異世界帰りの賢者無双 ~チートで第二次世界大戦攻略~

五平

第一部

第1話:異世界からの来訪者 - 終戦の記憶と新たな違和感

 ひんやりとした夜の風が、頬をかすめた。その冷たさが、数十年ぶりに触れる「故郷の空気」であることを、時雨悠真の肌は本能的に感じ取っていた。だが、その感触は、彼が記憶する故郷の温もりとは、決定的に異質なものだった。土と草の匂いに混じる、焦げ付くような油の匂い。遠くで不規則に響く金属音と、人のざわめき。それは、彼がかつて知っていた日本の穏やかな夜の調べではなかった。


 目を開けた時雨は、まず目の前の光景に息を呑んだ。崩れかけた鳥居。苔むした石段。幼いころ、秘密基地と呼んで駆け回ったはずの小さな神社だった。だが、彼の記憶にあるのは、もっと手入れされ、子供たちの笑い声が響く、生き生きとした場所だ。時間の流れが、あまりにも残酷に進んでいることを、その荒れ果てた姿が雄弁に物語っていた。まるで、彼だけが時の中で取り残されたかのような、強烈な違和感が全身を貫いた。


 そして、山の向こうに見える街の光は、記憶とまるで違う。空を裂くようにそびえ立つ、黒い刃のような高層ビルの群れ。夜闇に瞬く無数のネオンサインは、まるで異世界の呪文のように意味不明な光を放っていた。遠くで響くのは、馬車の蹄の音ではない。金属が軋み、咆哮するような奇妙な駆動音を伴う自動車のクラクションだ。文明の進化というにはあまりに急激で、まるで別の世界に迷い込んだかのような、異様な感覚が時雨を襲った。


「……ここは、本当に、あの日本なのか」


 乾いた唇から漏れた呟きは、夜気に吸い込まれて虚しく消えた。異世界を彷徨った数十年で培った、あらゆる危機を察知する鋭敏な知覚が、目の前の「故郷」が、もう彼の知る「故郷」ではないことを、これでもかとばかりに突きつけていた。胸の奥が、じんわりと、しかし確実に、冷たい水が広がるように痛んだ。それは、故郷に帰ってきたという安堵とは真逆の、底知れぬ喪失感だった。


 大正の片隅で生きた無垢な少年は、異世界で生き抜くために、魔法を極め、戦術を学び、そして、過酷な現実の中で自らを磨き上げた。幾度もの死線をくぐり抜け、魂を削るような孤独に耐え、彼はようやく帰ってきた。しかし、帰るべき家はもうない。彼の親しい人々も、彼の生きた時代も、全てが過去の遺物と化していたのだろう。これほどの喪失感は、異世界で絶望的な戦いを強いられた時でさえ、感じたことがなかった。全身の力が抜け落ちるような、虚ろな感覚が彼を包み込む。


 しかし、その深い喪失感の底で、かすかな郷愁が、心の奥底で小さく、しかし確かに芽吹いた。見知らぬ街の灯り。しかし、確かに「日本」の空気がそこにはあった。それは、彼が何十年も夢に見続けた、故郷の微かな残り香。彼の瞳の奥で、その灯りが、消えかかった希望の光のように瞬いた。彼は、ゆっくりと石段を下り、まだ見ぬこの「新しい日本」の現実を知るため、街へと足を踏み入れた。アスファルトの道は、彼の足の裏に、土の感触とは異なる、冷たい硬さを伝えた。


 街の喧騒は、彼の五感を圧倒する。人々は皆、活気に満ちているようでいて、その表情の奥には、どこか張り詰めたような緊張感が漂っていた。煌びやかなネオンサインが瞬く飲食店街。行き交う人々が手にしているのは、彼の知る木製の提灯ではなく、複雑な細工が施された金属製の箱だった。その箱からは、けたたましい音と、聞いたこともない言語が流れてくる。ラジオだ、と理解するのに時間を要した。


 そして、街のスピーカーから、威勢の良い軍歌の合間に流れるアナウンサーの声が、彼の耳朶を打った。


 「――太平洋の緊張高まる。帝国は、断固たる決意をもって、難局を打開する所存であります!」


 その言葉に、時雨はぴたりと足を止めた。彼の脳裏に、異世界で幾度も目の当たりにした光景が、鮮烈な色彩をもってフラッシュバックする。焼ける街、逃げ惑う人々、血の匂い。


 ――戦争。


 この国は、また血を流そうとしている。

 彼は、異世界で何度も見た。欲と恐怖に突き動かされた戦いが、いかに容易く人の命と街を焼き尽くすかを。都市が火に包まれ、子供たちの絶叫がこだまし、絶望に顔を歪める大人たち。そして、全てを失い、何も守れなかった者たちの瞳が、どれほど虚ろであったかを。その記憶は、彼の内なる感情を激しく揺さぶり、胸の奥で、異世界での「生き残る」という生存本能が、新たな「この国を守る」という強い衝動へと変わっていく。


 静かに息を吸う。肺腑に満ちる、故郷の空気。その中に、戦火の匂いが混じり合うことを、彼は決して許せない。胸の奥で、さきほど芽吹いたばかりの郷愁が、みるみるうちに巨大な塊となり、彼の全身を支配する。それは、単なる故郷への愛情ではない。二度と、あのような悲劇を繰り返させてはならないという、鋼のような決意が彼の中で固まっていった。


 「……守らなければ」


 時雨の口から、無意識のうちに言葉が漏れた。それは、彼自身が異世界で培った「力」を、今、この故郷のために使うべきだという、新たな「使命感」が彼を突き動かしていた。祖国を。かつて失いかけた、温かな世界を。この国に生きる人々を、破滅から救い出さなければならない。彼の脳裏に、田中大将という名がよぎる。彼は、この混迷の時代において、まだ「良心」と「理性」を持つ者がいることを信じたかった。


 夜風が、彼の纏う異世界の外套を、はためかせた。その中に、測り知れない叡智と力を宿した賢者がひとり、決意を秘めて静かに立っていた。彼の存在が、この日本の、そして世界の歴史を、大きく変える兆しが、今、始まったばかりだった。彼の瞳には、遠い未来を見据える、揺るぎない光が宿っていた。

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