第12話:賢者の焦燥 - 迫りくる核の脅威

 東京の夜空は、相変わらず煌びやかなネオンの光に彩られていた。地上の喧騒とは裏腹に、軍司令部の奥、時雨悠真が過ごす司令室の静かな一室で、彼は深く沈黙していた。彼の意識は、遥か彼方、アメリカ大陸の奥深くへ伸びる。異世界で培った魔導探知の力が、アダム・フォックスの微細な思考の波動、そして彼の研究室から放たれる特異なエネルギーの揺らぎを、まるで肌で感じるかのように捉えていた。フォックスが自身の妨害工作の痕跡を執拗に追っていることに、時雨はわずかながらも焦燥感を覚えた。彼の類い稀なる知性が、この若き天才科学者が、いずれ核兵器の完成を早めかねない危険な存在であると、静かに、しかし明確に警告していた。


 アメリカでの核開発は、時雨の妨害により遅延しているものの、その進捗は止められなかった。ウラン濃縮やプルトニウム生成の進捗度合いを魔導探知で確認するたびに、時雨は「このままでは手遅れになる」という確かな予感を感じていた。その予感は、彼の胸中に冷たい塊のようにのしかかり、次第に、呼吸すら困難になるほどの深い不安へと変わっていく。日本の防衛は盤石であり、太平洋戦線では圧倒的な優位を保っている。だが、核兵器が完成すれば、その全てが無に帰す可能性があった。彼の脳裏には、核の炎によって故郷が焼き尽くされ、人々が塵となって消える異世界の悲劇が、鮮明な映像として何度もフラッシュバックする。そのおぞましい光景が、時雨の焦燥をさらに掻き立てた。彼の額には、わずかな汗が滲んでいた。


 時雨は、核兵器の完成をこれ以上遅延させるだけでは根本的な解決にならないと判断した。彼の卓越した思考は、既に次の段階へと進んでいた。ただ防ぐだけではない。核兵器を「奪取」し、それを「抑止力」として利用するという、極めて大胆な最終戦略が、彼の頭の中で構築され始める。それは、世界の命運を賭けた、常識外れの計画だった。彼の脳裏で、無数のシミュレーションが瞬時に展開される。その一つ一つが、成功への困難さと、失敗した時の代償の大きさを物語っていた。


 しかし、その計画を実行に移すには、大きな障害があった。日本政府内の強硬派、特に鬼塚剛のような軍人たちが、「核兵器を実戦使用すべきだ」と主張し始める可能性が高い。彼らは勝利に酔いしれ、力の行使こそが絶対だと信じている。賢者の内には、核兵器の「破壊」と「抑止」の間で揺れる、新たな葛藤の種が芽生え始めていた。彼らをいかに説得し、この究極の力を平和のために導くか。それは、これまでの物理的な戦いとは異なる、精神的、哲学的な戦いとなるだろう。時雨の瞳の奥に、その重圧がかすかに揺らめいた。


 時雨は、田中大将と佐藤外務大臣に対し、核兵器が間もなく完成すること、そしてそれを「奪取」し「抑止」として利用するという自身の最終計画を提示した。彼の言葉に、二人の顔には明白な動揺が走った。彼らがこれまで信じてきた「勝利」の形が、賢者の言葉によって、再びひっくり返される。その計画の危険性と大胆さに、彼らは言葉を失う。田中大将の額には、苦悩の汗が滲み、佐藤外務大臣は、机に置かれた自分の手を、固く握りしめていた。彼らの心臓の鼓動が、部屋の静寂に響くかのようだった。


「……賢者殿、それは……あまりにも、無謀な、では……」


 田中大将が、震える声で呟いた。その声には、核の脅威と、賢者の計画が持つ圧倒的な重みに押し潰されそうな、深い疲弊がにじんでいた。彼の目には、悲痛な色が宿っていた。しかし、時雨の真剣な眼差し、そして他に道がないという冷徹な現実が、彼らを動かす。日本は、この新たな脅威を前に、賢者の示す道を信じるしかない。彼らの内に、賢者への揺るぎない信頼と、国家の命運を賭ける覚悟が、静かに、しかし確かに固まっていった。


 時雨の計画は、日本の未来を左右する、まさに運命の分岐点だった。窓の外は、依然として東京の夜の闇が広がっていた。しかし、時雨の瞳の奥には、その闇の先に、かろうじて見える希望の光が宿っていた。それは、核の脅威を乗り越え、世界に新たな平和を築くという、彼の揺るぎない決意の光だった。この決断が、第三部へと続く新たな戦いの幕を開けるのだった。彼の心臓の鼓動は、未来へと向かう確かなリズムを刻んでいた。

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