備の日をそれに合わせるわね。14日。よし予約とれた」


 そんなに簡単に、ロボット本人が予約できるんだ……。

 チイママさん、すげー。


 チイママさんはカレーをタッパーウェアに移して冷蔵庫にしまった。ニッ、と白い歯を見せて笑う。


「最高にブチ上がる8月にしましょ!」


 最高にブチ上がる8月。なんだかとても楽しそうだ。(つづく)

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