強さは

人間が強い存在ならば医療は必要ないし、薬学も必要ないし、文化も必要ないし、文明も必要ない。人類という半端な能力を持った種に生まれてきたことをまず考えたほうがいい。肉体能力が強い種は他にもいるし、ネアンデルタールのほうが脳の容量が大きかったから知的能力が優れていたかもしれない。

なのにどちらが強い弱いでどうこう評論じみた感想を投げつけどうしようもない状況を生み出していることに悲しさを感じる。

強さとは部分最適がうまくいった一例に過ぎない。コミュニティとして強いという全体最適には叶わない。だから自分が強いという意識はあまり役に立たない結局幻想なのだから。強いから立ち向かうのではなく問題を解決しなければいけないから立ち向かうのだ。結果論として強く見えるだけである。

たまに他人を頭が弱いなどという反社のような人間がいるが、頭の使い方には様々な形態がある。文字に依存してしか思考できないものガイル一方でそうではない直感をもとに数学を突き詰めるものがいる。文字を読むことは思考の堅牢さをいるとはうまく表現しているとはいえない。

オリンピックで結果を出せるからと行って進化するロボットと同じようなことができるとはいえない。走るのが得意だからといって自転車には立ち向かえないだろう。

感情が強いからといってそれが行動に反映されるわけでもない。ふわっとしたものが現実を覆うわけではない。かといって協働幻想である社会が脆くないわけでもない。

生命の過剰さには気をつけたほうがいいだろう。これを強さと錯覚するのは危険だ。

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