第4話 劉賢明
河南の街の大通りから少し奥まった路地裏に、美しく結い上げた女たちの髪を飾る
華仙堂は、高価な宝玉を扱う由緒ある老舗、
劉家の商いは、賢明の兄たちで十分に回っている。それで、末子には勉学の道に進ませて、将来はひとかどの役人になってもらいたいという親の願いだった。そのために、幼い時から私塾の李下学堂に長く通わせた。しかしその期待を、頭の出来の悪さで十五年もかけて裏切った賢明に、親はもう小店を切り盛りする才覚以外の何ものをも期待していない。
しかしながら、小店とはいえ建ててやり、安物であるが商品の髪飾りも揃えてやりと、「おまえなど、見限った」という言葉とは裏腹に、老いていく親にとってはいつまでも末子は可愛く目が離せない存在なのだろう。
まだ妻帯はしていない。
親の言いなりに勉学のために十五年も李下学堂に通い、「おまえにこれ以上の勉学は無理だ、小商いで生計を立てろ」と言われれば逆らうことなく小間物屋の店主に収まった。その彼が唯一老親に逆らっているのは、妻帯のみだ。「まあ、そのうちに店も軌道にのれば否が応でも妻を持ち子もなすだろう」と、いまのところ誰もが思っている。世間とはそういうものだ。
劉賢明は男にしては小柄で色白だ。
顔も体もその肌に毛はなくすべすべとして、太り気味で、手も足も子どものように短くむちむちと丸い。
通った李下学堂では、その頼りなさげな見かけ通りに勉学でも武芸でも下の下だった。賢明という名が大泣きするほどに、完全な名前負けである。
しかし、女のような見かけが華仙堂の店主としてはおおいに役に立っている。若い女たちは恥ずかしがることなく、髪飾りのことについて彼に相談できた。彼もまた嫌がることなく女たちの長考につき合い、最後にはよく似合う髪飾りを見つけてやる。
客の四、五人が立てば狭くなる店内と、その奥には小さな卓と椅子が二つ。そして詰めれば三人が掛けられる長椅子も一つ。店は千客万来とまでは言えないが、客足が途絶えるないほどには繁盛していた。
※ ※ ※
いま、賢明はその一つの椅子に座って、品定めをする若い女たちをちらちらと見やりながら、卓の上に置いてある仕入れ先から届いたばかりの
黒いビロードを貼った浅い箱に並べた簪の一つを手にとり
どの簪も親や兄たちが扱っている宝玉と比べたら
その時、浅黒い手がぬっと伸びてきて、箱に並べてあった簪の一つを奪った。
「こんなものを選ぶのが、女たちにはそれほど楽しいことなのか?」
その声の持ち主は長椅子の上にだらしなく寝そべったままだ。そのうえに耳が痒くなったらしく、手にした簪の先を耳の穴に突っ込もうとしている。
「うわっ、江ちゃん、なんてことするんだ。やめてくれ、それは大切な売り物なんだよ」
素っ頓狂な大声をあげて、賢明は
「賢明、悪い、悪い。あまりにも退屈なので、うっかりしてしまった」
だらしない姿勢とは裏腹に、案外と素直に江馬は謝った。
「ほんとうに江ちゃんは、油断も隙もあったもんじゃないんだからさ」
櫛を見定めていた客の若い女たちの間から、くすくす笑いが起きる。
男二人の会話も面白い。が、店主が年下の若い男を「江ちゃん」と呼び、そしてその江ちゃんが年上の店主を賢明と当たり前のように呼び捨てにするのも、彼女たちにとっては笑い転げたくなるほどに可笑しいことだ。
彼女たちは江ちゃんと呼ばれる若い男、淘江馬が何者であるか知っている。
河南ではその名を知らぬものがいないほどに、淘家は名門中の名門だ。
都から赴任してくる県令の下で、代々、河南の治安をあずかる都尉を輩出してきた家柄だ。十年前に当主が亡くなったと同時に、科挙に受かり都で皇帝の近くに仕えていた嫡男の淘蒼仁がその優秀さを惜しまれつつ戻って来て、家督と役職を引き継いでいる。
淘江馬は蒼仁の年の離れた腹違いの弟だ。
そして淘家の家のものらしく、顔立ちもよくほどよく肉のついた体は均整がとれていて背も高い。
髪飾り選びも彼女たちにとっては楽しいことだったが、時として淘江馬に出逢えることもまた彼女たちが華仙堂通いするひそかな理由でもある。
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