第4話 異邦の青年(1)

 翌日の、良く晴れた朝のことだった。


 「わあ、凄い人だかり……」


 アーレム市を構成する5地区、いわゆる五階層内の一つ<衆生区>に、行き交う人々かわしつつその余りの賑わいへ目を丸くした少女の姿があった。

 そう、何といってもそこはこの街においてもっとも擁する人口多く、当然活気にも溢れること多き区画。特に真ん中を貫く大通りに至っては大小ひしめき合う店々と市内外問わぬ客、そしてさらにいくらでもそれらを呼びこまんとする商売人たちの掛け声で四六時中けたたましかったほどである。

 むろんそのおびただしい住人たちも皆いわゆる平民、それも<真理値>低くほとんどが貧しいランクに当たっていたのではあるが、しかしかえってそれゆえにか常に静粛な空気纏う貴種区や聖家区を遥か凌駕するくらいの賑々しさ放っている、それがここ衆生区という場所でもあった。

 すなわちその喧騒ぶりたるや、もちろんまこと慣れていない者にとっては驚愕に価するほどの極め付きのレベルで……。



 「ソフィー、離れないでよ。ここではぐれたら面倒なんだ」


 ゆえにそうして後ろを行くソフィーがどうにも周囲の光景に圧倒され歩みまで遅くなってくると、ロイドの声はややイラついた感混じらせ音量も大きくなっていた。彼はそのまま立ち止まって、少女の方じっと見つめる。


 「あ、ごめん。私あまりこんな下まで来たことなくて……」


 対して返ってきたのはやっと親友の方へ向き直ったソフィーの、素直に告げた謝りの言葉。その風見るにどうやら昨日イザーク相手に堂々とやり合った彼女も、こうしたげに不慣れな場所訪れると途端弱気な面が出てきたようである。

 ちなみに今日は学院が休みの日だったが、そのいでたちは二人とも揃っていつも通りの学生服=白の上衣、青の胴着、紫のケープというものだ。下にはロイドの方は膝丈の黒半ズボン、ソフィーは同色のミニスカートで、いずれにせよ実に軽やかかつ清潔感溢れている。

 ……と、いうことはまた別の見方をすればこの下町中の下町においてはあまりに小綺麗すぎて妙に浮いて見えるということでもあり、確かに道行く人々の目線が先ほどからやけに彼らへ刺さって感じられるのは決して錯覚などではない。

 それも妙に興味深げかつぎらついた感あからさまに。

 ――ご丁寧にも隙を見せれば何が起こるか分からないと告げているがごとく。

 それゆえそのことを経験上良く知るロイドとしてもあまり長時間ここをうろつくのは得策足りえないと早くも感じていたはずであり、その証拠に彼はいまだぼうとしたままの少女にさっと近づくと、その細い手しっかりと握り締めたのだった。


 「え、何?」

 「もう行かないと、この町であまり目立つのはちょっとまずいから。とにかくあの酒場まではもう少しなんだ」

 「わ、分かった」


 かくてごみごみした人の群れ掻き分け、ようやく前へと再び歩き出した二人。それなりに周辺一帯への土地勘あるということか、特に先行く灰髪の少年の足取りにはいまだ迷いがない。

 むろんいくらそんなロイドが衆生区の地理に多少明るかったとはいっても、特に開けた大通りから一歩でも中へ入った途端予想困難な危険が数えきれないほど待ち構えているのはこの地ではあまりに当たり前過ぎる常識、そもそも暗がりに気をつけよというのはここで生活する上で最も基本となる重い格言である。比較自体が無意味というか、さすがにあの最下層、悪名高き下卑区ほどの治安の悪さではないとしても、とにかく油断しないに越したことはない。


 「もう、離れちゃだめだよ」

 「あ、うん……」

 「もうすぐあの人に会えるから」


 そのため胸中にあの青年の怜悧な瞳思い出し確かに弾むものがあったにせよ、ロイドがすぐさま再び気を引き締め、そして友人の小さな手を決して離さぬようさらに力入れて知らずギュッと掴んだのも状況からして決しておかしな行動ではないのだった。


 「よその国から来た、間違いなく本物の錬金術師と」


 ――そうして彼はなぜかその瞬間うつむきつつ突然顔赤らめたソフィーの様子にはついぞ気がつくことなく、むしろいよいよどこまでも意気盛んと、下町の路上ただ突き進んでいったのだから。


                  ◇


 だがそれから数分後、薄暗い道歩きながら背後よりソフィーがいかにも不安げに訊ねてくると、ロイドはふいに威勢いくらかその強さ削ぎ落とされたのを感じていた。


 「本当にここなの……?」

 「えーと、うん、もうすぐ着くはずなんだけど……」


 むろん幼少期、父と僅かな期間ここで暮らした経験持つロイドとしては心の底から今すぐ少女安心させる声掛けてやりたかったが、しかしどうにも記憶の中の地図と辺りの景色が微妙ながら一致してくれない。

 むろん迷ったというほどの一大事態ではないのだが、しかし辿り着けそうでなかなか辿り着けない、そんな何ともむず痒くもどかしい状況なのだ。


 「おかしいな、この角を曲がればもう『新月亭』が見えてもおかしくないのに」

 「ハンカチに書いてあったお店の名前よね?」

 「うん。酒場だけど、宿も兼業しているんだ。学院でクレオナさんたちに聞いたら、そう教えてくれた」


 そう困惑したように言って再度辺り見回してみるも、やはり当然と言うべきか得体の知れないボロ屋と壁が続くばかりでお目当ての店を示す看板などは一向に視界へ入ってこない。彼は結局のところ細い裏道の真ん中でしばし呆然と立ち尽くしてしまっただけだ。

 その人通り少なく、表の大路とは大分趣の異なるやたらとうら寂しい静けさの中。


 「それにしても静かね」

 「……衆生区の裏道はみんなこんな感じだよ」

 「道を聞く人もいない……」


 かくて傍らの少女の発した声も心なしか不安の色が濃い。

 何よりどうあってもこの近辺の空気が肌に合わなくて仕方ないのだろう。

 一方のロイドがいまだキョロキョロしているのを、そっと後ろから見守りつつ。


 「もう少し奥の方かな?」


 もちろん当人たるロイドはロイドでどうしても件の人物に自分の潔白証明してもらいたくて、いまだ必死過ぎる態である。何より、あの自分のこと馬鹿にするイザークの意地悪げな顔が、今まさにふと脳裡過ってしまったのだ。

 いつも何かにつけてケチをつけてくる、アーレム有数の大商人の息子が。


 (絶対に嘘じゃないって認めさせてやる)


 知らずふつふつと湧き上がる、常にはないくらいの気合。

 やはり何があってもここに来た目的は達成しなくてはならない。

 そうして彼はメラと胸に炎点し、何とかこの細路のどこかでお目当ての酒場探し出そうと――。



 「あっ!」


 だが、かくしていよいよまた歩き出そうとした、次の瞬間……

 そんな彼の熱々した思いを破るかのように、突然ソフィーが何かを見て驚きの声知らず上げていたのであった。



 「ど、どうしたの、ソフィー?」


 当然ながら、ロイドは驚きまなこ現わしたままドギマギと訊ねている。


 「と、通りの奥、人がいたの……」

 「人って、どんな?」

 「黒いマント羽織って、見たことない服装した。そうロイドが話してくれたような」

 「!」


 対してソフィーが伸ばした人差し指で示したのは、その言の通り少年の位置からは大分離れた先、ただでさえ暗い裏道のさらに奥まった辺りであった。


 「他に、顔とかは見た?」

 「ううん、とにかく分かったのは服装だけ。すぐ向こうに消えちゃったから」


 そうしてロイドは俄然瞳の輝き強くするとさらにソフィーへ質問ぶつけていたが、少女の方も突然のことでそれが精一杯だったのだろう。申し訳なさと残念さのない交ぜとなった顔でロイドの目見返してくる。

 だがむろんロイドとしてもその僅かな情報だけでかなり助けてもらったのはわざわざ言うまでもないことだった。


 「そんな、大丈夫だよ。確認のため一応聞いただけ。何よりソフィーが見かけたのがあの人なのは間違いないんだから」

 「そうなのかしら……」

 「うん、やっぱり見たことない服って言うのが」


 そして明るい笑顔まで浮かべて少女労うと話切り上げ、ロイドはくるりとはや前方へ走り出すかのような体勢まで現わしている。言うまでもなく、例の謎めいた人影すぐ全速力で追いかけるためだ。


 「あ、そうね、だったら早く追いつかないと」

 「行こうソフィー、今ならまだ絶対間に合うはずさ!」

 「あ、待って!」


 かくて途端、その裏道に響いた掛け声までやたらと威勢の良いものへ化し――


 「そして会えたら、もちろんボルグのこと話してもらおう!」


 こんな光乏しい細道にはとても似合わぬくらいの若々しい活気さえもが、その瞬間辺りに燦々と溢れ出ていたのである。


 むろんその時、彼らのそんな動きをどこか遠くからじっと観察する、怪しげな三つの気配があったことなど露知らず。

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