第2話 入り口
普段通る通学路からそれた横道を戸山さんに連れられて歩き、目的地と思しき建物に着いた。ごく普通の集合住宅。
特に断る理由もなかったのでついてきてしまったけれど、一体どんな意図があってのことだろうか。まさかそういうつもりではないだろうけれど、女性から家に誘われて、まったく期待しないというのは無理があった。
建物の中に入り、階段を上った。会話はあまりなかった。
「ようこそ我が家へ。手狭だけどね」
その部屋、三階の一番奥の一室が広くなかったことは間違いない。でも僕が真っ先に思ったのは、この部屋は空虚だということだった。
最低限の物は揃っている。しかし、この部屋には全くと言っていいほど住人の嗜好が反映されていない。必要な物と、一般に住居に存在するとされているものを集めただけ。この部屋には何があるかと聞かれて、すぐに的確に答えられる人はいないだろう。
何かしらはあるはずなのに、何もない部屋。塵一つない清潔さは住宅メーカーのカタログを連想させて不気味だ。埃が生活の証明になると初めて知った。
部屋というものに恐怖を覚えたのは初めてだった。本当にここに戸山さんは住んでいるのか。
女性の部屋に上がり込んで、浮ついていた気分はそれで一気に冷めた。そしてより一層僕を動揺させるのは、背中に突き刺さる冷たい視線だった。
(誰の?)
嫌な予感。帰った方がいいと、帰らなければならないと、精神の奥底の、何か根源的なものが告げている。
最小限の動作で振り返り、大股で足を踏み出した。目指すのはただ、部屋の外。それ以外のことは考えられない。だって、部屋の中はテリトリーだから。
(誰の?)
それなのに、踏み出した足はそこで止まった。目の前に立つそれに、僕は動くという観念を奪われた。
(だから、いったい誰の?)
……そんなの、決まっている。
「どうしたの?早く入りなよ」
戸山さんの表情はさっきまでと変わらない。でも彼女がまとう雰囲気は確実に変容していた。変わったというよりも、これまで隠していた物を現していた。
ここに来てはいけなかった。僕は何か関わってはいけないものと接触してしまった。
心臓がバクバクと音を立てる。怯えが総身を包み込む。戸山さんはきっと、僕が「気づいた」ことを感づいている。その証拠に、今も開いたドアの前に立ち塞がったまま。決して僕から目を離さずに。
いや違う。気づかせるために、僕をここに連れてきたんだ。そして今、何かを知ってしまった僕を逃がすつもりはないらしい。
また「何か」だ。さっきからわからないことばかり。大体、戸山さんが何者なのかすら不明だ。無論、昨日までとは違う意味で。
「あなたは……何、なんですか」
聞かずにはいられなかった。声は震えていたかもしれない。
すると戸山さんはドアを閉めた。ガチャリ、鍵がかかる。そして僕は、自らの失態を理解した。
僕は戸山さんの正体を尋ねた。自分から、触れてはいけない何かに近づいてしまった。指摘してしまった。何も知らない、何も見ていないと言い訳して、これまで通りの関係に戻れていたかもしれない最後のチャンスを、自分の手で捨ててしまった。
「よくぞ聞いてくれました。とりあえず、適当なとこに座っといて。お茶淹れてくるから」
彼女は笑った。とても嬉しそうに。
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