3-6 在り方の違い
「わかっててやったでしょう」
「おや、なんのことです」
「とぼけないで。雪燕のことよ」
皇子のときはなんとか飲み込むことができたが、今回は駄目だった。
あたりに人はいない。深玉は声を尖らせる。
「あなたは掖庭令と組んで雪燕を廉明殿で孤立させることで、精神的に参らせてこちらへ頼らざるを得なくしている。違う?」
夏丞に焦りはない。ただ「私が異動に一枚噛んでいると知っていたんですね」と言うのみである。
深玉は拳を握る。
「否定しないなら、肯定と取るけど?」
「構いません。意図してやったのは事実ですから」夏丞は淡々とした調子である。「雪燕さんの異動は、身の安全を優先するためです。水祥殿にとどまり続けては『水祥殿の呪い』とやらに殺されるかもしれませんから。殺されるか、孤立するか。どちらかを選ぶなら、孤立させた方がいいでしょう?」
深玉は奥歯を噛む。どうしてそう感情を排すのか、理由が分からなかった。
「もっと他のやり方が……彼女が蓉昭儀の情報を持っているかどうかなんて、まだわからないじゃない」
「綺麗事ですね」夏丞から表情が削げ落ちる。「皇子の件もそうです。できもしないことに口を出さないでいただきたい。これは私の職分です」
はっきりとした拒絶に、頭を殴られたような気分になる。
「それ、は」
「では、あなたはご自身の話術だけで情報が引き出せますか? なんの下地もなく、今の関係性のままで情報が取れるので?」
言葉に詰まる。今の深玉には、できない。
男は低く吐き捨てる。
「私は手段に共感なんぞ求めていません。今までもこうして成果をあげてきました。このやり方の、なにが悪いというんです?」
夏丞は間違ったことを言っていない。
蓉昭儀の死の真相を調べる、それが彼の仕事なのだから。完遂のために彼がどのような手段を取ろうが、深玉には関係ないはずだ。
前のように、文字だけ見て人の感情から目をそらしていればいい。そうすれば、こんな面倒なことを考えずに済む。
――そう割り切れたら、どんなに楽だったか。
「……なら最後にひとつだけ、聞いていい?」
ここで目をそらしてはいけない気がした。
己のためにも、彼のためにも。
「あなたはそれで、平気なの?」
夏丞がわずかに息を呑む気配があった。
「わたしには、あなたが他人の痛みを理解できないような冷酷な人間には見えない」
この男は人をよく見ている。ならば、人の痛みにだって人一倍に気づいているはずなのに。どうしてそう、心に刃を突き立てるようなやり方ばかりするのか。
口に出して、気づく。
おもえば自分は、彼についてなにも知らないのではないか?
夏丞が顔をそらす。
「……私が優しい人間に見えるのなら、それは勘違いですよ」
人の内側へ踏み込む勇気のない自分に、口を出す資格はないと言いたいわけだ。そして、夏丞にも踏み込ませる気がない。深玉は唇を噛むと、「なら、もういい」とだけ告げる。
これ以上は、話しても平行線を辿るだけだ。感情論より、今必要な話をした方がいい。
深玉はため息を押し殺す。
「……話を脱線させすぎた。仕事の内容に戻そうか」
返答は求めない。止まっていた足を動かすと、夏丞も遅れて歩き出した。
「そういえば、廉明殿に蓉昭儀の手紙はあったの?」
「……ありましたよ」夏丞の声音がいつもと変わりないことに、安堵と、ほんのすこしの悔しさを抱く。「こちらです」
差し出されたものは、数枚の紙が折り畳まれたものだった。
「内容はいいので、蓉昭儀の筆跡で間違いないかどうか、確認していただけませんか」
「……わかった。戻ってから確認する」
この手紙を調べて蓉昭儀の死の真相に近づけるといいのだが。深玉は手紙を懐深くに仕舞いこんだ。
ああ、蓉昭儀といえば――深玉は思い出す。
「ねえ、あなたは破邪香って知ってる? 雪燕から聞いたんだけど、呪い避けの香だって」
「知ってますよ。廉明殿で焚かれていた、無粋なあれでしょう。それがなにか?」
「誰が最初にこれをやり始めたのか、調べたくて」
深玉は揺れる庭樹を見つめる。あの甘い匂いが、風に乗ってここまで運ばれてきている気がした。
「その理由は?」
「後宮中がこぞってこの香を使うくらいだもの。はじめの方で、たしかに
夏丞は怪訝そうな顔をする。
「効いた、ですか」
「でなければ、こんなに広まらないはずでしょう。使わないと呪われるんだわ。だから、みなが手を出している」
夏丞はこちらの意図をはかりかねているようだった。「……どういう、意味です」
「気づかなかった? 水祥殿でも敦皇子さまのところでも、破邪香の香りはしていない。それだけが共通してる」
そう指摘すると、夏丞がはっと顔を上げる。
「雪燕は廉明殿では破邪香を『魏美人さまが亡くなってから』ずっと焚いていると言ってたわ。それってつまり、生前の魏美人さまは破邪香を使っていなかったってことでしょう」
ようやく腑に落ちたのか、夏丞が唸る。
「一理ありますね。ただの狂信めいた香だと思っていましたが、これ自体が呪いを演出する装置というわけですか」
深玉は思考を巡らせる。「蓉昭儀さまは呪いに見せかけた服毒死……なら、魏美人さまや敦皇子も、毒を使われている可能性がある?」
「そうでしょうね。微量な毒を継続的に服用させれば、たしかに衰弱症状が――失礼、ちょっと」
夏丞が背後を振り返る。なんだと問う前に腕を取られる。
「こちらの道で帰りましょう」
夏丞は大路から外れ、裏手の
「服毒で、間違いはないでしょう」夏丞が声を落とす。「ですが、毒見役に異変がないところをみるに、食事ではなく常飲している茶や水あたりになにか混ぜ込まれている可能性が高い」
そこまで絞られるのであれば皇子を救う希望が見えてくる。深玉はたまらず口を開く。
「原因を取り除ければ、皇子さまは助かるってことよね?」
「それは――」夏丞が一瞬言い淀む。「助かる、でしょうね」
含みのある言い方だった。
また衝突して話を止めたいわけではない――深玉はくちごもる。
「もしかして……あなたには助けない選択肢もある、ってこと?」
ただ夏丞の意志が知りたかった。
辛抱強く返答を待つと、夏丞は根負けしたのか息を吐きだす。
「他にいい手段があれば、そちらを取りたいとは思っています」と、前置きをされる。
「彼が助かるということは、犯人に『こちらが香のからくりに気づいたのだ』と知らしめることになります。まだ蓉昭儀の件が片付いていない今、下手に相手を刺激するのは得策とはいえないでしょう」
つまり、見殺しが一番良い選択だと言いたいのか。
「だけど、それって……」
事件の真相を解明するためには、必ずしも悪手とは言えないのではないか?
彼の言い分はもっともらしい。理屈は通っているのだが、どうにも引っかかる――これは批判じゃなくて、もっと夏丞自身に対する根本的な違和感だ。
視点が、違う?
そう、夏丞の目的が深玉とは違う気がしてならないのだ。深玉は蓉昭儀の死の真相を調べているつもりなのだが、夏丞はすこし違う――ああ、うまく思考が像を結ばない。
おそらく自分は、なにか大切なことを見落としている。
と、唐突に身体が傾いだ。夏丞が深玉の腕を引いたのだ。思考が霧散し、前へつんのめった勢いのまま彼の肩口へ顔を突っ込んでしまう。
「わぶっ……ちょっ、なに!」
文句を言うより先に、夏丞は腕を掴んだまま歩き始めた。歩調が早い。彼と身長差のある深玉にしてみれば、なかば駆け足であった。
「ねえ夏丞、どうしたの」
説明がほしい。強く彼の袖を掴むと。
「誰かにつけられてます」
低く、短く告げられた内容に、息が止まる。
「それって」
「黙って。巻きますから」
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