第8話 ライバルの試練、真意の閃き
プロテストまで、
残すところあとわずか。
佐々木さんとの最終調整にも熱が入る。
俺の体は、かつてないほどに
仕上がっていた。
美咲との時間も大切にしながら、
プロへの道を信じて突き進む。
そんな時、
一本の電話が鳴った。
表示されたのは、
見慣れない番号。
しかし、頭に浮かんだのは、
たった一人の人物だった。
高校時代のライバル、鈴木。
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
電話に出ると、
聞こえてきたのは、
冷たく、しかしどこか
感情のこもった鈴木の声だった。
「久しぶりだな、田中」
その声は、七年前に
タイムスリップしたかのような
違和感を俺に与えた。
鈴木は、俺の再挑戦について、
どこからか情報を掴んでいた。
「お前がまた野球を始めたらしいな。
しかも、肩が治ったとか?
ふざけるな」
鈴木の言葉は、
鋭い刃のように俺の胸を刺す。
「お前が、どんな思いで
野球を諦めたか、
俺は知ってるつもりだった。
痛みを隠して投げ続けていたことも、
お前を倒すために、
俺も必死だったからな」
彼の言葉に、俺の心がざわつく。
なぜ、今、このタイミングで、
そんなことを言うのか?
胸の奥で、
怒りのような、
しかしそれだけではない、
複雑な感情の膨張が起こる。
翌日、会社のオフィス。
空気が、どこか重い。
同僚たちの視線が、
いつもより鋭く感じる。
スマホのニュースアプリを開くと、
俺の名前と、高校時代の写真が
トップに表示されていた。
「元『怪物』田中雄太、
過去の故障は『隠蔽』か?
プロ再挑戦に疑問の声」
見出しを見て、
血の気が引くのを感じた。
鈴木。
あいつがリークしたのか。
その瞬間、俺の心は、
激しい動揺に襲われる。
手が震え、
スマホを落としそうになる。
頭の中が真っ白になる。
しかし、その激しい感情の膨張の奥で、
俺の思考は、
冷静に状況をフィルタリングしていた。
なぜ、鈴木はこんなことを?
俺を潰すためだけではない。
あいつの言葉。
「お前を倒すために、俺も必死だった」
その言葉の奥に、
どこか、俺への不器用な、
「本気でやれ」というエールのような
価値観の発動を感じた。
こいつは、俺を試している。
そう直感した。
午後の休憩時間。
美咲から電話がかかってきた。
彼女の声は、震えていた。
「雄太君、ニュース、見た?
大丈夫なの……?」
美咲を心配させている。
その事実が、
俺の心を締め付ける。
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
美咲のためにも、
俺は、前に進む。
その価値観の発動が、
俺の心を強くする。
俺は美咲に、
落ち着いた声で答えた。
「大丈夫だよ、美咲。
俺は、逃げない。
ちゃんと、自分の口で話すから」
そう告げると、
美咲は安堵したように、
小さく息を吐いた。
その日の夜、
俺は佐々木さんと共に、
急遽、記者会見を開いた。
フラッシュの嵐。
記者の質問が、
まるで嵐のように浴びせられる。
「過去の怪我の隠蔽は事実ですか?」
「プロ再挑戦は、無責任ではないですか?」
俺は、マイクを握りしめた。
手のひらに、汗が滲む。
深呼吸を一つ。
喉の奥が、わずかに乾く。
「はい、事実です。
高校時代、私は肩の痛みを隠して
投げ続けていました。
夢を諦めるのが、怖かったからです」
そう告白すると、
会場が、わずかにざわついた。
だが、俺は、
美咲の顔を思い浮かべた。
彼女の支えが、
俺の背中を押す。
佐々木さんも、
俺の隣で、
静かに頷いてくれている。
俺は、真摯に自身の過去を語った。
痛みの中で野球を続けたこと。
その結果、夢を断たれたこと。
そして、奇跡的な回復を経て、
もう一度、本気で夢を追いたいこと。
「今回の報道は、
私の過去の弱さと向き合う、
良い機会だと思っています。
私は、もう逃げません。
このチャンスを、
決して無駄にはしません」
そう言い終えると、
会場は、水を打ったように静まり返った。
そして、数秒の沈黙の後、
ポツポツと拍手が起こり始めた。
その拍手は、次第に大きくなり、
会場全体を包み込む。
俺の目には、
温かい光景が広がっていた。
記者たちの表情は、
嘲りの色から、
どこか感動と、
期待の表情へと変わっていた。
翌日、ネットニュースは、
一転して俺への応援で溢れた。
「田中雄太、真摯な告白で再起へ」
「嘘を乗り越え、夢を追う男」
美咲からも、
「雄太君、本当にすごいよ!
私、雄太君を誇りに思う!」
と、弾んだメッセージが届いた。
鈴木が、俺に試練を与え、
結果的に俺をより強くした。
彼の行動が、俺の「プロとしての覚悟」を、
さらに研ぎ澄ませたのだ。
感謝にも似た、複雑な感情が
胸の中に広がる。
夜のグラウンドで、
冷えたボールをもう一度握る。
革の感触が、
心の奥に確かな誓いを刻み込んだ。
この思考が、
俺の動作へと繋がる。
スマホの向こうで、鈴木は何も言わずに
電話を切った。
その沈黙が、奇妙に温かく思えた。
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