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 朝九時から夕方五時までアルバイトで潰す日々が始まった。水曜日曜、そして祝日が定休日で、店主の三隅だけでも回るような客の入りだった。小柴によると三隅の生活は年金で賄えるらしく、店はおまけのようなものらしい。それでも、三隅の前で漏らした彼方の話を聞き、アルバイトとして雇うことを自ら提案してくれたという。老人一人では行き届かない表の掃除や商品の整理をしていると、訪れる客は店が綺麗になったと笑いながらお世辞を言ってくれた。長年町を支えてきた商店は、近隣の住民が贔屓にしているおかげで成り立っていた。

 レジの操作は圧倒的に彼方の方が速かったので、あっという間に店のほぼ全てを任されることになった。業者とのやり取りを含めて三隅は客との会話を楽しみにし、時には彼方に留守番をさせて知人とお茶をしに出かけるという適当さだから、気楽なものだ。

 客が退店するのを見計らい、箒とちりとりを持って、大して汚れていない店の前を掃除する。店の横には大きな桜の木があり、四月下旬まで残った花びらや緑の葉をちらちらと路上に散らしている。暇を持て余して掃除をしながら、彼方はふと顔を上げた。

 丘の上から、町の中心にそびえ立つ塔の姿が見える。町に来た当初から不思議だった。天辺が見えないほど高い鉄塔など見たことがないし、町のど真ん中にあるのも不思議な話だ。円柱状の建造物がどんと町の中心に居座っているのだ。三隅に詳細を尋ねてみたが、まるで要領を得ないというよりは、興味がないようだった。叔父に聞いてみようと思いつつ機会を逸したままだ。

 店に戻り掃除用具を片付け、レジ前の椅子で船を漕ぐ三隅に話しかける。

「今日も、塔の上は見えないですね」

 顔を上げた三隅に、声を大きくして再度同じことを口にする。

「ありゃあ、そういうもんじゃ」

 自分の声が聞こえ辛いせいか、三隅自身の声も大きい。

「昔っから建っちょる。そういうもんじゃ」

 まるで納得できない返事をし、老人は昼飯のためにどっこらしょと奥の部屋へと上がっていった。


 飯の時間だと耳元で影の声がした。仕事を終えて帰路に着く彼方の影が真横で立ち上がる。

「まえ食ったばっかだろ」

「馬鹿か。あんなもんで足りるわけねえだろが」

 ちりんと鈴の音が聞こえるが、彼方はもう振り向かなかった。この道ではたまに鈴の音がする。しかしどこをどう探しても、音源は見当たらないのだ。

 影がにいっと口角を上げて笑う気配がある。

「あちこちに飯の種がいるぜ、この町は」

 仕方がない、帰って永遠に文句を聞かされては堪らない。

 帰宅せず、そのまま駅のある南の方角へ足を向けた。大きな川にかかる橋を渡り、土手を越え、ついでにその場所に行ってみることにした。目印は簡単だ、塔の姿は町のどこからでも見える。

 改めて近くから見るとその巨大さを痛感する。普段は誰も足を踏み入れないのか、周辺には雑草が腿の高さまで生い茂り、家屋も人の姿もない。塔の先は雲の中に消え、いったいどれほどの高さがあるのか予想さえつけられない。見上げていると首が痛くなる。

 草をかき分け、灰色の建造物に近づいた。西洋を思わせる石造りの壁はいかにも厚く頑丈そうだ。暮れ行く夕闇の寂寞にそびえる塔は、なんとも不気味で異様な佇まいだった。

 三メートルは高さのある木製の扉は、一分の隙間もなくがっちりと閉まっている。その前に立ち、そっと手のひらを当ててみた。分厚く硬い木の感触が伝わった。

「こりゃあ、ずいぶん大層なもんだな」

「この建物、何かわかる」

「知るか。だが、ただの塔ってわけじゃねえぜ」

「見ればわかるよ」

 夜と共に訪れるひんやりした空気に、彼方も流石に気味が悪くなってきた。明らかに異様な建造物だが、影にも分からないなら自分に解けるはずがない。今度叔父に聞いてみようと決め、その場を撤退した。


 駅に近づくにつれ、小さな町にも活気が溢れてきた。カラオケ店やドラッグストアが軒を連ねる通りで、手ごろなファストフード店に入ってみる。中は仕事終わりのサラリーマンや学校帰りの学生たちで賑やかだ。彼らの喧騒の中、カウンター席でハンバーガーとポテトをもそもそとつまむ。全国チェーンの店舗だけは彼方の知った味を保っていた。

 通りを挟んだ向こうに、スーツ姿の後ろ姿が佇んでいる。彼方が眺めている間、それは微動だにせず立ち尽くしていた。この町に初めてやって来た日、叔父の軽トラックで運ばれている時にも見かけた気がする。信号待ちの間、じっと立ったままの男を不審に思ったのだ。あの時と寸分違わぬ後ろ姿で、男は建物同士の隙間を向いたまま動かない。

「あれ、何だろう」

 騒がしさにかき消える声で呟くと、低い声が返事をした。

「見てわかるだろ、この世のもんじゃねえよ。馬鹿が」

 相変わらずひと言多い。紙ナプキンで指先の塩を拭き取った。道を行き交う人たちは、男のことなど気にも留めない。日常の背景の一部としてこびりついたような後ろ姿だ。

 店を出て離れてからもう一度振り返った。店内で見たのと同じ後ろ姿が、ぽつんとこちらを向いていた。

「おい、あいつらはどうだ」

 影の声に振り向くと、信号の点滅する横断歩道を悠然と渡る女性の姿が目に入った。大きく胸元の開いたピンクのワンピース、にょきりと伸びた足の先にはやたらヒールの高いミュール。髪はくねくねとウェーブし、耳には大きなわっかの金色のピアス。派手な女の隣では、金髪の大柄な男が気だるそうに歩いている。この田舎町のどこに遊びに行くのだろう。

 しかし彼方には、彼らの派手さとは真逆の黒々とした闇が見えた。影と関わるようになり、自然と得てしまった能力だ。

 影は闇を食う。その闇は道端をうろつく異形のものだけでなく、人においては悪意として宿る。人間が持つ悪い感情は、影にとってご馳走らしい。そして影に憑かれる彼方にも、異形や人の纏う悪意が目に見えるようになってしまった。確かに、あのカップルには人一倍濃い黒が巻きついている。

 互いを騙そうとしているのか、協力して誰かを貶めようとしているのかは分からない。影にとって彼らがご馳走を載せた皿であることだけは確実だ。

「無理だ。二人いっぺんなんて」

 彼方が目を逸らし、影が舌打ちをした。

「ビビってんじゃねえぞ、下僕」

「何でもいいけど、俺に何かあったらおまえも危ないんだぞ」

「誰に向かっておまえっつってんだよ」

 影の食事は一人ずつだ。片方を食べている内に、もう片方に逃げられたり彼方が攻撃されれば面倒なことになる。折角訪れかけた平穏な生活に早くも亀裂が入ってしまう。本体である彼方に何かあれば、影も新たな寄生先を見つける面倒がある。仮に宿主が命を失えば、影にとっても甚大なデメリットなのだ。

 ちっと再び影の舌打ちが彼方の耳に響いた。それを無視し、カップルの横をすれ違った。

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