一夫多妻の経済的合理性について
ttps://www.youtube.com/watch?v=J39JU5W7mbY
この動画が偶然出てきたのでそれについて述べる。
一夫多妻制が多く見られたのは遊牧民族や小規模な部族社会、中世の農耕社会などだ。遊牧民族の場合家畜の世話をさせるには女性が必要だったし、子供を産ませることで即席の労働力を得られた。遊牧民族は定住しないため様々な外因に左右される。常にリスクヘッジをしなくてはいけない。そのためには配偶者を持たない兵士階級を常に配備する必要がある。一夫多妻によって権力構造を作り常にさらされるリスクに備えるのである。
小規模な部族社会も同様だ。医療水準は高くなく多産多死が基本だ。そうなれば多くの女性を囲い、配偶機会に恵まれない男性を労働力や兵士として搾取したほうが経済的合理性がある。
中世の農耕社会は医療水準は上記の社会とそこまで変わらず産褥熱で死亡する女性が一定数存在した。よって支配階級は自分の血統を残すために多くの女性、少なくとも5人位の女性を公式にも非公式にも囲っていた。その秩序を維持するために農奴というのが存在していた。配偶機会がある場合と無い場合があり労働条件は考慮されず基本的に男の命は使い捨てにされた。支配階級の次男坊や三男坊は地位の継承からあぶれたりすることがあり過酷な状況に置かれることがあった。彼らが自らの存在意義を示すために他の領地へ侵入し戦争の主体になることがあった。性別は予測できないのでこのような婚姻制度はコミュニティをリスクに晒し不安定化の遠因となった。なぜなら他の地域でも同じような収奪的な制度をとっておりその歪が現れるためである。
支配階級のリスクヘッジのために一夫多妻制というのが存在したが、そのような制度がある間は結局近代国家は生まれなかった。当然法の支配はないし、誰かの気まぐれで突然死ぬということも当然あった。命の値段はかなり低く見積もられたのである。
欧州ではキリスト教が徐々に浸透し一夫多妻に対する忌避感が広まるようになる。公式には特に王族は一夫一妻を取るようになった。それがうまく機能しないときは他の親縁の王族から男子をよこしてもらい王位継承していた。
宗教的慣習が広まることによって、人々が自発的に合理的精神を学ぶことによって一夫一妻制が様々な階層に行き渡る。これと同じようなタイミングで市場経済が徐々に発達してくる。ただ19世紀ロンドンのスラム街のように自分の部屋を持てないような貧しい労働者階級の人々は一部不特定多数と性行為をしていた。その弊害は性病の蔓延や児童虐待、餓死のような形で現れていた。
ここで何が言いたいかと言うと世界には人間の直感に反したことが存在する。現に医学研究の歴史は特にそれを表している。ほとんど19世紀後半に至るまで合理的な医療というのは見られなかったが観察と実験が医療当事者に普及し、治療法の確立を促した。微生物の存在はほぼ直感に反していたし、ワクチンの信憑性も当時は軽く見積もられていた。
一夫多妻制の議論もこれと似たようなものに見える。富裕層がたくさん子供を作ればいいという直感があるとしてそれは妥当かどうか?歴史的経緯と現在の経済状況から考えてみるとそれはちょっと違うのではないかと思うのである。
歴史的に誰かが寡占すればそれに対する反発は当然起こる。ローマ帝国が他の地域から安く人的資源を収奪し、貴族階級は非嫡出子を増やしまくったことで政治的な安定性が損なわれた。5回ほど大規模な反乱を起こされている。様々な経緯の後にローマ帝国は分解した。その後のヨーロッパは様々な国家が現れては消え、今のような状況にある。
人間は一般的に性行為をしようとするが子供はほしくないという傾向がある。これは避妊の統計を見ればわかることだ。その原因はよくわからない。子供が生まれるということは時間と認知的資源を投入しなくてはいけない状況に陥る。
仮に教育をすべてアウトソーシングしたとしてもそれには当然コストがかかる。子供の発育を考えれば父性は必要だ。父性を示す機会がなく母親にのみ子育てを丸投げをした場合母親の影響が大きくなるのは当然だ。自分が期待したような子供になるとは当然保証できない。子供の心理状態を考慮することは難しいといえるのではないか?
お金ですべて解決できると思っているのなら再分配したほうが効率的だ。リスクも分散できる。今までの話はおそらく富裕層の父親や母親が合理的かつ知的に柔軟であること前提としているだろうし、遺伝的になんの問題もないことを想定しているだろう。この前提が崩れた場合リスクがあり予見可能性が損なわれる一夫多妻制はあまり経済的合理性を期待できない。
なぜなら認知的多様性は当人らではまず想定できないし結果として子供は産ませても家庭環境は荒廃する可能性があるからだ。家庭環境が荒廃していると当然リスクの多い行動を取るようになりがちであり、結果として社会的利益が損なわれる。
そのような存在を生んだ富裕層の人々に非難が集まっても不思議ではない。
富裕層はビジネスオーナーが多いだろうから当然制裁を受けることになるだろう。隠蔽しようとしても限界がある。
一夫多妻のリスクとして社会の不安定化、成熟の忌避が挙げられるかもしれない。
富裕層にすべて女を持ってかれるのなら性欲のために努力する必要はないし、社会参加をする必要もないという風潮がおきてもおかしくはない。となれば結果として公共空間は意味をなさなくなりひいては経済活動の足を引っ張るかもしれない。自分たちがどのような労働に支えられているのかそれを確認したほうが良さそうだ。
どうせ子供を残せないのなら社会に復讐しようという気運が生まれるかもしれない。また女性に対する風あたりは良くない方に行くかもしれない。富裕層の女というレッテルをはられヘイトクライムの対象となり結果として犯罪が増えるかもしれない。
警察力は有限だし、一度悪くなった治安を回復させるのは容易ではない。
これまでの歴史的文脈、経済的合理性から見てみたが結局どのような社会を構想し実装するのか誰が責任を取るのかここらへんを見ないとわからないだろう。社会の安定性を所与のものとみなすのは危険だ。
補足として一夫多妻制があった江戸時代の例を見てみよう。お奥のような制度は武家を中心として存在していた。しかし人口は増えず明治期に一夫一妻制が導入されたほうが人口の伸びがあった。当然医療技術の改善ということがあるだろうが医療技術を改善して子供が死ににくくなった結果余剰人口をどうするのかという議論があとを絶えなかった。余剰人口は都市に集中し産業社会を形成した。しかし人口の膨張というものに政治家は危機感をいだき続けており対外侵略の遠因になったのかもしれない。膨張した人口が軍隊を支えていたのは事実である。好況のときは問題は表面化しなかったが不況時は様々な階層で緊張が高まり場合によっては労働運動のようなものに結実した可能性はある。
様々な要因、社会的文脈が存在しているので安易に結論を下すのはつまらない。仮にノブレスオブリージュのようなものがあるのならすべて自分たちでなんとかしようと思わずに社会でなんとかしようという風潮、子供がどうなるのかという考察、お金で解決できるのならなぜさきに社会実験しようとしないのかということに思いを馳せてはいかがだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます