第5話:悪疫令嬢と冒涜の鉄槌(ビッグヘッド・スマッシュ)



:悪疫令嬢と冒涜の鉄槌(ビッグヘッド・スマッシュ)


悪徳領主の失脚劇という『ビッグウェーブ』を巻き起こしたフローレンスだったが、その余波は意外な形で彼女自身に返ってきた。


「フローレンス!貴様という娘はッ!」


王都から文字通り飛んできた父、アリマ公爵の怒声が、静かな湖畔の別荘に響き渡る。

「領主一人を失脚させるのに、どれだけ周辺貴族を巻き込めば気が済むのだ!おかげで父は、各方面への根回しと謝罪行脚で過労死寸前だぞ!」

「論理的帰結ですわ、父上。腐った枝葉を一つ剪定すれば、幹や根に影響が及ぶのは必然です」

「その悪びれない態度が問題だと言っている!いいか、もうお前には一切の能動的行動を禁ずる!次に何か問題を起こしたら、金輪際、王都の土は踏ませないと思え!」


最終通告を叩きつけ、公爵は嵐のように去っていった。

フローレンスは、再び完全な『待機モード』へと移行させられる。レオ少年は村の新たな代表として後処理に追われ、彼女の周りには誰もいない。暇だった。あまりにも、暇だった。


「……思考が、澱む」


フローレンスはテラスから立ち上がり、目的もなく森の中を散策し始めた。その足は、自然と今まで誰も踏み入れたことのない、森の奥深くへと向かっていた。


そして、彼女は『それ』を発見した。


森の開けた場所に、苔むした巨大な石像が鎮座していた。高さは10メートル以上。風化して顔の造形は曖昧だが、穏やかな表情を浮かべた仏像のような姿をしている。地元では『森の守り神』『石の巨人』などと呼ばれ、古くから信仰の対象とされてきた遺跡だった。


「…巨大石像。材質、花崗岩。建立年代、不明。宗教的価値、不明。…ふむ」


フローレンスは、その巨大な頭部を見上げた。

(構造的欠陥を発見。経年劣化による亀裂が、頸部に集中。外部からの衝撃に対し、極めて脆弱)


彼女の頭脳が、ただの事実を分析する。その時、近くの茂みからガサガサと音がした。現れたのは、数人の地元の子供たちと、村の長老だった。彼らは、石像に祈りを捧げに来たのだ。


「おお、これはアリマのお嬢様。このような場所で奇遇ですな」

長老がにこやかに話しかける。

「この『大仏様』は、我々の心の拠り所。昔から、この大仏様の頭が落ちる時、村に大きな災いが訪れると、そう言い伝えられておりましてな」


「……頭が、落ちる時」


フローレンスの瞳の奥で、何かがカチリと音を立てて切り替わった。

退屈という名のシステムエラー。父からの行動禁止命令。そして、目の前にある、今にも落ちそうな巨大な頭部。


全ての条件(パラメータ)が、彼女の脳内で一つの結論を弾き出した。


『――面白そう』


その衝動は、論理でもアルゴリズムでもなかった。純粋な、子供のような破壊衝動。退屈を吹き飛ばすための、最も直接的で、最も愚かで、最も効率的な手段。


「長老。その言い伝え、わたくしが証明して差し上げますわ」

「は…?」


フローレンスは、踵を返すと、何かに取り憑かれたように鍛冶場へと向かった。レオが後処理で王都へ出向いている今、そこはもぬけの殻だ。彼女は炉に火を入れると、残っていた鉄を使い、驚異的な集中力で何かを作り始めた。


数時間後。彼女が手にしていたのは、巨大な『破城槌(はじょうつい)』だった。いや、先端が異常に巨大化し、アンバランスな形状をした、ただの巨大な鉄のハンマーと呼ぶべきか。


フローレン-スは、その巨大な鉄塊を引きずりながら、再び森の石像の前へと戻る。祈りを終えた長老や子供たちは、彼女の異様な姿を見て、恐怖と困惑の表情を浮かべた。


「お、お嬢様…?何を…」


フローレンスは答えない。ただ、鉄塊を構え、石像の足元に狙いを定める。彼女の計算では、ここに最大限の衝撃を与えれば、振動が頸部の亀裂に伝播し、頭部を落下させることが可能だった。


「や、おやめください!罰が当たりますぞ!」

長老が叫ぶ。子供たちは泣き出しそうだ。


だが、フローレンスは躊躇しない。

彼女は、持てる力の全てを込め、巨大な鉄塊を振りかぶった。


「ぶっ飛ばせ」


誰に言うでもなく、呟く。


「大仏の、頭をッ!!」


ゴォッ!!!


凄まじい轟音と共に、鉄塊が石像の土台を粉砕した。

地面が揺れ、木々の鳥が一斉に飛び立つ。石像全体が大きく傾ぎ、ミシミシと悲鳴のような音を立てた。


そして、ついに。


ゴゴゴゴゴ……ズズンッ……!


巨大な大仏の頭部が、ゆっくりと、しかし確実に、その胴体から滑り落ちた。それは数秒のスローモーションのようにも見え、やがて凄まじい地響きと共に、地面に激突して砕け散った。


森に、静寂が戻る。

後に残されたのは、首のない巨大な石像と、呆然と立ち尽くす村人たち。

そして、鉄塊を杖のように突き、荒い息をつきながらも、その口元に確かな笑みを浮かべている悪疫令嬢の姿だった。


「さあ、これでどんな災いが訪れるのかしら。楽しみですわね」


彼女の行動原理は、もはや誰にも予測できない。

論理的な謀略家か、気まぐれな破壊者か。


アリマ公爵の胃痛が、臨界点を超えるまで、あとわずか。


(第五話・了)

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