印象の羅列
コミュニケーションとは意思を表明し、交換することである。対人であれば特にそうだ。情報の交換のみの場合も含まれるがこれは問題にしない。
コミュニケーションをしているふりをしても結局誰も幸せにならない。コミュニケーションとは創発的なものであって忖度の道具ではない。
印象の羅列を単に表すだけでもいいかもしれない。文学ではそういうのが光ることがある。ただ日常でそれをやればどうなるかは想像しなくてはいけない。
友達づくりと評してなにかのアプリを使うというのは自分のコミュニケーションの特性に気づかない限り結局同じところを回っている犬のような結果になる。
傲慢と善良に確か似たようなことが書かれていた気がする。内容は忘れた。
相手を値踏みしようとするのは一般的に良心が痛むことであるが、自分の状態を測ろうとしていないので自分の状態を高く見積もってしまう。結果として自分と他者の関係性が深まることなく逆に軋轢や不快感だけを残してしまう。
冷淡な目と熱い心がなければ他者を結果として不幸にしてしまういい例だ。
自分が可愛いという評価と自尊心の有無は関係はない。自分が可愛いというのは自分の願望や幻想が多く含まれるからだ。自尊心は経験に裏打ちされた内的体験である。
ちやほやされた体験があったからといって人生をちゃんとやっているということにはつながらない。人間はどのようなメディアを介するか、フィルターを通すかで人間の印象や心象は変わる。文章がいい、広く読まれることと話を留めなくできるというのはあまり関係がない。だが一部の媒介物で万能のような印象を持たれることはあるかもしれない。特に漫画家などは作品を作っていることとその人の有り様の違いを想像すればわかりやすい。
宮台真司がよく言う言葉の自動機械というメタファーを使えば言葉をスラスラと表現することと本質に迫ることは関係がない。自動機械に陥ってしまえばクソに群がるハエのように同じような軸でぐるぐるまわるようになってしまうのだからたちが一層悪い。
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