第28話:荒野に咲く小さな花

 ミレイスを出てすぐ、一行はカリオンと合流した。

 次の目的地がブレマダになったと伝えると、カリオンも神妙な面持ちになる。


 (そうか。確かにあそこなら何があっても不思議ではない。今回は万が一に備えて、適度な距離を保つとしよう)


 「助かるよ。何かあったらまた竜笛で呼ぶから」


 そうして一行は再びカリオンと別行動を開始した。

 ミレイスの西門を後にしてから5日が過ぎると、景色が次第に変わってきた。

 手入れの行き届いた石畳は途切れ、轍(わだち)の深い土の道になる。


 空気は乾燥し、日差しは肌を焦がす。

 時折、腐肉を求める禿鷹が、一行の頭上を大きな円を描いて飛んでいる。

 そんな殺伐とした風景のなかを、リアンたちは黙々と歩を進めていた。


 「この辺りになると、ミレイスの面影はずいぶんなくなってきたな。水も大事に使わねぇと干からびそうだ」


 ナラトが、水筒の中身を確かめながら悪態をつく。

 この辺りには立ち寄れるような村や宿場は見あたらない。

 ミレイスで十分な食糧と水をもらったが、一行は大切に使っていた。

 その日の昼下がり、一行が巨大な岩が転がる谷間に差しかかったときだった。


 「……待って」


 先頭を歩いていたメリッサが、すっと手を上げて一行を制した。

 メリッサの耳が、かすかな音を捉えたからだ。

 岩陰から慎重に様子をうかがうと、谷の中心部で、3人の男が1つの小さな影を取り囲んでいるのが見えた。


 男たちの身なりは、擦り切れた革鎧を着込んだ、ならず者の傭兵といったところだ。

 錆びた剣を抜き放ち、下品な笑い声を上げている。

 その目には、理性のかけらもなく、ただ、弱者をいたぶることを楽しむ、残酷な光が宿っていた。

 そして、傭兵に囲まれているのは見慣れない生き物だった。


 背丈はリアンの腰ほどで痩せこけた体。

 みすぼらしい布きれをまとっている。

 肌は土のような緑色で、大きな耳と、尖った鼻。

 まさにゴブリンそのものだった。


 しかし、そのゴブリンは、物語で語られるような凶暴さとは無縁に見えた。

 大きな黒い瞳は恐怖に濡れ、小さな両手で、大切そうに何かを抱きしめて震えている。

 戦うための牙も爪も、持っているようには見えなかった。


 「おい見ろよ、こいつ。ガキみてぇに震えてやがるぜ!」


 「ゴブリンの巣はこの辺りにはねぇはずだが、はぐれもんか? こいつが持ってるもん、きっと宝物だぜ!」


 「さっさとそれを渡しやがれ!この薄汚ねぇ化け物が!」


 傭兵の1人が、ゴブリンが抱えている布袋を蹴りつけた。

 ゴブリンは悲鳴を上げて転がり、布袋から色とりどりの石や、乾いた薬草のようなものが散らばった。

 宝物などではない、ガラクタ同然のものだ。

 子供が、道端で集めてきた宝物のような、ささやかなコレクション。


 「ちっ、なんだこりゃ。石ころと草だけかよ! 時間の無駄だったな!」


 「まあいいや、暇つぶしだ。こいつを的にして遊ぼうぜ! 泣き叫ぶところを肴に、一杯やるのも悪くねぇ!」


 傭兵の男が剣を振り上げた、その瞬間だった。


 「そこまでだ」


 岩陰から、静かだが、凛とした声が響いた。

 傭兵たちが驚いて振り返ると、そこにはリアンが1人、静かに立っていた。


 「あんだ、てめぇは。ガキが1人で何してやがる。パパとママにでも捨てられたか?」


 リーダー格の男が、嘲るように言った。


 「見てわからないのか? くだらない弱い者いじめの邪魔をしに来たんだ」


 リアンは、腰の剣にゆっくりと手をかける。

 その瞳には、かつてのような恐怖も迷いもなかった。

 ただ、目の前の不正に対する、静かで冷たい怒りだけが燃えている。


 「はっ、なんだと? こいつは邪悪なゴブリンだぜ? 人間が気まぐれに殺したって文句を言う奴はいねぇんだよ。それともなんだい? お前、この化け物の仲間か?」


 「仲間じゃない。けど、あんたたちの仲間になるよりはずっとマシだ」


 リアンの言葉に、傭兵たちの顔色が変わった。

 リーダー格の男は、舌打ちをすると、手下たちに顎でしゃくった。


 「このガキ……殺されたいらしいな。おい、お前らやっちまえ!! 金目の物を持ってたら剥ぎ取れよ!」


 リーダーの号令で、2人の傭兵が醜い笑みを浮かべてリアンに斬りかかってきた。

 その動きは、ナラトと比べればスローモーションのようだった。


 (見える……)


 リアンは冷静だった。

 相手の踏み込み、重心の移動、剣を振り上げる肩の筋肉の動き。

 ナラトとの地獄のような修行が、リアンの動体視力と状況判断能力を飛躍的に向上させていた。


 1人が振り下ろす剣を、リアンは最小限の動きでかわす。

 すれ違いざま、そして、その傭兵の軸足を軽く蹴り払った。

 体勢を崩した男は、無様に顔から地面に突っ込む。


 もう1人の男が、その隙を突いて横から斬りかかってくる。

 リアンは、その剣を自らの剣の腹で受け流すと、流れるような動きで相手の懐に潜り込んだ。

 そして、剣の柄頭を、男のみぞおちに正確に、そして容赦なく叩き込んだ。


 「ぐぼっ……!」


 蛙が潰れたような声を上げ、男はその場に崩れ落ちる。

 一連の動きはわずか数秒。

 それは、力任せに敵を斬り伏せる剣ではなかった。

 相手の力を利用し、急所を的確に突いて無力化する、ナラトが教えた「生き残るための戦い方」そのものだった。


 「……なっ!?」


 あっという間に手下2人が無力化されたのを見て、リーダー格の男は驚愕に目を見開いた。

 その背後に、いつの間にかナラトが音もなく立っていた。


 「よう。うちの若いのが世話になったみてぇだな」


 「ひっ……! い、いつの間に……!」


 男が振り向いた瞬間には、ナラトの巨大な拳がその顎を打ち砕いていた。

 リーダー格の男は、一言も発することなく、白目を剥いて地面に沈んだ。


 「さて、と」


 ナラトは、地面に転がっている手下2人の前に立つと、にっこりと人の悪い笑みを浮かべた。


 「お前らが持ってる金、全部置いてとっとと失せな。それとも、俺の剣の錆になりてぇか?」


 2人は命からがら有り金を全て投げ出すと、這うようにしてその場から逃げ去っていった。


 リアンは剣を鞘に納めた。

 初めて、自分の意志で、自分の力で、守るべきものを守り抜いた。

 心臓が激しく鼓動していたが、それは恐怖からではなく、確かな手応えと静かな達成感からだった。


 「……大丈夫かい?」


 リアンが、まだ震えているゴブリンに声をかけると、ゴブリンはびくりと体を跳ねさせた。

 しかし、リアンの目に敵意がないことを見て取ると、おずおずと顔を上げた。


 「あ……ありがと……。助けて、くれて……」


 舌足らずな、しかし懸命な声だった。


 「ギギ……僕、ギギて、いいます」


 ギギは仲間よりも体が小さく、穏やかで争いを好まない性格のために、住処である洞窟から追い出されてしまったのだという。

 散らばった石や薬草は、ギギが1人で生きていくために必死で集めたものだった。


 「あの、これを……お礼に……」


 ギギは、散らばった荷物の中から、ひときわ青く輝く薬草を1本、リアンに差し出した。


 「これ、月の光を浴びないと咲かない、珍しい薬草。どんな傷も、すぐに治す……」


 「いいよ、そんな。君がこれから生きていくために必要なものだろう?」


 リアンが断ろうとすると、ギギは力なく首を振った。


 「あなたたち、命の恩人。ギギ、これくらいしか、できないから……。受け取って?」


 その真っ直ぐな瞳に、リアンは薬草を受け取らざるを得なかった。

 カイがその薬草を見て、小さく息を呑む。


 「リアン、これは月光草(げっこうそう)だよ。伝説にしか登場しない、最高の治癒薬の材料だ。まさか、実在したなんて……」


 「へぇ、そいつはいいもんをもらったな!」


 「ありがとうギギ!大切に使うよ」


 リアンがお礼を言ってその場を去ろうとすると、ギギは何かを思い出したように声を上げた。


 「あ、あの! この先の山を越えるなら、気をつけて……!」


 「山に何かあるのか?」


 「空の牙、います。この辺りの空の主。鉄みたいに硬い鱗を持ってて、火を吐く、大きな翼を持つ獣。ギギの仲間も、何人も食べられた……。とても、とても、怖い……」


 空の牙、おそらくはワイバーンの一種だろう。

 闇の宝玉の影響とは関係なく、この広大な平原の生態系の頂点に君臨する原生の魔獣。

 ギギの話から、その脅威が生々しく伝わってきた。


 「わかった。教えてくれてありがとう、ギギ。君も達者でな」


 リアンは、ギギの小さな頭を一度だけ優しく撫でると、仲間たちと共に再び歩き始めた。

 ギギは、一行の姿が見えなくなるまで、その場で深々とお辞儀を続けていた。

 谷を抜け、再び荒野に戻る。

 夕陽が、一行の影を長く、長く伸ばしていた。


 「……なかなか様になってきたじゃねぇか、リアン」


 隣を歩くナラトが、ニヤリと笑って言った。


 「人を殺さず無力化する。仲間を守り無駄な争いは避ける。悪党からは、きっちりみかじめ料をいただく。傭兵としては、上出来だ」


 「俺は傭兵じゃないって……」


 リアンは照れ臭そうに返したが、その心は不思議な温かさで満たされていた。

 力とは、ただ敵を打ち破るためのものではない。守るべき小さな命のために、振るうことができる。

 あのゴブリンの震える瞳に、自分は正しい力を使えたのだろうか。


 リアンは、腰の剣の柄をそっと握りしめた。

 その感触が、今までとは少しだけ違って感じられた。

 それは、ただの武器ではない。

 仲間を、そして、この荒野に咲く小さな花のような命を守るための、揺るぎない意志の重みだった。


 暴力という影が支配するこの荒野で、ギギを助けるという小さな光を生み出せた今、その意味の、ほんの一欠片が、わかったような気がした。


 ブレマダの闇は計り知れないが、今の自分なら、きっと道を違えることはないだろう。

 リアンは、夕陽の向こうに続く果てしない道を、確かな足取りで踏みしめた。

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