第38話:虐げられた村(1)

 嘆きの山脈を越えてから、一行の旅は再び荒野の様相を呈していた。

 しかし、その風景はかつて旅してきたどの土地とも異なっていた。

 大地は黒ずみ、まるで病に罹っているかのように生気が感じられない。

 草木は捻じくれ、空には常に鉛色の雲が垂れ込めている。

 ブレマダから溢れ出す濃密な闇の瘴気が、この一帯の生態系そのものを歪めてしまっているのだ。


 「……ひどい土地だ。空気がひどく澱んでいる」


 カイが、顔をしかめながら呟いた。

 魔術師のカイには、この土地に満ちる負のエネルギーが肌を刺すように感じられる。


 「ブレマダが近い証拠だ。アークの野郎、自分の城の周りをこんな不毛の土地に変えちまったってことか」


 ナラトが苦々しく吐き捨てた。


 そんな、絶望的な風景のなかをさらに2日ほど進んだ頃。

 一行は、地平線の向こうに信じられないものを見つけた。

 人の手による粗末な木の柵。

 そして、その向こうにかすかに見える数軒の家々。

 こんな死の大地に、村が存在していたのだ。


 「……罠かもしれないな……」


 メリッサが鋭い視線で村を観察する。


 「こんな場所に人が住めるはずがない。誘い込むための、幻術か何か……」


 しかし、カイは静かに首を振った。


 「いや……あれは幻術じゃない。微かだけど、人の営みの気配がする。それに、恐怖と……ほんの少しの祈りのような感情も」


 一行は慎重に村へと近づいていった。

 村の名前は、朽ちかけた看板によれば『オラース』というらしい。

 しかし、その村は人が住んでいるとは思えないほど静まり返っていた。

 家々はボロボロで、畑は枯れ果てている。

 道端には痩せこけた子供たちが、まるで生気を失った人形のように座り込んでいるだけだった。


 一行が村の中心部へ足を踏み入れると、数人の村人が怯えたような、そして敵意に満ちた目で遠巻きに見つめてきた。

 その誰もが栄養失調で頬がこけ、その目には希望の色が一切なかった。


 「旅の方かね……」


 背後から、しわがれた声がした。

 振り返ると、杖をついた1人の老人が一行の前に立っていた。

 この村の村長らしき人物だった。


 「あんたたちのような、まともな身なりの冒険者が、こんな死んだ村に何の用だ?さっさと立ち去った方がいい。ここは、あんたたちのような者が長居していい場所じゃない」


 老人の言葉は排他的だったが、その奥には一行を案じるような響きも含まれていた。


 「俺たちは、西へ向かう旅の者だ。少し、水を分けてもらえないだろうか。もちろん、礼はする」


 ナラトが、できるだけ穏やかな声で言った。


 「水、だと……?」


 老人は、自嘲するように笑った。


 「この村に、旅人にくれてやるほどの水など、もう何年も前からありはしないよ。全て、あの方々に税として納めているんでな」


 「あの方々?」


 リアンが尋ねると、老人は、村の外れにあるひときわ大きく、そして頑丈そうな建物を顎でしゃくった。

 そこは、この寂れた村には不釣り合いな、石造りの砦のような建物だった。


 「ブレマダの代官様と、その私兵の方々だ。あの方々が我々を保護してくださっているおかげで、我々はこうしてかろうじて生きていられるのさ」


 その言葉は、痛烈な皮肉に満ちていた。


 そのときだった。


 ガシャン!という乱暴な音と共に、一軒の家の扉が蹴破られ、中から1人の若い男が兵士に引きずり出されてきた。

 兵士たちの鎧は黒一色に塗られ、その胸には禍々しい蛇の紋章が刻まれている。


 「お前だな、今月の税を滞納しているのは?」


 「ま、待ってください! 今は収穫期じゃないんです! 畑には何も……」


 「言い訳は聞かん! 貴様には代官様直々に罰を与えていただく!」


 兵士たちが男を砦へと引きずっていこうとする。

 周囲の村人たちは、悔しそうに唇を噛み締めながらも誰も助けようとはしない。

 兵士に逆らえばどうなるかを知っているからだ。


 リアンはその光景を見て、腰の剣に手をかけた。

 しかし、ナラトがその肩をそっと押さえて制した。


 「待て、リアン。下手に動くな。まずは状況を知るのが先だ」


 その夜。

 一行は、村長の家にこっそりと招き入れられた。

 村長は、黒パンと濁った水のスープという、この村では最高のもてなしで食事を振る舞いながら、絶望的な状況を語り始めた。


 オラース村は、もともとこの荒野で細々と農業を営む、平和な村だった。

 しかし、アークがブレマダを支配して以来、すべてが変わった。


 アークはこの村をブレマダの食料供給地と位置づけ、代官と私兵を派遣し、村人たちに収穫物の大半を税として納めることを強制した。

 逆らう者は見せしめとして容赦なく処刑された。


 「代官の名は、ボルグ。元々は名の知れた残忍な傭兵だったそうだ。アークにその腕を買われ、この村の支配を任されている。奴がいる限り、我々に未来はない。ただ、ゆっくりと死を待つだけだ……」


 村長の話に、一行は言葉を失った。

 アークの支配の非道さは想像を絶していた。


 「……村の人たちは、ただ黙って従っているだけなのか?」


 ナラトが尋ねた。


 すると、村長は、声を潜めて言った。


 「……抵抗しようとした者たちもいた。私の息子も、その1人だった」


 村長の息子、マティアスは、村の若者たちを集めてレジスタンスを結成した。

 しかし、その計画は事前に漏れ、ボルグの私兵によって一網打尽にされた。

 マティアスは捕らえられ、今もあの砦の地下牢に囚われているという。


 「もう、終わりだ。我々には、もう何も……」


 

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