第四章:炎の契り【特に残酷な描写あり】

【最大警告:閲覧に細心の注意を】

本章には、この物語の中で最も残酷で衝撃的な内容が含まれます。

【極めて強い自傷行為・身体損壊】の詳細な描写がございます。

読者様の心身に深刻な悪影響を及ぼす恐れがあります。少しでも不安を感じる方、苦手な方は、ご自身の心を守るため【必ずこの章を読み飛ばしてください】。


リディアは立ち上がり、エリナに背を向けたまま静かに言った。

「……服を脱ぐのを、手伝ってくださる?」

「え……?」

あまりに突拍子もない言葉に、エリナは思わず顔を上げた。リディアは、ただエリナの返事を待っている。その意図が全く分からず、エリナは困惑した。

リディアはエリナの戸惑いを察したのか、今度は懇願するような響きで繰り返した。

「お願い」

エリナは、その声に逆らうことができなかった。彼女は静かに立ち上がるとリディアの背後に回り、ドレスの背中に並んだ無数の小さなボタンに指をかける。

リディアの肌は、ランプの光を浴びて陶器のように白く滑らかだった。指先が触れるたび、その温かさときめ細やかな美しさに、エリナはどきりとする。

(……綺麗だ)

それは、彼女がこの共犯関係の中で初めて抱いた純粋な感嘆だった。

ドレスがはらりと床に落ち、きつく締め上げられていたコルセットの紐が解かれていく。解放され、リディアはふぅ、と長い息を吐いた。そして、すべての下着を取り去り、彼女はゆっくりとエリナの方へと向き直った。

リディアは、全裸だった。

ランプの光に照らし出されたその乳白色の裸身は、まるで神話の彫刻のように完璧で、神々しいほどに美しかった。エリナは思わず息を呑み、その姿に見惚れた。

リディアは、そんなエリナの視線を真っ直ぐに受け止め、静かに、しかしはっきりと告げた。

「エリナ。あなたに、私の体を焼いて欲しいの」

「……何を、言っているの……」

「これよ」

リディアは、自らの豊かで美しい乳房をためらうことなく指し示した。

「貴族の女にとって乳房は、後継ぎを生むためのシンボル。私は、貴族の女として与えられた役割のすべてを、この手で焼き尽くしたい」

彼女の瞳は、狂気ではなく、絶対的な覚悟に満ちていた。

「……さあ、エリナ。私の覚悟に、あなたの炎で応えて」

リディアの言葉が、重い沈黙となって二人の間に落ちた。

エリナは、目の前の全裸のリディアを見つめていた。その美しい肢体、そして、そこから発せられる狂おしいまでの決意。理解を超えた要求に、思考がわずかに停止する。しかし、リディアの瞳に宿る揺るぎない炎を見た瞬間、エリナはゆっくりと頷いた。その瞳には、もはや困惑の色はなく、静かな決意が宿っていた。

エリナは手近にあった金属製の火皿を手に取り、ランプの炎で時間をかけて熱した。やがて火皿が赤みを帯び始めた頃、彼女はそれを慎重に持ち上げ、リディアの前に立つ。

肉の焼けるかすかな音と共に、焦げ付く臭いが狭い地下室に立ち込めた。

リディアの身体が、一瞬だけびくりと震える。額には脂汗が滲み、固く噛み締められた唇はわずかに震えていた。だが、その苦悶の表情の奥には、どこか恍惚とした光が宿っている。自ら選び取った痛みを受け入れ、その向こう側にある解放を見つめているような、常軌を逸した、倒錯的な美しさ。

(……美しい)

エリナは心の中で呟いた。焼け爛れていくリディアの肌を見つめながら、彼女の胸には、今まで感じたことのない感情が湧き上がっていた。

それは、羨望だった。

(私も……こうして焼かれたい)

社会の規範、過去の呪縛。それらすべてを焼き払い、新しい自分へと生まれ変わる。リディアが今、まさにそれを成し遂げようとしている。その痛みと覚悟に、エリナは激しい憧憬を覚えていた。

やがて、エリナは熱された火皿を、ゆっくりとリディアの体から離した。

リディアは、荒い息の中、青白い唇を必死に持ち上げて笑みを形作る。それは苦悶に歪みながらも、確かに歓喜の色を帯びた、恐ろしいほどに美しい笑顔だった。

「……ありがとう、エリナ」

その感謝の言葉を背に、エリナはリディアの顔も、その胸に刻まれた印も見なかった。

彼女はただ、自らの手の中にある火皿を、その熱がまだ微かに残る金属の塊を、じっと見つめていた。

それは、リディアを貴族の女から解放した「火」。

それは、自分自身をも焼いて欲しいと願わせた、浄化の炎。

エリナは、ただその火を見ていた。

翌日、貧民街のはずれにある忘れられたような診療所に、顔を焼かれた一人の女性が担ぎ込まれた。

数日後、その診療所の前に、場違いなほど豪奢な馬車が静かに止まる。

中から現れたのは、公爵令嬢リディア・アルデリーネ。その姿に、物珍しげに集まってきた貧民たちは、畏怖の念を抱いて道を開けた。

「……公爵令嬢様が、このような場所に何の御用で」

出迎えた医師は、明らかに訝しげな表情でリディアに問うた。

リディアは、その猜疑心に満ちた視線を、完璧な悲しみの表情で受け止める。

「数日前、顔を焼かれたという、哀れな女性がこちらに運び込まれたと聞きました。……どうか、彼女に会わせてはいただけないでしょうか」

「面会、と……仰いますと?」

「ええ」とリディアは頷き、痛ましげに続けた。「少し前に、私のせいで……一人の男爵令嬢が命を落としました。ご存知でしょう、婚約破棄の騒動に巻き込まれ、心を病み、ついには……。私は、彼女を救うことができなかったのです」

リディアの瞳には、美しい涙がうっすらと浮かんでいる。

「だから、決めました。せめてもの償いに、他に辛い目に遭っている女性たちの、ささやかな力になりたい、と。彼女の治療費や、今後の生活の面倒は、すべてわたくしが見させていただきます」

(……結構なご身分の方の、気まぐれな慈善活動か。我々下々の悲劇を、ご自身の美談のための点数稼ぎに、ね)

医師は内心でそう毒づいたが、もちろん顔には出さない。相手は、この国で最も権力のある公爵家の令嬢なのだ。

「……左様でございましたか。それは、彼女もさぞ、心強いことでしょう。どうぞ、こちらへ」

彼は、あくまで丁寧にリディアを診察室の奥へと案内した。

案内されたのは、一番奥にある簡素な病室だった。扉を開けると、ベッドの上に一人の女性が横たわっている。顔の半分は、分厚い包帯で覆われていた。

リディアは、ベッドの横に置かれていた簡素な椅子に、静かに腰を下ろした。そして、傍らに立つ医師と、自分の護衛を兼ねて付き従ってきた侍従に、穏やかに、しかし有無を言わせぬ響きで告げた。

「……少し、彼女と二人きりでお話ししてもよろしいかしら。女性同士、デリケートな話になるかもしれませんので」

その言葉に、リディアの護衛が即座に反発した。

「しかし、お嬢様! そのような得体の知れない者と二人きりになど、危険です!」

「危険などありませんわ」リディアは、護衛の言葉を静かに遮った。「彼女は重傷人です。それに、お医者様、この部屋に危険なものは?」

リディアに問われ、医師は部屋を見回し、困惑しながらも首を横に振った。

「いえ、特に刃物のようなものは……」

「だそうですよ」リディアは、なおも食い下がる護衛に、念を押すように、しかし優雅に微笑んだ。「お願い。……下がってちょうだい」

その静かな圧力に、護衛は渋々引き下がるしかなかった。医師もそれに倣い、二人は部屋から退出していく。

やがて、扉が静かに閉められた。

二人きりになった部屋で、リディアはゆっくりと、ベッドで横たわる包帯の女へと向き直った。

「エリナ」

その声に、顔を焼かれた女――エリナは、ゆっくりと目を開けた。

包帯に覆われていない、右の瞳だけが、静かにリディアを見つめ返していた。

二人きりになった病室は、静寂に満ちていた。リディアは、念のため扉に聞き耳を立てる者がいないか確認すると、再びエリナの元へと戻り、声を潜めて話し始めた。

「……本当に、やってしまうなんて」

リディアは、エリナの顔を覆う包帯を見つめ、まるで自分のことのように、そっと己の胸元に触れた。

「乳房を焼いた私も大概だと思っていたけれど、あなたには負けるわ、エリナ」

その言葉は、非難ではなく、畏敬の念がこもった、二人だけの賞賛だった。

エリナは、包帯に覆われていない方の口の端を、ゆっくりと持ち上げて笑みを浮かべた。その声は、まだ少し掠れている。

「正直、自分でもここまでやるとは思っていなかったわ」

「……どういうこと?」

「何らかの方法で、私の身元を完全に判明できなくする方法は、以前から考えていたことではあるの」エリナは、静かに答えた。その瞳は、痛みの色ではなく、遠い未来の盤面を見据える、冷たい知性の光を宿している。「私たちの目論見が順調に進むなら、いずれ、裏方だけで済まなくなるかもしれない。死んだことになっている幽霊も、表の盤面に現れなければならない時が来るかもしれないから」

そしてエリナは、リディアの火傷がある胸を見る。

「……あなたの言う通り、ここから先に進むには、これまでの自分のすべてを燃やし尽くす覚悟が必要だと感じたのよ」

そしてエリナは言った。

「これでお揃いね」

その言葉に、リディアの唇に微かな笑みが浮かんだ。エリナもまた、包帯に覆われていない方の口元を綻ばせる。二人は、一瞬だけ、静かに笑い合った。

もし誰かが部屋の隙間からこの光景を覗いていたなら、ただ二人の少女が、他愛のない世間話に笑みを交わしているようにしか見えなかっただろう。自らの体を焼き、その覚悟を賞賛し合っているとは、誰も思うまい。

その静かな笑い声こそが、二人がもはや常人の倫理観の外側に立っていることの、何よりの証明だった。

静かな笑い声が、病室の空気に溶けて消えていく。

リディアは、椅子に座ったまま、ゆっくりとエリナの方へ身を乗り出した。

そして、その白い指先で、エリナの顔を覆う包帯を、まるで壊れ物に触れるかのように、そっと、なぞった。

包帯越しに伝わる、かすかな熱。その下にある、エリナが決意の証として自ら刻んだ、癒えることのない傷。リディアは、その痛みを共有するかのように、目を伏せた。

そのリディアの仕草に、ベッドに横たわるエリナが、ゆっくりと手を伸ばす。

その手は、リディアの胸元へ。ドレスの厚い布地の上から、彼女が昨夜、炎の契りを交わしたであろう場所へと、そっと触れた。

お互い、何も言わない。

ただ、見つめ合う。

リディアの瞳に映るのは、自らの炎に応え、己の顔さえも捨て去った、狂おしいほどに純粋な魂。

エリナの瞳に映るのは、同じ痛みをその身に刻み、自らのすべてを差し出して、共に燃え尽きることを望む、唯一人の共犯者。

言葉は、もはや不要だった。

互いの傷に触れることで、二人の魂は、より深く、そして不可分に結びついていった。

やがて、リディアの唇から、恍惚とした、祈りのような囁きが漏れた。

「……ええ。これで私たちは、一つになったわ」

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