第11話:天才の執着 - アダム・フォックスの追跡

 ロスアラモスの極秘施設の一角で、アダム・フォックスの研究室は、彼自身の執念を映すかのように散乱していた。机の上には、鉛筆の走り書きがされた計算用紙が山となり、黒板には複雑な方程式が所狭しと書き殴られている。彼がマンハッタン計画で発生した原因不明の「誤差」を追跡し始めてから、すでに数ヶ月が経っていた。同僚たちは彼の疲弊した顔を見て、「休暇を取れ」と諭すが、フォックスの耳には届かない。彼の科学者としての信念が、「説明できないこと」を決して許さなかった。それは、真理を解き明かすことこそが自身の存在意義であるという、彼の根源的な衝動だった。


 フォックスは、自分の解析結果と実際のデータとの間に生じる僅かなズレに、異常なほど敏感になっていた。特に、高純度ウラン試料の微量な消失や、測定器が示す不可解なエネルギー変動の痕跡は、彼の脳裏から離れない。彼は、これらの「エラー」が単なる機器の故障や人的ミスでは説明できないことを確信していた。まるで、見えざる手が実験を弄んでいるかのようだ。彼の理性はそれを否定しようとするが、研究者としての強い直感が、「何か」が動いていると、彼の内側から絶えず囁きかけていた。その囁きは、彼の眠りを蝕み、思考を支配するほどに強まっていた。


 彼は、昼夜を問わず研究に没頭した。カフェインと覚醒剤で体を無理やり動かし、目に映るのは、データが示す微細な異常の「パターン」だけだ。彼は、そのエネルギーが「空間の歪み」や「物質の消失」を伴うこと、そしてその発生源が特定の場所から「移動している」ことを突き止める。その法則性を見出した時、フォックスの心臓は激しく高鳴った。これは、単なる物理現象ではない。まるで、どこかの誰かが、意図的に、そして精密に干渉しているかのようだった。彼の思考は、これまでの科学の枠組みを超え、未知の領域へと足を踏み入れ始めていた。その思考の深淵に触れるたび、彼の中に狂気にも似た興奮が湧き上がった。


 フォックスの探求心は、過去の事象へと遡っていった。彼は、日本の防衛線が異常なまでに強固であるという、太平洋戦線からの報告を思い出す。米潜水艦隊の通商破壊がまるで効果を上げない事実。そして、真珠湾での日本軍の航空機が、奇妙なほど被弾しなかったという、軍部の極秘報告。それら全てが、彼の研究室で起きる現象と、まるで一本の繋がりとなって、彼の頭の中である一つの巨大な像を結び始めた。


「これら全てが……ある一つの『未知の力』によって引き起こされている、とでも言うのか……?」


 フォックスは、書き殴られた方程式の羅列を指でなぞりながら、自問自答した。彼の表情は、興奮と疲弊、そして狂気にも似た執着が入り混じっていた。その力の源が、日本にあるのではないかという仮説が、彼の頭の中で肥大していく。それは、科学者としての彼にとって、受け入れがたい、しかし抗いがたい結論だった。彼は、この謎を解き明かすことが、自身の科学者としての存在意義そのものであると確信し始めていた。彼の瞳には、真実を追い求める狂熱の炎が燃え盛っていた。


 フォックスは、自分の仮説をマンハッタン計画の責任者、グローブス将軍に報告した。将軍は彼の説を一笑に付し、「疲れているんだ、フォックス」と諭すばかりだった。しかし、フォックスの報告書には、無視できないレベルの「異常データ」と、それを裏付ける「論理的考察」が緻密にまとめられていた。グローブス将軍は半信半疑ながらも、フォックスに「さらなる調査」を許可した。ただし、「計画の遅延は許されない」という冷徹な条件付きで。その条件は、フォックスにとって何でもなかった。


 フォックスは、グローブス将軍の許可を得て、日本への秘密偵察部隊の派遣を提案した。それは、彼の仮説を裏付けるための、まさに彼自身の運命を賭けた一歩だった。彼の心には、巨大な謎に立ち向かう者特有の、静かな、しかし確かな高揚感が広がる。彼は自分が「何か巨大なもの」に触れてしまったことを感じていた。そして、その正体を暴き、科学の常識を書き換えるための、彼の探求の旅が、今、始まろうとしていた。彼の瞳は、遥か東の空、日本の方向を見据えていた。その視線の先には、見知らぬ「賢者」の影が、ぼんやりと、しかし確実に存在感を増しているかのようだった。

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