第16話:核の運命 - 賢者の選択
ロスアラモスの極秘施設、核爆弾格納庫。肌を刺すような冷気と、高圧電流の唸りが響く密室で、時雨悠真とアダム・フォックスは対峙していた。フォックスの手に握られた最新式の高出力レーザー銃の銃口が、時雨の胸を狙っている。彼の呼吸は荒く、しかしその目は、初めて捉えた「未知の存在」を離さない。フォックスの顔には、長年の疑問が解き明かされようとする興奮と、そして目の前の「理解不能な現実」への深い畏怖が混じり合っていた。
「お前が……お前が、全ての異常の元凶か!一体、何者だ!?」
フォックスの叫びが、厳重な格納庫にこだまする。その声には、狂気にも似た研究者の執念が滲んでいた。時雨は、フォックスの探求心と、それがもたらしたこの瞬間を、静かに、しかし深い感慨をもって受け止めた。彼の瞳は、フォックスの瞳の奥に宿る、真理を追い求める純粋な光を捉えていた。それは、かつて自分も持っていた、根源的な衝動。
「私は、あなた方の知る存在ではない。だが、あなた方が生み出そうとしているものが、いかにこの世界を破壊するかを知っている者だ」
時雨の声は、静かだが、その場に確かな重みを与えた。フォックスは、時雨の言葉の意味を測りかね、僅かに眉をひそめる。彼の理性は、目の前の男が「異世界から来た賢者」だという概念を拒絶した。だが、体は、その言葉が持つ圧倒的な真実の重みに、無意識に反応していた。
「破壊? これは、戦争を終わらせるための究極の力だ! 人類を救う光だ!」
フォックスは叫んだ。彼の声には、核兵器に賭ける科学者たちの信念が込められていた。時雨は、その言葉に静かに首を振る。彼の脳裏には、異世界で見た核の炎に焼かれる世界の光景が鮮明に蘇る。都市は消え、命の営みは途絶え、残されたのは荒涼とした大地だけだった。
「それは、光ではない。世界を焼き尽くす、悪魔の業だ」
時雨は、ゆっくりと核爆弾へと歩み寄った。それは、金属と配線が複雑に絡み合った、無骨な塊だった。しかし、その内部からは、世界の全てを無に帰すほどの、恐ろしい波動が脈打っているのが感じられた。フォックスは、時雨の動きを警戒し、レーザー銃の銃口を向け続ける。彼の指が、引き金に触れる。
「やめろ! 何をしようというのだ!」
フォックスが叫んだ。彼の科学者としての本能が、目の前の男が、彼らの長年の研究の結晶を弄ぼうとしていることを察知し、激しい焦燥感に襲われる。
時雨は、核爆弾にそっと手のひらをかざした。一瞬、彼の体から放たれる膨大な魔力が、格納庫全体に充満する。それは、フォックスの持つ測定器では捉えられない、しかし確かに存在する「未知のエネルギー」だった。空間が歪み、時間が一瞬だけ止まったかのような錯覚に陥る。フォックスの瞳は、その信じられない光景に釘付けになった。彼の理性が、目の前で起きている事態を必死に理解しようと試みるが、その全てが不可能だと告げていた。
「――消えろ」
時雨の口から、微かな声が漏れる。次の瞬間、格納庫の床に置かれていた巨大な核爆弾が、音もなく、煙もなく、跡形もなく消失した。まるで、最初からそこに存在しなかったかのように。
「……な……に……?」
フォックスは、手にしていたレーザー銃を取り落とした。その衝撃音すら、彼の耳には届かない。目の前の、理解不能な「空白」を、彼はただ茫然と見つめるしかなかった。彼の科学者としての信念が、根底から覆されたのだ。これまで彼が築き上げてきた全ての知識、全ての理論が、一瞬にして無意味になった。彼の顔は、信じられないものを見た人間特有の、絶望的なまでの蒼白さに染まっていた。口を開こうとするが、言葉が出てこない。ただ、胸の奥で、言いようのない「虚無感」が広がっていくのを感じる。
時雨は、静かにフォックスを見つめた。彼の表情に、勝利の喜びはない。ただ、この世界の運命を変えるという、重い決断を下した者の深い覚悟が宿っていた。彼の目的は、核兵器の破壊ではない。それを「抑止」という新たな「意味」へと転換させ、この世界に、新たな平和の礎を築くことなのだ。
格納庫の扉が、ゆっくりと開く音がした。警報が鳴り響き、武装した兵士たちがなだれ込んでくる。だが、時雨は既にそこにいない。彼の姿は、まるで最初から存在しなかったかのように、闇の中に消えていた。フォックスは、兵士たちの怒号も、質問も、何も耳に入らない。彼の瞳は、ただ一点、核爆弾が置かれていた場所の「空白」を見つめ続けていた。
その夜、アメリカは、世界を滅ぼす「究極の兵器」を、自らの手から失った。その事実は、世界の運命を大きく揺るがす、静かな、しかし決定的な転換点となった。遠い異国の空の下で、賢者の選択が、新たな時代の幕開けを告げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます